てぬぐいカフェから盆踊りまで 瀬能笛里子さんが鎌倉で実践する”和の豊かな暮らし”
●サステナブルバトン3-7
江戸の庶民文化にひかれて
――「てぬぐいカフェ 一花屋(いちがや)」は和の風情がどこか懐かしく、落ち着ける感じが素敵です。
瀬能笛里子さん(以下、瀬能): ありがとうございます。こんな和の感じが好きで、鎌倉のゆるやかな空気を楽しみながら暮らしています。てぬぐいが人気だから、古民家カフェが流行っているから、という理由で始めたわけではないんです。カフェを開く前から、てぬぐいを個人的に収集していて、ずっとちゃぶ台や座布団がある暮らしをしていたので、その延長線上なんです。てぬぐい屋をやりたくて店舗を探していたとき、現在築90年になるこの建物を紹介されました。広い縁側や庭を見て、「ここならカフェも開けるな」とひらめいたんです。
――てぬぐいに惹かれるのはなぜですか?
瀬能: 10代のころ日本画を学んでいたこともあり、江戸の庶民文化に強く惹かれるようになりました。いまでも、江戸時代への片道切符があるなら戻れなくても行きたいと思うほどです。そんな私にとって、江戸の文化を象徴するものがてぬぐい。たとえば、茶道は由緒正しく、お作法もいろいろあり、少し敷居が高いように感じてしまいます。でも、てぬぐいは職人技の物である上に、古典的な柄や洒落などが隠れていたりするけど、それを知らなくても「カワイイ」と気軽に手に取れます。てぬぐいをギフトでいただいたり、お土産で買ったりすることもあると思います。これだけ西洋化した暮らしの中で、ひっそりとまるで和文化のスパイみたいに日常生活に潜入して(笑)、いまもそこにあるところが素敵だなと。和の暮らしを継承したいと願う私にとって、てぬぐいは“私の思いの分身”みたいな存在なんです。
――カフェを起点に、さまざまな活動を行っていますね。
瀬能: かつて私は、今とは180度違う生き方をしていました。一カ所にじっとしていられない性分で、沖縄に居たかと思えば群馬のスキー場で働くなど、仕事も点々としていました。そんな私が出産し、家に居る時間が圧倒的に増えてからは産後鬱のような状態になり、そこから生き方を考え直すようになりました。それまでどこか疎遠だった地元・鎌倉の人たちときちんと関わるようになり、今のような暮らしになっていきました。
脱原発デモを発端に始まった「イマジン盆踊り部」の盆踊り活動を中心に、春から秋にかけて行う稲作、それから毎年一番寒い季節、旧正月に鎌倉の浜で夜通し火を焚く「塩炊きまつり」。春分、夏至、秋分、冬至など、和暦に準じたリズムでさまざまな活動を続けているので「動き続けているので、止まったら死ぬ魚だな」と仲間から笑われます。
盆踊りの楽しさ伝えたい
――「イマジン盆踊り部」とは、どのような活動ですか?
瀬能: そもそもは、福島原発事故をきっかけに、鎌倉の仲間と脱原発を訴えるデモ「イマジン原発のない未来kamakura parade」を主催していました。もっと明るく楽しくメッセージを伝える手段はないかと、2012年のパレードで、浴衣で盆踊りをしながら東京音頭を替え歌にした「イマジン音頭」で踊ったのが、「イマジン盆踊り部」のはじまりです。盆踊りをするとその場が和んだのを見て、「盆踊りには可能性があるな」と感じ続けるようになりました。今年の9月で活動は10周年を迎えました。
いまでは、盆踊りの楽しさを体験してほしいと、仲間に招かれたりしながら全国へ踊りに出向いています。2015年からは、各地の民謡やオリジナル曲を収めたアルバムも制作し、3枚のアルバムをリリースしました。そうした私たちの活動を7年間追いかけた記録は、ドキュメンタリー映画「発酵する民」になり、2021年7月に劇場公開されました。現在も各地で順次公開されています。
「自ら生きる力を、取り戻す」
――自らの手で、米や塩まで作っているとは驚きです。
瀬能: ここ鎌倉からほど近い藤沢の田んぼをお借りして無農薬米を育てています。この店に集う仲間と、以前から自給自足の暮らしが大事だと話していました。東日本大震災で流通が滞ったことから、「少しでも自ら生きる力を付けたい、取り戻したい」と強く考えるようになりました。みんなで話し合うなかで「米作りをしよう」と有志で立ち上げたのが「自給道場」です。そのとき参加したご夫婦は、当初は会社勤めをしていましたが、いまでは専業農家になり、この店に無農薬野菜を届けてくれています。自給道場のメンバーはそれぞれ自給の道へと進んでいった人も多く、現在はその田んぼを盆踊り部が受け継いで稲作をしています。
――「塩炊きまつり」は、どんな活動ですか?
