失敗は誰にでもあるから。夫婦で歩むでこぼこ道 金子恵美さん×宮崎謙介さん対談
「妻の活躍を面白く思わない」男性もいる中で
――本日はお二人でありがとうございます。宮崎さんは現在コンサルタント会社を経営されているということですが、お二人とも以前は同じ政治家の仕事をされていました。夫婦で同じ仕事をするメリットやデメリットはどう考えていますか? 同業の場合、昇進や給与などに差が出ると、快く思えないといった声も時にはあるようですが。
金子: メリットとしては、やっぱり同じ仕事だと大変さもわかりますよね。政治家でいうと、「地元回り」で有権者から厳しいことを言われることもあるのですが、そういう時に「こんなことを言われた」とお互いに吐き出せて、励まし合えます。
宮崎: 嫌なこともありますからね。それは理解して、お互いにアドバイスもできます。逆にデメリットで言うと、僕はその後、議員を辞めるわけですけど、辞めて無一文になった時に、彼女はもう産休から復帰して、大臣政務官をやっている。そういう時に周りから「お前、つらくないの?」って言われたりするんですよね。僕は別にそんなことはなくて単純にうれしかったんですけど。
金子: そこは驚きました。議員って男性同士でもすごく嫉妬があって、「どっちが上がっていくか」を気にする世界なんです。まして夫婦間なので、 妻の活躍を面白く思わない男性は多いと思います。彼も議員を続けていれば順当に政務官になることもあったはずなんですけど、失職して、私が先になった。その時、逆に私がこの人の立場だったらこうできるかなと思うくらい本当に喜んでくれたし、全面的なサポートをしてくれました。私はそれにすごく救われたなと思うんです。そうでなければお互い変な配慮をしなければいけなかったかもしれないですよね。
宮崎: 同じ仕事をしていると夫婦でライバル関係になるという話も実際に聞きますけど、僕はちょっとその感覚はわからないんですよね。ひとつのチームみたいな感じでやっているイメージです。それぞれしたいことをやるというのがベースにあるので、それを尊重して、応援する。だからひとついい話があったら素直にうれしいっていうことなんだと思います。

プライベートな事情は隠すよりも言っていく
――「妻の活躍が面白くない」という夫がいるとしたら、やはり「男性のほうが出世すべし」といった周りの声も影響しているのかもしれませんね。
金子: 彼が育休を宣言した後、「男は外で働いて出世するもんだ」という価値観を持っている世代の議員は確かにいましたからね。
宮崎: あの時にはそういう価値観の人からの圧は結構強く感じました。議員を辞めてから、ビジネスの世界でもそういう“昭和的”な考え方を持っている人は多かった。でも、価値観が近しい人は応援してくれるので、自分の考え方は明確に伝えていったほうが道は開けるのかなと思うんです。
例えば仕事で会食の約束があるのに子どもが熱を出した。でも彼女の帰りが遅くなるという時に、会食相手に正直にそう説明すると、「全然気にしないでいいよ」と言ってくれる人との関係が、結局は続いていくんです。プライベートな事情を隠しがちな人もいると思うんですけど、どんどん言ったほうがいいのにって僕は思います。
――宮崎さんが育休宣言をされたころより、今はだいぶ理解が進んだかもしれませんね。
宮崎: 男性の育休って言っても、当時はみんなよくわからなかったですからね。
金子: あのころの自民党ではそういう勢力が大きくて、リベラル寄りの政策を言ったり、まして「雑巾がけ」しなきゃいけない若手が注目されたりすることが面白くないという人もいた。彼はそういう渦に驚くほど巻き込まれていったんですよね。
宮崎: あの時の永田町での孤立感といったらなかったです。最初は応援してくれる若手もいたんですけど、上の人から「お前、あいつと関わんなよ」って引き離されて。最初20人ぐらい勉強会の仲間がいたんだけど、最後は一人しか残らなかった。

