Presented by ルミネ
サステナブルバトン5

フィリピンの子どもたちとエシカルな服づくり。西側愛弓さんがファッションに込める思いとは

残布や規格外素材を活用し、フェアトレードによるエシカルなファッションブランド「coxco(ココ)」を立ち上げた西側愛弓さん。フィリピンにファッション関連の縫製スクールと工場を設立し、貧困層を支援しながらサステナブルなものづくりを実践しています。ファッションを通して西側さんが伝えたい思いを伺いました。
富士山麓の草木に魅せられて。アロマを手作りする田中麻喜子さんの森との暮らし ロス食材からペット用おやつを考案。山本麻実さんと愛犬の穏やかな暮らし

●サステナブルバトン5‐12

――はじめに、ファッションブランド「coxco」の特徴を教えていただけますか。

西側愛弓さん(以下、西側): 2020年に立ち上げたブランドで、いくつかのラインがあります。1つは、デザイン性にこだわったStandardラインで、例えば今日お持ちしたTシャツもそのひとつです。背中にQRコードをデザインしていて、読み込むとオフィシャルサイトに飛んで、そこでしか見られないコンテンツにアクセスできます。このTシャツはインド産のオーガニックコットンを用いており、農薬を使うとインドの農家さんが健康被害に遭うことや、正統な価格で取引するフェアトレードによって貧困に苦しむ生産者さんを支援できることなど、商品の背景や物語を丁寧にお伝えしています。

背中にQRコードがデザインされたTシャツ
背中にQRコードがデザインされたTシャツ

もう1つは、カジュアルなcoxco Lab artラインで、フィリピンをはじめ世界中の子どもたちが描いたアートをデザインに落とし込んだものです。大学生のときフィリピンを訪れたのをきっかけにNPOを立ち上げ、フィリピンの貧困地域の子どもたちをモデルにファッションショーを開いてきました。子どもたちが「夢」について聞くと、ドクターやティーチャー、シェフなど、思い思いに将来の姿を描いてくれます。すごくかわいいので、そのまま生かして刺繡やプリントにして洋服などに入れています。この商品をご購入いただくと、売り上げの一部がファッションショーの開催や、2023年に現地に設立したファッションスクール「coxco Lab」の支援に充てられます。

また、全ての商品をご購入いただいた方に、ノベルティとしてフィリピンで残布などを用いて作られた巾着ポーチをお付けしています。フィリピンの工場では、手がけた人の名前と日付を直筆で書いてもらっており、顔の見える、つながりを感じていただけるプロダクトになっていると思います。掲げているコンセプトは、「服のかたちをしたメディア」なんです。

フィリピンの子どもたちが書いた「夢」をデザインしたパーカー
フィリピンの子どもたちが書いた「夢」をデザインしたパーカー

――「服のかたちをしたメディア」とは、どういう意味でしょう?

西側: ファッション業界は、大量生産大量廃棄などで世界でも2番目に地球環境に悪影響を与えている産業と言われており、労働や貧困問題など様々な社会課題もはらんでいます。私は小さい頃からおしゃれが大好きだったので、ファッションが社会に悪影響を及ぼしていると知ったときはとても苦しくなりました。そして逆に何とか服を作ることでよい循環が生まれる仕組みを作りたいと考えました。

社会課題は関心がある特定の人だけでなく、大勢で取り組まないと前進が難しいですよね。多くの人に情報を届けるにはどうしたらいいかと考え、おしゃれ好きにも響くプロダクトを通じてメッセージを伝えようと思いました。先ほどのQRコードをデザインしたTシャツはそのひとつで、身に着けていただくことで課題について知ってもらえますし、その服を見たお友達や家族が「そのデザインなに?」と興味を持ってくれたら、そこから会話が生まれ、関心の輪が広がります。つまり、「coxco」の服を選んでくださる1人ひとりが、同じ思いをシェアするメディアになれるのです。

西側愛弓さん

――そもそも、なぜ学生時代にNPOを立ち上げることになったのですか?

