Presented by ルミネ
サステナブルバトン

「花屋で捨てられていく花たちを、どうにかして救いたかった」フラワーサイクリスト・河島春佳さん

「エシカル」(ethical)とは、英語で「倫理的」を意味する言葉。人と自然と動物がちょうど良いあんばいで共存していける世界を目指す「エシカル」なライフスタイルに、近年あらためて注目が集まっています。 「サステナブルバトン」では、サステナブル・エシカル業界で活躍する人にバトンをつなぎインタビューしていきます。第5回はフラワーサイクリストの河島春佳さん。ドライフラワーを配した個性的なアート作品を発表する河島さんですが、素材として使うのは花屋やイベント会場などで役目を終えて捨てられるはずだった「ロスフラワー」だといいます。「花の廃棄がゼロになる社会の仕組みをつくりたい」と力強く話す河島さんは、ドライフラワー制作を通してどんな活動を行っているのでしょうか。

●サステナブルバトン05

前回のエバンズ亜莉沙さん(エシカルコーディネーター)から河島春佳さんへのメッセージ

春佳さんのイメージは、まさに「お花」のような人。カラフルなオーラを感じます。

エシカルの話題になると、どうしても食べ物や洋服にスポットが当たりがちですが、春佳さんは「花」に着目しました。花は野菜などと違って直接口に入れるものではないし、人が生きていくのに直接必要なものではないかもしれない。だけど花には人を元気にしたり、気持ちを落ち着かせてくれたりする不思議なパワーがあります。

エシカルな活動を進めるうえで最も大切なのは、自分の中の「心のあり方」だと私は思います。自分自身が愛情を持ってそこに向き合えているかどうかが重要なポイントなので、花を愛して守る行動をひたむきに続ける春佳さんを、とても尊敬しています。

「好き」を突き詰めて見えたドライフラワーの世界

――花の廃棄問題に関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

河島春佳さん(以下、河島):  私の場合、もともとエシカルや環境問題に興味があったわけではなく、単純に「花が好き」という思いからスタートしています。

そもそものはじまりは、2015 年ごろのこと。当時はファッション雑誌のEC部門で撮影の手伝いをしていたのですが、20代半ばを過ぎたところであらためて自分の働き方を見直し、「自分が本当に好きなことを仕事にしていきたい」と思ったんです。

私の好きなことって何だろうと考えた時、真っ先に浮かんだのが「植物」でした。私は登山が趣味で、北アルプスの山小屋に泊まったりした際に、高山植物の写真を撮るのがすごく楽しかった。「そうか、私は植物が好きなんだ!」と気がつきました。

加えて、大学で服飾を学んでいたので、洋服や服飾品などを作る技術があります。ものづくりのスキルと植物をかけあわせて何かできないかなと考えて、行き着いたのが「花」を使ったアート作品づくりでした。

――生花ではなく、ドライフラワーにしたのはなぜですか?

河島: 生花ももちろん好きですが、ドライフラワーのアンティークな雰囲気や色合いが好き だからでしょうか。 もともと新しいものより古いものにひかれるタイプで、時間を経てかたちを変えていったものに魅力を感じます。例えば、ドライフラワーの色合いから、もとの花の色を想像して、そこまでのストーリーに想像をふくらませることもできます。時間の経過のなかで少しずつ色や風合いが変化するのは、まるで花の生きざまを見ているようです。
また、ドライフラワーは半年ほど美しい状態で観賞できます。もちろん生花にもすばらしい魅力がありますが、ドライにすることで「花の命をもっと大切にできる」と感じました。

――ご自身の感覚に正直になることで、自分の方向性を見つけていったのですね。

河島: それから数年間かけて作品づくりやワークショップなどを行ううちに、ドライフラワー作家としての仕事を次々紹介を中心にいただくようになりました。

ちょうどその頃、知り合いの花屋さんから「花の廃棄」についての問題を聞き、頭から離れなくなったんです。

大量廃棄を余儀なくされる花業界の現状

――花の廃棄の問題とは、具体的には?

