元衆議院議員・金子恵美さん、「夫(宮崎謙介さん)は同志であり尊敬できる存在」。赦し続けた日々を語る
2度の不倫報道を経験して
2016年2月、金子さんが出産で入院中に夫の宮崎さんが不倫をしていたことが週刊誌に報じられました。宮崎さんは同月、責任を取って自民党を離党、衆議院議員も辞職しました。2020年には、宮崎さんの2度目の不倫が報じられます。
──宮崎さんの不倫報道について2度も赦すことは容易ではなかったと思います。なぜその後も夫を信じられたのでしょうか。
金子: 我々が政治家だったことが、特殊な状況だったのだと思いますね。宮崎から「週刊誌に女性問題が載る」と言われる前から、なんとなく宮崎は足を引っ張られるかも知れないと、政治家としての予感がしていました。
私の出産に際して宮崎は、育休を取ると宣言していました。育休取得宣言は、男性国会議員初。世間から注目され、自民党の革新派の方々には支持していただきましたが、保守派の方々には日々、宮崎は呼びつけられて怒られていました。これは何か起こるぞ、と胸騒ぎがしていたのです。なので、本人から先の話を聞いたときに、これは仕組まれたんだなとピンときたんです。ショックでしたが、それと同時に、予感が当たってしまった、と思いました。
もちろん、宮崎のしたことは褒められたことではありません。でも、彼は結婚前から政治家としての私を支えてくれ、妊娠中も何とかして私が政治活動を続けられるよう、自身も政治家をしながら夫としてサポートしてくれました。この2つの事実を天秤にかけた時、これまで宮崎がしてくれたことへの感謝の方が断然大きかったんです。だったら、ここは一緒に乗り越えた方が、私自身の人生も含めて幸せだと判断しました。この1回でその時の幸せを失いたくありませんでした。
──そんなに大変な状況を乗り越えたあと、2度目の不倫報道。「なぜまた……」と思われませんでしたか?
金子: 怒りよりも呆れましたね。1度目の騒動で宮崎は衆議院議員を辞職し、支持者の方に申し訳ないと自分を責め、顔面神経麻痺になるほど精神的に追い詰められました。まさに人生のどん底を味わったのに、また同じ失敗をするってどういうこと?と。
ただ、本人から、「精神的に落ち込んでいるから相談に乗ってほしいと言われ、その女性が指定した場所に行ったら写真を撮られた。やましいことは何もない」と説明され、私もそれに納得したので、夫婦の中ではそれで完結です。「行き過ぎたコミュニケーション」という名言を宮崎が申しましたけれども(笑)、言われた通りの場所に行くと言うのが宮崎らしいと言うか。2度目は、日常を変えるほどのことではありませんでした。
──金子さんが宮崎さんの騒動を乗り越えたことは、不倫をした夫を赦して前に進むという選択肢を女性に示したのではないでしょうか。
金子: 当時、「宮崎をよく赦した。寛容だ」と多くの方に言っていただきましたが、そんな高尚な話ではありません。夫婦のあり方は千差万別で、外から見て判断できるようなことではないからです。私と同じような経験をされた女性に、「赦すのが正義みたいに言わないでくれ」と批判されたこともあります。私の価値観では、宮崎のしたことは裏切りではなかったので切り替えられただけのこと。その時の夫婦の関係性にもよりますし、1度の過ちでも裏切りを赦せないという方がいらっしゃるのは当然のこと。どちらの選択も尊重すべきだと思います。
──最初の騒動の時、当時生まれたばかりの息子さんがいらっしゃったことも、金子さんの選択に影響しましたか?