育休宣言で注目を集める中、あの騒動が
――宮崎さんが起こした男性育休のムーブメントに、特に若い世代の有権者はすごく期待しました。そこに、あの「女性問題」の騒動が起きてしまった(『#4 夫の過ちをなぜ許せたか。関係修復の処方箋とは』)。今になってご自身で振り返るといかがですか?
宮崎: もう「未熟だった」以外の何ものでもないですよね。さっき申し上げたように、孤立感。「育休宣言」をしたことで、上の先輩から毎日呼び出されて想像を絶する叱責を受けていた。一方、彼女は臨月で、しかも切迫早産で病院を出たり入ったりしている状態だったので、「心配かけちゃいけないな」と思って、途中から相談できなかったんですよ。そういう時にスッと来るんですね。
――「誰かに話を聞いてもらいたい」というタイミングだったと?
宮崎: 突然降ってわいたような人に、なぜ行ってしまったのか……。
金子: それが“政治の怖さ”なんです。人間の心理で、弱っている時にこそ女性問題とかお金の問題とかにいってしまう。
――金子さんは、出産した夜に病院で「女性問題」報道について打ち明けられ、よく耐えましたね。宮崎さんから話を聞いて、開口一番に「なんだそんなことか」とおっしゃったとか。
宮崎: 本当にそう言っていました。「お金の問題じゃないならよかった」って。(金子さんの顔を見て)あなた強かったね。当時、政治家の金銭授受疑惑で騒がれた時期だったのもあって、「刑事事件じゃないならいい」って。刑事じゃないけど民事では家庭内で紛争になるようなことなんだけど……。
金子: ちょっと変な話なんですけど、「世界中全てが敵になっても私だけは味方だよ」って、なんの気なしに言えちゃったんですよね。多分彼は非難の的になるんだろうけど、守ってあげるし、子どもと私は大丈夫だよって、なぜか思ってしまった。我ながらどっかずれているというか、鈍感なんですかね。
宮崎: 彼女は人と比べると強いというか、ちょっと独特のメンタリティーがある気がしますね。「そこ、気にならないんだ」と日々感じますよ。

よみがえる“しんどかった”あの頃の記憶
――「女性問題」報道を受け、宮崎さんが2016年2月に議員を辞職。翌年の総選挙で金子さんが落選され、お二人とも政界を離れました。
宮崎: 辞職した後、4月には仕事を始めましたが、最初は自分の小遣いぐらいにしかなりませんでした。我が家は金子の収入で回っていて、僕はせめて迷惑をかけないようにと。カードの支払いも住民税の支払いもできないような時もあって、あの時はしんどかった。自分のことだけだったらまだいいけど、子どものこともあるし。そうこうしているうちに彼女が落選してしまった。
そこからは死に物狂いでした。仕事の取引先にも金額交渉のお願いをして、あちこちに営業をかけまくって。シビアに金儲けに走りました。テレビもバラエティー番組だろうとなんだろうと出まくった。「いじられるの上等」って、家計のために切り替えました。
金子: 世間のイメージを上書きしたいという思いもあってね。それにしても、落選して1回目のクリスマス、思い出すよね……。私はクリスマスが小さいころから大好きで、何より大事にしているんです。彼は付き合っている時からそれをよく知っていたから、お金のないクリスマスをどうしよう、と思ったみたいで。
宮崎: 大学生みたいな予算しかなかったです。「これしかないんだけど、プレゼント買いに行こう」って言って、一緒に買い物に行きました。
金子: お金がないのに頑張っているのがわかるから、値段をよく見ながら「これでいい」ってネックレスを選んだ。なぜかVのネックレスを買ったんですよ。V字回復を願ったのか(笑)。今は神棚に置いてあります。「あのつらかったクリスマスを忘れちゃいけないよね」という意味も込めて。今でもあのころに流れていた曲と匂いっていうのは、忘れないですね。
宮崎: 当時、我が家に子どもをのせると泣きやむベビーバウンサー(ゆりかご)があって。スイッチを入れると音楽が流れるんです。曲名もわからないんですけど、今でもたまに街で流れて、あれを聴くと一瞬であのころに戻るよね。
金子: もうまざまざとあの頃の光景が浮かぶ。議員宿舎で日が差している中、手伝いに来ていた私の両親と、この人と、寝ている0歳児の息子がいて、シーンとしている……。つらかったけど、でもなんかそれはそれで楽しかったっていう思いもあるんですけどね。
宮崎: 僕はみじんも楽しくなかったけどね。

「魔が差すこともある」。そんなときは……
――誰しも「魔が差す時」はあるのでしょうか……。そういう状況に置かれた人に向けてアドバイスするとしたら?
宮崎: 講演とかでもよく聞かれるんです。「あの時に戻ったら、自分になんて言って止めますか」って。僕は言うんです。「止められません」って。
金子: だめじゃん。
宮崎: 要は、誰にでも起こりうることだし、失敗をどう回避するかももちろん大事だけど、もっと大事なのは、失敗してしまう自分さえもちゃんと受け止めて、どういう風に前向きにリカバリーしていくのか、ということです。同じような失敗をなるべくならしたくないけど、また大きな失敗をするかもしれない。それが人間だと思って生きていく。そうじゃないと生きにくいから。人間は不完全なものなんだと理解した瞬間から始まるんです。
人間、魔が差すこともありますよ。それは絶対にある。僕が言いたいのは、魔が差してしまった自分を嫌いにならないでくださいってことですね。等身大で言ったらそういう話になります。「先のことを考えろ」とか「理性的になれ」とか言うつもりはないです。

