金子恵美さん、いま改めて考える“公用車ベビーカー”問題。育児中の女性の働きやすさを実現させるには?
公用車は「政治家の特権の象徴」? ルール上問題なかったが……
長男出産から半年で総務大臣政務官に就任した私は、初めての子育てと公務に忙しくも充実した日々を送っていました。そんな矢先の2017年、週刊誌報道をきっかけに批判を浴びたのが、いわゆる“公用車ベビーカー問題”でした。
当時私は、事務所のある永田町の議員会館内の保育所に息子を通わせていました。そして、赤坂の議員宿舎から公用車で公務に向かう途中、息子を乗せて保育所に送ったところを週刊誌に撮られ、「公用車の私的使用疑惑」と報じられました。
そもそも公用車は、大臣・副大臣・政務官の政務三役などが公務のために利用します。過密なスケジュールのなかで、時間的な効率性はもちろん、移動中も機密漏洩を防ぎながら秘書官と打ち合わせができるといった利便性もありました。
普段は基本的に、夫の宮崎(謙介・元衆議院議員)や、子育てを手伝うために新潟から上京してくれた私の母が、車やベビーカーで息子を送迎していました。私が送る日は、議員宿舎から歩いて15分ほどベビーカーを押していくこともありましたが、公務に向かう途中に公用車で寄るほうが合理的と判断して乗せていくこともありました。公務に行く途中で保育園などに立ち寄ることは、総務省のルール上も問題ないことは確認していました。
ただ、当時は東京都知事が公用車で繰り返し別荘に行っていたことが問題になった後。公用車というものが、政治家の特権の象徴的な存在になっていて、なぜ公用車に乗るかという議論より、乗ること自体が問題視される風潮があったと思います。さらに、夫の女性問題が報じられた後だったこともあって、我々夫婦は批判の対象にしやすかったのだとも思います。
公用車から子どもを降ろしてベビーカーに乗せているところを切り取った1枚の写真だけを見たら、「自分たちは大変な思いをして自転車で送迎しているのに、政治家は公用車で楽なもんだ」と思われた方もいたかもしれません。ルール上問題ないと説明しましたが、イメージは払拭できないまま、どんどん大きな問題に膨らんでしまいました。
議論できぬまま政権批判の材料に
政務三役は総理に任命責任があります。当時の安倍政権下、野党からすれば格好の政権批判の材料というわけです。「なんと言われてもルールに則っているなら使い続ければいい」という意見もありました。でも問題が変に大きくなってしまったことから、当時の高市早苗・総務大臣とも相談して、いったん退くことに。「今後は保育所への送迎に公用車は使わない」と表明しました。
でも、その判断は間違っていたかもしれません。これから子育てをしながら政務三役などのポストに就く人はますます増えていくでしょうから、私はこれをきっかけに公用車の意味づけや子育て中の議員の働きやすさについて一度しっかり議論して、ルールに則っているから問題ない、と国民の皆さんにご理解いただければと思っていました。
その議論を深められないまま、あっという間に次の選挙になり、私は落選。その後も、同じように政務三役の女性が公用車で保育園に行ったことが週刊誌に報じられたことがありました。あのとき議論を深められなかったがために、また同じように女性議員が叩かれてしまったことは、とても無念でした。
国会での「マタハラ」「マミートラック」
そもそもこの問題の背景には、今まで子育て中の女性政治家があまりいなくて、政務三役が公用車に子どもを乗せるというシチュエーションが想定されてこなかったことがあると思います。議員の中心は男性。日本では国会議員に「育休」制度がないということにも通じていると思います。民間では当たり前になりつつある制度が、本来社会を作るべき政治の世界にはないというのが現状なのです。
妊娠中や子育て中の議員に対する不寛容さ、今で言えば「マタハラ」や「マミートラック」にあたるものを感じたことは、妊娠中から何度もありました。私はお腹が大きい状態で本会議や委員会に出席していました。私が所属していた予算委員会は、テレビ中継も入る、いわば“花形”のポスト。まだ出席できると言っても、先輩議員からは「いつ休んでもいいよ」と言われました。ただし戻ってくるときはそのポストはない――。そんな思いが透けて見える言い方でした。