西側: 大学在学中は、アルバイトで貯めたお金をもとに休みを利用してニューヨークのファッション・ウィークを見に行くなど、世界中のファッションイベントを巡って写真を撮り、雑誌を作ることが趣味でした。旅先では、お金を節約するためバックパッカーが利用する町はずれの安宿によく泊まっていました。ファッションイベントの期間は、街がすごく華やかになる一方で、私が泊まるエリアではぼろぼろの服を着ている子どもたちに出会いました。

ニュースや教科書で見聞きした格差問題を目の当たりにしてショックを受け、「私がファッションを好きになり、楽しむことは決して当たり前ではない」と気づかせてもらいました。そうした環境の子たちにファッションを通して何かしたいという気持ちから、NPO「DEAR ME」がスタートしたんです。ファッションが大好きという気持ちと、そのファッションで誰かの人生に“きっかけづくり”ができたらいいなという思いからです。

――なぜ、フィリピンで活動しようと考えたのですか。

西側: マニラには30~50万人ものストリートチルドレンがいると知ったのがきっかけです。「スラムの子たちにファッションショーでモデルになってもらいたい」というアイデアが浮かび、「ここで何かをやりたい」と直感したんです。はじめは思いがあってもマニラに知り合いもいませんし、どうやってショーを開くかも分かりません。行き詰った私を見かね、学友たちが「手伝うよ」と手を差し伸べてくれました。みんなでたくさんアルバイトをして資金をため、多くのメーカーさんなどに直接電話して「不要になった洋服をいただけませんか?」などと交渉しました。時にはお叱りをいただきながらも、何とか子どもたちに着てもらう服を集めて、ショーを開催しました。

フィリピンで開いたファッションショー。モデルになる子どもが自ら衣装をデザインし、古着などを用いて日本のボランティアが制作した=2024年、フィリピン・マニラ(本人提供)
フィリピンで開いたファッションショー。モデルになる子どもが自ら衣装をデザインし、古着などを用いて日本のボランティアが制作した=2024年、フィリピン・マニラ(本人提供)

貧困地域で暮らし、スポットライトを浴びる機会に恵まれなかった子どもたちの中には、コンプレックスを抱え自信がなさそうに見える子もいました。でも、服を着てヘアメイクを施すと、人が変わったみたいに輝き始めました。「こんなにも変われるんだ!」という感動は、今も忘れられません。子どもたちからも「次はいつやるの?」とせがまれ、大学の休みごとにショーを開くようになったんです。

マニラなどでは治安の心配をする人もいると思いますが、国民の平均年齢が25歳と若く活気に溢れていますし、とにかく人が明るく愛嬌たっぷりなんです。初めてマニラに行ったときは、いま思うと恥ずかしいのですが「貧困地域にボランティアをしに行く」感覚でしたが、実際に活動してみると、自分が受け取ることの方が多いと気づきました。持っていったお菓子を小さな子にあげると、その子はお菓子を半分に割って私にくれるんです。自分が同じ立場だったら全部食べてしまうだろうと思い、彼らに心の豊かさについて教えられた気がしてすごく胸を打たれました。

西側愛弓さん

――2023年に始めた「coxco Lab」は、どのようなスクールなのですか。

西側: 現地のNPO団体とも協力しながら、現在16人が無償で学んでいます。1年間のクラスでは、縫製技術はもちろんデザインや服を作るためのパターン制作などをトータルで学べます。縫製に特化した3か月のクラスで、こちらは主にお子さんがいる方向けの職業訓練です。卒業後は「coxco」のスタッフとして働いてもらうなど安定した雇用にもつなげています。創業時からずっとお世話になっている国内の縫製工場さんにミシンをご提供いただいたり、年に数回技術者の方を現地に派遣していただいたりして、日本のものづくりのクオリティを直接伝えています。

当初は20年9月にスタートさせる予定でしたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでいったん白紙になるなどの苦労もありました。しかし少しずつスクールもブランドも軌道に乗り始め、昨年には、デパートの伊勢丹新宿店で「coxco」の製品のポップアップ販売を実施しました。「coxco Lab」で学んで「coxco」の現地社員1号になったフィリピン人女性(25)も来日し、お買い上げくださったお客様にその場で刺繡を施しました。彼女は12歳から家政婦をするなど苦労を重ねてきましたが、「学べて楽しいし、身に着けた技術で家族を支え、社会に還元できることが嬉しい」と話してくれました。これまで頑張ってきてよかったなと思いましたね。

フィリピン・マニラの「coxco Lab」では、1期生が縫製のトレーニンング中=2024年(本人提供)
フィリピン・マニラの「coxco Lab」では、1期生が縫製のトレーニンング中=2024年(本人提供)

――西側さんは小さいころから社会課題に関心があったのですか?