河島: 花屋さんや結婚式場等で、日々たくさんの花が廃棄されているという事実です。 私自身も2017年末、大手の花屋さんで短期のアルバイトをしていたのですが、特に印象的だったのは、クリスマスの時期です。

店先には300本以上の真っ赤なバラが並び、花束にされるのを待っています。しかしクリスマスが過ぎれば、翌日からはお正月に向けた商材を並べなければなりません。

12月25日の夜、売れ残った数百本の美しく咲くバラが、ゴミとして捨てられていく……。そんな光景を間近で見て、ショックを受けました。

――そういった廃棄は日常的に行われているのですか。

河島: 一般的に、生花店で仕入れた花のうちおよそ3〜4割が廃棄になるといわれています。なぜなら店頭に置く花はつねにフレッシュである必要があるからで、数日以内に弱りそうな花は、たとえ今きれいでも捨てなければなりません。

仕入れてから店に置ける期間はだいたい1週間前後で、残った花はどんどん入れ替えていきます。また結婚式などで大量に納品した花も、式が終わってお客様がお持ち帰りにならなかった分は、再利用せずに処分します。

ただ、花屋さんも決して捨てたいわけではなくて、どうしようもないんです。私にできるのは、この状況を少しでも多くの人に「知ってもらう」ことだと感じました。作品づくりに明確なコンセプトが生まれたのはこの時です。

「花を救いたい」切実な思いがロスフラワーに命を宿す

――それからどんな行動を起こされたのでしょうか。

河島: 廃棄されてしまう花を「ロスフラワー」と名付け、私の作品に取り入れました。具体的には、花屋さんなどからロスフラワーを仕入れ、それをドライにして作品を 制作します。お客様に私の作品を購入いただくことで、間接的に廃棄の削減をサポートできる仕組みです。

まずは都内で週末に開催される「青山ファーマーズマーケット」に参加しました。出店している花屋さんから当日の朝にロスフラワーを買取り、その場でブーケに仕立てて販売します。ロスフラワーで作ったアクセサリーやスワッグ、リースなども販売していました。

ファーマーズマーケットはもともと環境問題への意識の高い人たちが集まりますが、それまで「食品ロス」はあっても「花のロス」に関するお店はありませんでした。だから私は訪れたお客様のひとりひとりに「これはロスフラワーを使っています」とお伝えしていったのです。

こうした活動をSNSで発信することで、賛同して応援してくださる方が増え、花屋さんや結婚式場、生産者の方などから「うちのロスフラワーを使ってほしい」とお声がけをいただくようになりました。

――2018年には、フランスのパリで花の勉強もされていますね。

河島: ずっと独学でやってきたので、一度きちんと花について学びたいと思って渡仏を決めました。クラウドファンディングで渡航費の寄付を募り、パリに住む作家とコンタクトをとって、1カ月間弟子入りしました。

パリで生活して感じたのは、ここでは花が「文化」として根付いているということです。マルシェ(市場)に行くと、パンやワイン、チーズと一緒にみんなが花を買っていきます。花のある生活が当たり前だから、大量に売れ残ることもなく、花屋さんは安く販売できる。私が目指す景色はこれだと確信しました。

「花の文化」を日本に根付かせるために

――現在はどのような活動をされていますか。

河島: 2019年末には株式会社RINという会社を設立しました。また、全国約30名の「フラワーサイクル*アンバサダー」とともに、ロスフラワーに関する情報発信もしています。 想いに共感してくださる仲間と一緒に、周りを巻き込んでコミュニティをつくっていくことを意識しています。

今年2020年は、新型コロナウイルスの影響であらゆる行事が中止となり、そこで飾られる予定だった大量の花の行き場所がなくなりました。ある生産者の方から「助けてほしい」とご連絡をもらったことがきっかけで、出荷することができない花を代理販売するオンラインショップ「フラワーサイクルマルシェ 」を始めました。

これが予想をはるかに越える反響で……。おうち時間を楽しむために、花を飾ろうとするお客様が増えたのだと思います。

――作家として創作活動を続けながら、同時にロスフラワー削減の働きかけを続ける河島さんの原動力は何でしょうか。

河島: 花が大好きだから、同じ思いを持つ人たちをひとりでも多く増やしたいんです。花はそこにあるだけで視覚的に楽しめて、精神的に豊かにもなる。こうした花への感受性は、人間だけが持つセンスかもしれません。花を大切にすることは、植物や自然を大切にすることにつながり、その心は必ず自分自身に返ってくると私は思います。

 

●河島春佳(かわしま はるか)さんのプロフィール
フラワーサイクリスト。1988年、長野県生まれ。東京家政大学で服飾美術を専攻した後、ファッション雑誌の撮影アシスタントなどを経て、ドライフラワー作家として独立。廃棄直前の花を「ロスフラワー」と名付け、積極的に作品に活用する。代表を務める株式会社RINでは、花の廃棄を減らすためのビジネスを展開。なお、肩書きにある「サイクリスト」は環境用語である「アップサイクル」からの造語で、ものづくりの力で廃棄品にさらなる価値を与えることを意味する。instagram:@haruka.kawashima

ことりと暮らすフリーランスライター。米シアトルの新聞社を経て、現在は東京を拠点に活動中。お坊さんやお茶人をよく追いかけています。1984年生まれ、栃木出身
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。
わたしと未来のつなぎ方