金子恵美さん
金子恵美の獅子奮迅 〜二兎追って三兎得るために〜 #2

金子恵美さん、6年間の不妊治療を語る 「女性が“リミット”を考えるということ」

等身大の言葉で視聴者らの支持を集める、テレビコメンテーターで元衆議院議員の金子恵美さん。29歳で地方議員に初当選してから5年で国会議員に。キャリアに邁進する一方で、結婚や妊娠・出産は「いつかは」と後回しにしたという後悔も抱えていると言います。そうした歩みを踏まえ、キャリアや家庭生活・趣味など、女性の生き方について考える連載。今回は、第1子出産後、現在まで6年に及ぶ自身の不妊治療について語ってくれました。
金子恵美さん、コンプレックスが私を作った 政治家になるまでの道

結婚も出産も「いつかできるだろう」は甘かった

29歳で新潟市議会議員になった私は、村長だった父のようにしっかりと腰を据えて地元のために尽力したいと思っていましたが、さまざまな巡り合わせもあって、32歳で新潟県議に、34歳で衆議院議員になるという大きな変化を経験しました。本来、女性として結婚や出産を考えるべき時期にキャリアチェンジの機会が続いたので、自分のライフプランについて考える余裕がないまま、いつの間にか年齢を重ねてしまいました。

その間、恋愛を全くしていなかったのかと言われればそうではありませんでしたが、二の次、三の次でした。かっこつけたことを言うようですが、自分自身の幸せよりも、皆さんのために仕事がしたい。「政治家たるもの24時間365日働かなければならない」と思い込んでいたんです。結婚も出産も「いつかできるだろう」と何の疑問もなく当たり前に思っていました。今思うと、本当に甘かったと思います。

2012年に衆院議員に初当選し、同僚議員だった宮崎謙介と出会いました。彼はちょっと変わった人で、最初からぐいぐい来る(笑)。当時の私は「国会議員になったばかりなのになんなの?」と思っていたほどです。彼は当初から、結婚や子どもを望んでいました。彼のご両親が離婚され、大きなショックを受けたという経験があって、「幸せな家庭を築きたい」という思いが強かったんです。

そんな彼との交際の中で、次第に「出産や育児という時間は当たり前のように訪れるのではなく、意識的に考えないといけないんじゃないか」と考えが変わっていきました。ようやく“リミット”を意識できたのは、彼のおかげだったと思います。

二人目が欲しい……40歳目前で不妊治療を開始

その後、37歳で結婚。第1子は自然妊娠でしたが、レディースクリニックの先生に「この年齢での初産は決して若くないんですよ」と言われて、もっと早く妊娠を考えておくべきだった、と改めて気付かされました。

38歳直前で長男を出産後、2カ月で国会に復帰しました。当時、宮崎の女性問題で世間をお騒がせしていたので、とにかく私が出て行って説明しなければと、予定よりも早い復帰でした。その後、出産から半年で、総務大臣政務官に任命されました。

二人目が欲しいと思ってはいましたが、仕事が忙しくなり、次の選挙活動も始まる中で、あまりアクションは取れていませんでした。年齢のことは気になっていましたが、一人目と同じように二人目も自然妊娠できるだろう、とどこかで過信していたのかもしれません。不妊治療を始めたのは議員を辞める直前、40歳手前になってからでした。それからなかなか妊娠に至らず、かれこれもう6年以上。転院も繰り返し今のクリニックで三つ目になります。

産休を終え、衆院本会議に出席=2016年4月、飯塚晋一撮影
産休を終え、衆院本会議に出席=2016年4月、飯塚晋一撮影

治療スケジュール調整に難航。心身の負担も

最初のクリニックではタイミング法から始めました。でも上手くいかず、やはり不妊治療で妊娠した知人に紹介してもらい、二つ目のクリニックで体外受精を始めました。しかし、そこでも妊娠に至らず、さらに別の知人に紹介してもらった三つ目のクリニックに通っています。