夫も議員在職中に「育休宣言」をしたことで、毎日のように先輩議員に呼び出されて撤回するように言われていました。男性の育休は自民党にとってはリベラル寄りですからね。私も一緒にいるところで、「お前たち馬鹿のせいで自民党は迷惑を被っているんだ」とはっきりと言われたこともありました。政治の世界では、妊娠や子育てをしながら働く議員がいること自体が違和感あることだったのでしょう。それでは女性議員が増えるはずがありませんよね。
ただ、実は女性の政治家が増えてこないのはなぜかと言ったら、政治家だけでなくやはり有権者の意識改革も必要だと私は思うんです。女性が立候補したとしても、夜の会合や地域のお祭りへの参加、長時間ひたすら握手して歩くとか、旧来のやり方が評価されるような選挙戦では、女性の政治家はなかなか生まれません。
女性を増やす「クオータ制」には慎重だった私も……
今回の衆議院議員選挙、女性の当選者は73人と過去最多になりましたが、それでも当選者に占める女性の割合は15・7%。私が国会議員だった7年前と比べると、地方議会も含めて女性議員の数は少しずつ増えてきていますが、そのスピードはやはり遅い。女性の候補者自体をもっと増やしていかないといけません。
議席や候補者の一定割合を女性にあてる「クオータ制」の議論は、私が地方議員のときからありました。実はそのときは、私はクオータ制には慎重派だったんです。本来は、女性の意見が政治に反映されることに意味があるのであって、ある意味“無理やり”女性の数を増やすというやり方が果たしてどうなのか。有権者の意識が変わり、投票行動が変わった結果、女性議員が増えていく、というのが理想なのではないか、と思っていました。
ただ、そのときは、この「意識を変える」ということが、こんなにも時間がかかることだとは思っていませんでした。長年かけて分かったのは、残念ながら日本の社会構造と、それにより形成される意識下でのジェンダー問題は根深いということ。ならば枠を作ってでも女性議員を増やし、「女性が政治家や指導的立場にいると社会にこんなに恩恵あるんだ」と分かっていただく。まず女性の数を増やしてから意識を変える、と順番を変えたほうがいいと思うようになりました。
2018年には、各政党に対し、男女の候補者数が均等になることを目指して取り組むように求める法律が成立しましたが、結局、法的拘束力が弱い「努力義務」にとどまってしまったんです。例えばフランスでは「パリテ法」といって、各政党に男女同数の候補者擁立を義務づける法律があります。そうすると当然、改革が圧倒的に早く進みますよね。
世界的にはジェンダー格差に関する問題は「社会問題」であり「経済戦略」であるとも認識されています。つまり、ジェンダー格差の解消は社会全体に恩恵をもたらすことであると認識されているんですね。でも日本では「女性問題」ととらえられ、まるで女性だけに関わる話であるように扱われます。
そして、こういう話をすると、「女性の権利ばかり主張するな」と言われるのですが、それもある意味一理あって、男女どちらの希望や権利も認められるのが男女平等だというのはその通り。例えば、男性が家事や育児を優先する、主夫になるといった選択をすると、「女よりも稼げない男なんて」と言う人がいますが、そういう選択も自然と受け入れられるように、古い価値観はアップデートしなければいけないのではないでしょうか。
今は“外から改革していく”立場で
毎年6月に発表される「ジェンダーギャップ指数」で、今年の日本の順位は146カ国中118位。G7では最下位でした。「教育」と「健康」は世界トップクラスなのに、遅れているのは「経済」と、特に「政治」の分野ですね。石破内閣では女性の閣僚はまた減って、後退してしまいました。日本も進んでいる方向性は間違っていないけれど、とにかく世界と比べれば変革のスピードが遅い。そのことをまず国民の皆さんに認識いただくことが大事だと思います。
9月に行われた自民党の総裁選では、石破さんと高市さんの決選投票に。日本でもついに女性の総理が誕生するのかと期待しました。高市さんは政治家として能力が高く、女性がトップに立てば日本社会全体の意識が大きく変わり、対外的にもそれをアピールできるチャンスだったと思います。いつかまた同じような状況が訪れたら、派閥の縛りやメンツなどにも左右されず、女性総理を誕生させることができるのでしょうか。
今回の衆院選では、皆さんはどんな思いを一票に託しましたか? 私も「もう一度政界に戻る気はないのか」というお声がけもいただきましたが、お断りしました。今の私にとっては、さまざまな発信や活動を通して、“外から改革していく”立場のほうがいい。中に入ると逆に自由に言えないことも出てきますからね。