西側: そういうことでもありません。おしゃれ好きの祖父の影響もあり、物心ついたころからファッションは大好きで、好きな服を選ぶ喜びや、長い間着続ける大切さを学びました。小中学生のころからダルメシアン柄のワンピースなどを着ていたので、学校や近所の方から「派手好き」と思われがちでした。しかし自分ではデザインや縫製ができるわけでもなく、「自分は何もできない人間……」と葛藤することも多く、10代までは自分に対してポジティブになれなかったんです。

そんな将来に希望を見いだせなかった私を、引き上げてくれたのもファッションでした。18歳でニューヨークに行っていたことで「夢を見てもいいんだ」「自分から表現しなければ何も始まらない」と思えたんです。世界を旅して趣味の雑誌を作るうちに、「写真を撮るのはあまりうまくないな」とか「編集作業って難しい」など様々な発見があり、「企画やプロデュースってすごく楽しい」と、自分が好きなことや向いていることが見えてきました。仲間も少しずつ増え、いまに繋がったと感じます。好きなことを追い求めていったら、いつしかアクションになっていた……というか。好きという気持ちは大事だなと思いますね。

西側愛弓さん

――今回バトンを繋いでくださった田中麻喜子さんとは、「coxco」を通じて知り合われたのですか?

西側: 麻喜子ちゃんは、「coxco」を立ち上げる以前からの知り合いで、5~6年ほどの付き合いになります。共通の知り合いを介して仲良くなり、一緒にホームパーティーなどをして過ごしています。麻喜子ちゃんの周りにはエシカルな食に関わる人が多く、お互いに異なるジャンルでエシカル、サステナブルなものづくりに関わっているからこそ、いつも学びや気付きをもらえる大切な存在です。

――今後注力したり、新しく手がけたりしたいことは?

西側: まずはいろいろな企業や団体と協働させていただきながら、このスキームを広げて「coxco Lab」の規模を大きくすることです。フィリピンの日系企業や現地の団体と連携し、地元のお母さんたちに縫製を学んでもらい、ユニフォームに特化した縫製工場を作るプロジェクトが走り始めました。これをもっと広げて、いずれは他の国や地域にも拠点を持ちたいと考えています。

マニラの「coxco Lab」で学ぶ母親コースの生徒たち。コース終了後はcoxcoの商品も製作するように=2024年(本人提供)
マニラの「coxco Lab」で学ぶ母親コースの生徒たち。コース終了後はcoxcoの商品も製作するように=2024年(本人提供)

2つ目は、「coxco」の「ドリームアート」プロジェクトで世界中の子どもたちの夢を集めて、その夢を応援できる企画がしたいです。私は子どもたちが大好きで、彼・彼女たちに関わりたいから、事業やスクールを起こしている気がします。このドリームアートのアイテムは1年半ほど前にニューヨークの国際的な広告賞で評価をいただきましたが、コロナ禍もありそれを生かし切れていません。各国のNGO、NPO団体と信頼関係を築きながら、グローバルに展開できるよう力を入れていきたいですね。

――では、最後に西側さんにとってサステナブルとは何でしょう?

西側: 難しいですが……私にとっては、愛なのかなと。すごく抽象的かもしれませんが、日ごろから私、よく愛とか夢って言いがちなんです(笑)。もしかすると、自分の人生だけを考えたら、サステナブルに生きる必要はないのかもしれません。でも、その次の世代、さらにその先の世代が心身ともに健やかに生きていくには、環境もそうですし、いろんな社会課題に対してサステナブルであるかどうかと向き合わないといけない。自分の行いによって他の誰かがどう影響を受けるのかを想像する力や、見えない誰かを思いやる気持ちが大切になってくる。そうした大きな意味での愛が、サステナブルな社会につながっていくのだと思うのです。

西側愛弓さん

●西側愛弓(にしがわ・あゆみ)さんのプロフィール

1995年生まれ、兵庫県出身。社会起業家。神戸女学院大学卒業後、株式会社サイバーエージェントに入社し、ネット広告のセールスを担当。2019年に退社後、株式会社「coxco」およびNPO法人「DEAR ME」を創業。循環型ファッションブランド「coxco」を設立し、フィリピンで貧困層の若者や母親が無償で学べる「coxco Lab」も開設。ファッションを通じた社会課題の解決に取り組んでいる。ブランド名は、“co- creation(共創)”と“communication(コミュニケーション)”をかけ合わせた造語で、“ココ”にはhere(ここ)という意味も重ねた。

富士山麓の草木に魅せられて。アロマを手作りする田中麻喜子さんの森との暮らし ロス食材からペット用おやつを考案。山本麻実さんと愛犬の穏やかな暮らし
ライター×エシカルコンシェルジュ×ヨガ伝播人。出版社やラジオ局勤務などを経てフリーランスに。アーティストをはじめ、“いま輝く人”の魅力を深掘るインタビュー記事を中心に、新譜紹介の連載などエンタメ~ライフスタイル全般で執筆中。取材や文章を通して、エシカルな表現者と社会をつなぐ役に立てたらハッピー♪ ゆるベジ、旅と自然Love
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
わたしと未来のつなぎ方