実感しているのは、とにかく治療時間の確保が難しいということ。働いている方含め皆さん同じだと思いますが、周期ごとに状況が違って、逆算してもなかなかうまく治療のスジュールがはまらない。地方での講演で東京にいないとか、生放送の仕事と重なってしまうとか、治療のタイミングがとても難しいのです。受精卵を子宮に戻す前は、逆算してきっちり決まった時間に薬を飲んだり、膣から直接薬を入れたりする必要がありますが、その時間が講演の最中だったりして、うまくいかないことも……。

体力面の問題もあります。仕事で移動が多いので、時間をやりくりして採卵して、その後すぐに新幹線に乗ることもあります。処置は先生がやってくれるのでこちらは寝ているだけでも、身体には負担になっているのでしょうね。ものすごいだるさを抱え、新幹線で東京―大阪を往復する。もちろん自分でやろうと思ってやっているわけですから、我慢しなければいけないのですが、身体へのダメージは少なからずあると思います。

クリニックはとても混んでいるので、1回の通院で2~3時間かかる時もあります。何より、そうやってなんとか時間を割いて何度もクリニックに行って治療に取り組んでも、「今回はだめでした」と簡単に結果を告げられる。その言葉を聞くたびに、なんとも言えないむなしさを感じます。ストレスのせい?仕事で移動が多いから?と、理由を探してしまいます。

夫は100%協力体勢「納得いくまでやろう」

不妊治療に関しては私が希望して、夫は100%前向きに協力してくれています。採精も最大限意識して時間を作り、必要な時にやってくれます。私の気持ちに寄り添い、「納得いくまでやろう」と言ってくれています。夫の理解と協力は大きな支えになっています。

不妊治療中の知り合いから「二人のことなのに、なんとなく一人で頑張っているような気がするのが一番つらい」と聞くことがあります。パートナーはお金の問題や仕事のことなどで頭がいっぱいなのかもしれないけれど、治療の成果が出ないのに加えて、それはとてもつらいことだと思います。

私のように二人目が欲しくてできないと、周囲から「一人産んでいるから当たり前にできる」とか「一人いるからいいじゃない」などと思われがちですが、そう言われることもまたつらいものです。二人目の不妊治療でも、子どもがいない方と同じように強い願いと不安を抱え、切実な思いで闘っている、そこは共通していると思います。

産みたいと願う人がチャレンジし続けられるように

不妊治療では、お金がどんどん飛んでいきます。経済的な理由で治療をあきらめている多くの夫婦がいるということに、政治家もやっと気づき始め、ここ数年、不妊治療への保険適用拡大といった動きがあります。私はよく、男性議員の方々に平日の日中のレディースクリニックの混み具合を見にいってほしい、と言うんです。多くの女性やパートナーが時間もお金もやりくりして治療に取り組んでいるという現実が、永田町にはいまいち伝わっていないのではないでしょうか。

現在、不妊治療に公的医療保険を適用する条件は、治療開始時点で「43歳未満」とされ、回数制限も設けられています。公費による助成ですから、妊娠率などの科学的な根拠を用いて、より成果が出やすいものに投入するという側面はあるでしょう。ただ、できたら単純に年齢という数字で区切るのではなく、「子どもが欲しい」という一人一人の希望に重きを置いて、もう少し柔軟に考えられないでしょうか。

子どもが生まれるかどうかは少子化対策の肝になる部分。みんながみんな子どもを希望しているわけではないですから、子どもが欲しいという人がなるべくあきらめずチャレンジし続けられるようにしてほしい。30代以降の結婚・出産が当たり前になっている実態まで踏まえて、考えてほしいと思います。

金子恵美さん

0.1%でも可能性があるなら……

私自身は現在46歳。本当は「45 歳でやめよう」と決めていました。治療をやめたら、結果が出なくて落ち込むこともない。「もう踏ん切りをつけた方がいい」と思う一方で、どこかで「1%でも、0.1%でも可能性があるなら……」という思いが消えません。