瀬能: 毎年、大晦日から旧正月(旧暦1月1日)に、すぐ目の前の鎌倉の浜辺で、組んだブロックの上に釜代わりのステンレスの風呂釜を置き、そこに海水を汲み入れて24時間炊き続ける行事です。塩を自分たちで作り、自給道場で作った米と大豆を使えば完全自給の味噌が仕込めるという着想から始めました。塩の炊き方は、見よう見まねでやってみたという感じです。
そこから、海水が減るとふんどし姿の男衆が海水を汲んでつぎ足すなど、オリジナルで粗野な感じになりました(笑)。昨今、多くのキャンプ場では直火を焚くことはできなくなったと聞くので、貴重な場になっていると思います。浜で勝手に塩炊きはできませんから、地元の漁師さんのご協力を仰いでいます。私たちが出来ることといえば、漁師小屋に吹きだまった砂をスコップでかき出したりすることです。関係性を築くことで塩炊きまつりは続けていけるのです。
――人とのつながりと実践を大事にしながら、活動を続けているのですね。
瀬能: そうですね。この連載でバトンを繋いでくださった前回の寺田聡美さんの実家・寺田本家でも、盆踊りを実施させていただきました。この店をはじめてすぐのころ、千葉の友人が寺田本家の酒蔵見学会へ誘ってくれたのがきっかけ。それから、寺田本家で毎春に行う「お蔵フェスタ」でてぬぐいで出店させていただくようになり、「この酒蔵で盆踊りができたらいいな」と思うようになりました。聡美さんのパートナーの現当主が和太鼓を叩くことから、フェスタの最後にみんなで踊ることができました。直近の3年はコロナの影響で叶いませんでしたが、それまでは毎年フェスタの最後は盆踊りをしています。
鎌倉を田舎暮らしの中継点に
――鎌倉をハブに、各地に仲間が増えていっているのですね。
瀬能: はい。以前から、鎌倉には自然に添った暮らしを求めて移住する人たちがいました。人と人、人と自然の緩やかなつながりが残る鎌倉で、仲間と助け合うことを知り、生きていく術を身に着けて、さらに各地方へ…。トランジション・タウン(英南部で始まった持続可能な社会へ移行するための市民運動)という言葉もありますが、鎌倉って田舎暮らしへの中継地点みたいだなと思うんです。人は入れ替わるけれど、外に拠点が増えていく感覚はあります。移住した仲間がふらっと店に来たかと思えば、『ニンジンジュース作ったから、買って!』みたいに言われることもしょっちゅうです。頑張る生産者を繋ぐ場所になっているとしたら嬉しいですね。
――今後、さらに深めたい活動は?
瀬能: 今年の夏は、盆踊りで各地を回りましたが、私たちが行くことで盆踊りの楽しさを思い出し、わが町の盆踊りを復活させようという機運が盛り上がるのは本当に嬉しいです。その輪がもっと各地に広がってほしいですね。盆踊りは本来、その町や集落で完結できるものでした。しかし多くの地域では人とのつながりが疎遠になり、地域に根差した、あるべき姿の盆踊りはいま瀕死の状態です。なので、私たちと楽しく踊ることの先に、1人ひとりが各地の地元の盆踊りや祭にその楽しさや想いを持ち帰ってもらえたら嬉しいです。
――では最後に、瀬能さんにとってサステナブルとは?
瀬能: 先祖から自分、自分から未来へ。自分が“今の担い手”であることを意識して生きることかなと。先祖が帰ってくる場を祝祭空間として迎える盆踊りを続けていると、踊りの輪はいろんな人が関わらなければ作れないとつくづく思うんです。小さいころに盆踊りの意味も分からずに遊んだところから、老いて踊れなくなるまで盆踊りは続いていくんです。そうした長い時間を共有しながら、受け取る側からいつしか渡す側になっていく。歳月のグラデーションみたいなものを、盆踊りを通じて強く感じるようになりました。
瞬間的に、「ここで次へのバトンを渡しました」ということではないと思うんです。引き継ぐには時間がかかるし、ときには変化というスパイスも必要です。盆踊りも「この形じゃなければ」と固執しすぎると、継承できなくなったりする。コロナ禍でとくにそれを感じますね。その感覚は私が古都・鎌倉に生まれ育ったからでなく、仮に5年間だけ転勤でどこかの街に行ったとしても同じことかなと。そこに居る人たちとの時間に本気で向き合えば、その地域を維持するひとりになれる、その街の一部になれる。変わることも楽しみながら、丁寧に続けていくことなんだろうなと思うのです。
瀬能笛里子(せのう・ふえりこ)さんのプロフィール:
1977年神奈川県鎌倉市生まれ。今年8月に15周年を迎えた古民家カフェ「てぬぐいカフェ 一花屋」(鎌倉市坂ノ下)の店主。仲間の生産者が作る無農薬の作物などを使ったヘルシーな発酵メニューを提供。盆踊りで平和な輪をつくる「イマジン盆踊り部」立ち上げ人。2021年コロナ禍で相次ぐ盆踊り大会の中止に耐えきれず、飛び出す盆踊りの本「盆本」を出版。ドキュメンタリー映画「発酵する民」で主演。筆文字やイラストなども手掛ける。
- ■サステナブルバトン3