不妊治療のつらさ、言葉で慰めるよりも
――連載では不妊治療への思いも語ってくださいました(『#2 6年間の不妊治療を語る 「女性が“リミット”を考えるということ」』)。やはり大変な時も一緒に乗り越えたという夫婦の信頼関係があってこそ、共に取り組めるのかもしれませんね。
金子: 気付いたら私はもう47歳。45歳までって言っていたのに、と彼は思っているはずですが、それに対して口出しすることはないです。お互い相手が本当にやりたいことに対してブレーキをかけることはないよね。
宮崎: この人がしたいと決めているのであれば、その意向が第一。結局、その場その場でベストな選択をしていくしかないと思うんです。これまでを振り返ってみても、プラン通りになんか全然なっていないですからね。これからもやれることをやっていくということ。どこかで打ち止めの時は来るはずなので。
――「今回もだめだった」と落ち込まれることも多いと話していらっしゃいました。宮崎さんはどのようにサポートされていますか。
宮崎: 言葉で慰めるより、パーッと飲みますね。そうすると翌日にはもうケロッとしている。「じゃあ次、頑張ろうか」ってね。表に出していないだけなのかもしれないけど。元々、確率は低い。宝くじが当たる確率よりは高いかもしれないから頑張っていきましょう、という感じです。
金子: 確かに「元々奇跡みたいなことなんだから」ってよく言うよね。そう言われると、「まあ確かにそうか」と思える。一緒になって落ち込んでいてもしょうがないですからね。

「夫婦別姓」の議論、どう考える?
――最近の政策トピックでいうと、「選択的夫婦別姓」についてはどのようにお考えですか。お二人が結婚する時には、そういう話はしましたか。
金子: 私は、特に「金子」を変えたいというわけでもなかったんですけれども、自然と「宮崎」になるものだと思っていました。古典的な観念かもしれないですけど、選挙においてはそのまま金子を名乗れますし。でも、結婚前の地方議員時代、旧姓の通称使用がまだまだ進んでいなかったので、それは困るし、多様な社会になっていないな、とは思っていました。
宮崎: いつも「宮崎」「金子」で名乗っているので、たまに病院に行った時などに、彼女が「宮崎さん」と呼ばれて「はい」と返事しているのを見ると、違和感があるほど。そうか、この人も宮崎なんだな、と。実質、選択的夫婦別姓のような生活を送っている感じですね。
金子: 私は「宮崎さん」と呼ばれても自然に受け入れられるんですけど、そうじゃない人たちも一方でいる。通称使用の拡大を進めてきている中でも不都合や不利益がある人たちもいると考えると、やっぱりその声に耳を傾けなければいけないと思います。保守の「伝統的な家族観」といった話ではなく、もう少し現実的な事象に対して議論を詰めていくべき。これだけ世界情勢も非常に変わってきている中で、焦点がそこだけにあるのも違うかなとは思いますけど、先延ばしにするのもそろそろ限界ですよね。
宮崎: 何が何でも今の制度を守るということに固執する必要はないと思うんですよ。名字なんてせいぜい明治時代に始まった制度ですし。「伝統」と言うんだったら、江戸時代とかもっと前は違ったはずなのに、妙に近現代にこだわるからアンバランスなんじゃないかと思ってしまいます。今はこれだけ多様な家族観になってきているわけだから、それしかだめということではなく、認めていく方向でもいいのではないかと僕は思っています。
ただ、息子は戸籍上宮崎姓になっているので、例えば夫婦別姓で次に生まれた第2子を仮に金子姓にしたら、きょうだい間で姓が違ってしまう。それをどう整理するのか、という議論はありますよね。

「最強の候補者妻」になる日も?
――今後の活動についてのお考えは? それぞれ政界への復帰も考えていらっしゃるのでしょうか。
宮崎: 「また政治をやりたい」と熱が高まったこともあったのですが、今は政治家にこだわらず、自分がやりたいと思ったことや社会貢献はいろいろな方法でできるのかなという気がしています。もちろん今は立法することはできないですが、逆に一議員としてできなかったことも多々あるので。
金子: 私は最後の選挙で落選した結果を受けて、一旦、政治家としてではなく、広義的な政治活動をしていったほうがいいんだろうなと思いました。講演会やメディアを通して、一議員として訴えるよりも有権者に伝えられることがあると思うんです。
でも彼に関して言えば、選挙に落ちたわけではなく自分で辞めたので、チャンスがあればという思いはずっとあります。発想力や行動力、突破力のある人が、こういう時代には必要だと思うんです。でもまずは本人の気持ち次第。もし彼がやりたかったら、最強の「候補者妻」をできる自信はありますよ。