金子: それはありますね。生まれたばかりで本人の意思がない状態で、彼から父を奪うということをしたくありませんでした。息子の運命や人生は息子自身に決めさせたいなと。でもこの先、学校で何か言われるかも知れません。その時、息子が「パパと一緒にいたくない」と言えば、そのとき考えようと思います。
宮崎とは政治家時代からのつながりなので、同志という感覚でしょうか。それが強いので、何か起こった時も一緒に乗り越えるのが、私の中での自然な選択肢になっています。私が大事にしているのは相手をリスペクトできるかどうかです。
宮崎は、仕事の面だけでなく、根っからの優しい人間なんです。彼のやることなすこと、全ての根底には優しさがあります。宮崎自身、人が好きなんですよね。女性も含め(笑)、人類愛が深いところを本当に尊敬しています。政治家時代、我々の結婚式でのスピーチで当時官房長官だった菅義偉さんに、「宮崎くんは人にこびない。でも、懐に飛び込む人間力がある」と言っていただいたのを聞いたとき、この人にはかなわないな、ああいうふうになれたら、羨ましいな、と政治家としての憧れを抱いたのを覚えています。
「夫の雑草ぶりにはかなわない」
――今回の著書の監修も、宮崎氏です。二人の会話や、宮崎さんが語り手となっているコーナーもあります。
金子: 現職の政治家でなくなった後も、やはり共通の関心事なので、夫婦でよく政治の話をするんです。その中で、私と宮崎は、根幹となる政治信条は一緒なんですが、一つの事象に対する見方が全然違うことがあります。宮崎の発想には、議員時代から注目していましたし、私は地方議員出身者、宮崎は民間からの立候補者と議員になるまでの過程も全然違うので、おもしろいかなと思って監修を依頼しました。
まだお付き合いをする前、自民党の部会という勉強会で、宮崎だけがとんでもない角度から意見をしていて。例えば、今ではすっかり浸透しているキャリア教育の必要性を最初に発言したのも宮崎です。それらの意見を聞いて、これからの国のマネージメントには、彼のような人が必要だと思ったんです。宮崎は、出会ったときから発想や発言が斬新で、そこは憧れでもありました。
──宮崎さんに監修をお願いしてよかったことを教えてください。
金子: 私は地方議員から国会議員になったので、議員とはこうあるべきというのが強くでてしまうときがあるのですが、宮崎は議員時代も今も変わっていて(笑)、発想の新しさにハッとさせられるときがあります。その視点には随分助けられました。
普通は政治家になるまでのイメージが湧かない方がほとんどだろうと考え、本書では国会議員を4つのタイプに分類しました。その中で宮崎は、公募制度を使って勢いで選挙に出た、まさに「雑草議員」タイプ(笑)。若者や学生さんを相手にビジネスをする中で、日本への希望を持てない若者に触れたことが問題意識となって、「このままではいけない」と立候補した人です。
世襲じゃなくても、純粋な使命感を一歩に選挙に出馬しても構わないんだという事例は、宮崎のエピソードがあるからからこそ説得力が出たのではないでしょうか。私の本を読んでくれた中高生が、「政治家って全然遠い話だと思っていたけど、もしかして僕も私も政治家になれるかも知れない」と政治家を身近に感じてくれたら嬉しいですね。
──金子さんはいま、コメンテーターとして引っ張りだこです。
金子: 私が議員だったころ、テレビで政治評論家が与党で進められている話や実態と異なる発言をするのをよく耳にしました。マスコミが望むような方向に話を持っていっていると感じたこともあります。私は、批判すべきことはきちんとしたいし、与党でも野党でもない中立の立場なので、コメントをするときに重視するのは、それがファクトかどうかのみです。発言する前に議員に確認することもしばしばです。
──今後はどのような活動をしていきたいですか。
金子: 一部の政治家の不祥事が目立ってしまって、宮崎もその一人かもしれなくて申し訳ないんですけれども、政治家は何をしてるんだと国民のみなさんに思われてしまっています。でも、それは本当に一部であって、大多数の政治家は本当に真面目に国のことや自分の地域のことを考えて活動しているというのを知ってもらいたいと考えています。永田町の中の人は立場上、ちゃんとやってますとは言えませんから。かつて永田町にいて、今は外からそれを見ている私だからこそ国民の皆さんに伝えていけることもあるのではないかと思っています。
母親としては、子どもの幸せが全てですね。子ども一人をしっかり育てることもできずに政治を語れませんから。まだまだ手探りですが、夫婦で力を合わせてやっていきたいと思います。
●金子恵美(かねこ・めぐみ)さんのプロフィール
1978年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2007年、村長だった父の意志を継ぎ、07年新潟市議会議員選挙に立候補。同年に当選。2012年に衆議院議員、16年には総務大臣政務官に就任し、放送行政、IT行政、郵政を担当。2017年の衆議院議員選挙で落選、10年間の議員生活に終止符を打ち、現在フジテレビ系「めざまし8」、CBC系「ゴゴスマ」など、多数のメディアにコメンテーターとして出演中。コロナ禍では厚生労働副大臣直轄の女性支援プロジェクトメンバーにも選出された。
■『もしも日本から政治家がいなくなったら』(内外出版社)
著者:金子恵美
出版社:内外出版社
定価:1,650円(税込)
-
第15回夫の週1「保育園お迎え」が妻のキャリアに影響 働く子持ち女性「夫のキャリ
-
第16回【まとめて読む】セックスレス、浮気、結婚、離婚……。「夫婦」を巡るリアル
-
第17回元衆議院議員・金子恵美さん、「夫(宮崎謙介さん)は同志であり尊敬できる存
-
第18回福田萌さん、操縦不能な夫(オリラジ中田敦彦さん)炎上も「一生、添い遂げた
-
第19回福田萌さん「『オリラジ中田敦彦の妻』と呼ばれることも私の強み」