息子も小さい時からきょうだいを欲しがっていて、七夕の短冊に「妹が欲しい」と書いたりしているのを見るたびに、息子のためにもうちょっとだけ、と思います。「ごめんね。ママがちょっと歳取っちゃったからね」と思わず言ってしまうこともありますが……。

治療のたび、クリニックに来なくていい日はいつ来るんだろう……とも思いながら、「やめるのはいつでもできる。一度きりの人生だから」と言い聞かせて、あとはお金がもつ限り、夫が反対しない限り、もうちょっと頑張ってみようと思っています。

不妊治療における「納得」とは?

不妊治療における「納得」とは何でしょうか。一番のゴールはもちろん妊娠ですが、そうでないなら、クリニックの先生に「もう採卵できません」と言われて、科学的に無理だとなった時でしょうか。それでも果たして「納得」できるのかどうか……本当に難しいです。

40代後半で妊娠した、というような方も実際にいらっしゃることは希望でもありますが、それが奇跡的でまれなケースであるということもきちんと認識しなければいけません。妊娠とは個人差が大きいこと。もっと若くても治療が難しい人もいますし、子どもができることは本当に当たり前なことではないんですよね。

夫からは最近、治療による身体への負担や、この年齢からもう一度子育てを始めることを考えると、「やめた方がいいとは言わないけど、義務みたいにやることでもないんじゃない?」と現実的なことも言われました。

「生理が来たら必ず3日以内にクリニックに行く」というようなことを繰り返していると、惰性ではないですが、「行かなきゃいけない」と思い込んで続けている面もあるのかもしれません。1週間のうち1日しか休みがなくても、レディースクリニックに足を運ぶことにしか頭がいかない。でも別の考え方をすれば、その分の時間を美容とかマッサージでリラックスするとか、他のことに時間を割いてもいいのか、と夫に言われて思いました。

20代、30代のうちからライフプランを考えて

一般的に、仕事に慣れて脂がのってくる時期というのは、だいたい30歳を過ぎたころですよね。女性の場合、それが妊娠・出産適齢期とどうしても重なってしまいます。これからの女性は、仕事やプライベートで二兎も三兎も追える時代です。どちらかをあきらめるという時代ではありませんし、両方充実させてほしい。政治が、それができる社会にしなければならないと思います。ただし、頭の片隅で“リミット”を意識して、自分の身体の状態も知っておいて欲しいです。

やはり私は政治や選挙に没頭し過ぎました。それは私の使命だったのかもしれないけれど、一人の女性として考えたとき、「公共のため」と凝り固まった考えを持っていなければ、また状況は違っていたのかもしれません。後に続く世代は、20代、30代のうちからライフプランを考えてほしいと心から願っています。

不妊治療について、私なりに伝えていきたいとも思っているんです。しないで済むほうがいいけど、もしするとなったら、夫婦で一緒に協力しながら、できる家庭はチャレンジしたらいい。頑張る女性たちのさまざまな選択のために、発信をしていければと思います。

金子恵美さん、コンプレックスが私を作った 政治家になるまでの道
1978年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2007年新潟市議会議員選挙に当選、新潟県議会議員を経て、12年に衆議院議員に初当選。16年に総務大臣政務官に就任。17年の衆議院議員選挙で落選。現在フジテレビ系「めざまし8」、CBC系「ゴゴスマ」など、多数のメディアにコメンテーターとして出演中。
愛媛県生まれ。5年間の都内学習塾勤務を経て、2011年にフリーライターに転身。ウェブや雑誌のインタビュー記事、教材や試験問題の作成や小論文の添削などを担当する。高校生と中学生の息子とのおしゃべりが大好き。
2007年来日。芸術学部写真学科卒業後、出版社カメラマンとして勤務。2014年からフリーランス。