#01「”賞味期限”から解放されよう」食品ロス問題ジャーナリスト井出留美さん
#02 アフリカのバナナペーパーで環境と貧困対策を実践 エクベリ聡子さん
#03「AFRIKA ROSE」萩生田愛さん ケニアのバラが紡ぐフェアトレードの絆
#04 「10着のうち1着はサステイナブルに」。スローファッションを提案する「Enter the E」植月友美さん
#05ソーシャルオーディター・青沼愛さん 「ラナ・プラザの悲劇」を繰り返さないために
#06 350年続く老舗酒蔵に生まれ、酒の飲めない寺田聡美さん 酒粕で発酵食品作り
- ■サステナブルバトン2
#01留学で気づいた「ファッションを通した社会貢献」。徳島県上勝町でゼロ・ウェイストに取り組む、大塚桃奈さんの新たな挑戦とは
#02「“エシカル”という言葉を使うことで、抜け落ちてしまう何かがある」コミュニティ・コーディネーター松丸里歩さんが考えるエシカルのかたち
#03「サトウキビストローを販売するだけでなく、回収し堆肥化までが本質」4Nature代表・平間亮太さんが取り組む、人と人とのエシカルなつながり
#04「エシカルを押し出すのではなく、コーヒーショップとしてできることを考えたい」オニバスコーヒー坂尾篤史さんが考える、エシカルの本質
#05 旅する料理人・三上奈緒さん「旅する理由は自然の中に。答えは自然が教えてくれる」
#06「自然はとても複雑で答えはひとつではない」アーティスト勅使河原香苗さんが自然から学んだこと
#07「サーキュラエコノミーとは心地よさ」fog代表・大山貴子さんが考える、循環型社会とは
#08「関わるものに、誠実に素直に対応できているか」株式会社起点代表・酒井悠太さんが福島県でオーガニックコットンを栽培する理由
#09 英国発のコスメティクス「LUSH」バイヤー・黒澤千絵実さんが魅了された「美しい原材料」の考え方
#10「心地よい空間は、他者を思いやることから」。ダウン症の人の感性を発信し、居場所作りを進める佐藤よし子さん
#11森を豊かに、自分も心地よく。森林ディレクター奥田 悠史さんが描く森の未来図
#12 ハチドリ電力の小野悠希さん「一人が出来ることは決して小さくない」地球温暖化を止めるため「最も大きなこと」に挑戦
- ■サステナブルバトン1
#01 「消えゆく氷河を前に、未来のために今日の私にできることを考えた」エシカル協会代表・末吉里花さん
#02 「ファストファッションは悪者? そうじゃないと知って、見える世界が広がった」エシカルファッションプランナー・鎌田安里紗さん
#03 「薬剤やシャンプーはすべて自然由来。体を壊して気づいた、自然体な生き方」ヴィーガンビューティーサロン美容師・中島潮里さん
#04「“地球に優しい”は、自分に優しいということ」エシカルコーディネーター・エバンズ亜莉沙さん
#05「花屋で捨てられていく花たちを、どうにかして救いたかった」フラワーサイクリスト・河島春佳さん
#06「花の命を着る下着。素肌で感じるサステナブルの新しいかたち」草木染めランジェリーデザイナー小森優美さん
#07「家庭科で学ぶエシカル。サステナブルな未来は“やってみる”から始まる」高校教諭・葭内ありささん
#08「ふぞろい野菜、瓶に詰めたらごちそうに。自然とつながる“おいしい”の作り方」ファームキャニング代表・西村千恵さん
#09「世界を9周して気づいた、子どもを育てる地域コミュニティーの大切さ」一般社団法人「そっか」共同代表・小野寺愛さん
#10「エシカルとは“つながっていること”。人生の先輩たちの生活の知恵を残していきたい」一般社団法人はっぷ代表・大橋マキさん
#11「庭で見つけた“発見”を作品に」変化し続けるアーティストasatte羽田麻子さん
#12「自分で自分を幸せにしてほしい」TOKOさんが考えるヨガとエシカルの関係
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第60回350年続く老舗酒蔵に生まれ、酒の飲めない寺田聡美さん 酒粕で発酵食品作
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第61回ユニークな手洗い機が水問題解決の糸口に。「WOTA」が目指す豊かな社会と
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第62回てぬぐいカフェから盆踊りまで 瀬能笛里子さんが鎌倉で実践する”和の豊かな
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第63回敏感肌の人が愛する、自然派コスメブランド「OSAJI」の秘密
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第64回古着物を「野良着」にアップサイクル 日常生活に採り入れ、魅力を発信 鈴木