サステナブルバトン2

「サーキュラエコノミーとは心地よさ」fog代表・大山貴子さんが考える、循環型社会とは

サステナブル・エシカル業界で活躍する人にバトンをつなぎインタビューする「サステナブルバトン」の2シーズン。アーティスト勅使河原香苗さんからバトンを受け取ったのは、サーキュラエコノミーのリサーチやコンサルティングを手がける株式会社fog代表取締役の大山貴子さんです。留学先のアメリカで感じたことから、コロナ禍での起業、日本が目指すべき循環型社会についてまで、お話をうかがいました。

●サステナブルバトン2-07

アメリカへの留学は、人種差別へのなぜ

――新たな活動拠点「élab(えらぼ)」を2021年10月31日にオープンするそうですね。どのような施設なのですか?

大山貴子さん(以下、大山): ここは、「日々の暮らしの中から循環型社会を実現すること」を目的とした複合施設です。日々の暮らしに取り入れられる“循環”のアイデアや体験を提供したいと考え、「レストラン」「量り売りのティー&フードスタンド」「リビングラボ」の3つのエリアを作りました。バトンを繋いでくれた勅使河原香苗さんと、うちのレストランのシェフは元同僚。そのご縁で、このレストラン脇に置いてあるミミズコンポスト作りにも携わっていただいたり、ビルの屋上で育てているもち米の育て方の相談に乗ってもらったりしています。

――大山さんは米ボストンの大学を卒業後、ニューヨークで新聞社に勤務されていたそうですね。子どものころから海外への関心が高かったのですか?

大山: 最初に海外を意識したのは高校2年の時。私の出身地、宮城県仙台市の姉妹都市であるテキサス州ダラスに留学したとき、ホームステイ先の娘の友人から、人種差別を受けました。怒りや悲しみを感じるより、「なぜそんなことを言うんだろう」と思ったのがきっかけでした。

――大学在学中には、南米のゲリラ農村留学を経験したとか。どんなことをしたのですか?

大山: これは大学のプログラムで、エルサルバドルに3週間ほど滞在しました。エルサルバドルでは過去に貧困層と富裕層の対立が生まれ、国民の虐殺の歴史もありました。国民の約98パーセントが貧困層であった当時、理不尽な貧富さに立ち向かうべく政府軍に立ち向かうのですが、それらは「ゲリラ」と呼ばれていました。私は教授と15人ほどの学生で、その「ゲリラ」の農村を訪ね、内戦当時の話を聞いたり、井戸掘りなどの協力活動をしました。

屋上で栽培しているもち米。収穫までもう少し

――特に印象に残っていることはありますか?

大山: 国際NGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティー」の取り組みに参加し、民間人の家を建てる手伝いをしました。大工の棟梁が「最後にコーラをシェアして飲もう」とお金もないのにわざわざ買ってきてくれたんです。そして、私たちが乗るバスに手を振って見送ってくれました。車中からそれを眺めて、この先も苦しい生活を強いられる人たちを残して、なぜ私は帰らなければいけないのだろうとやり切れない気持ちになりました。

ブルックリンで出会った、完全メンバー制“生協”

――卒業後は、ニューヨークに行ったのですね。

大山: 新聞社で記者になりたかったのですが、当時勤めていた日系新聞社では、現地採用は記者になれない決まりがありました。結果、マーケティング業務を担当し、ずっとパソコン作業。現場主義の私には向いていないと感じました。

――それでも、ニューヨークには留まったのはなぜですか?

大山: ニューヨークは、暮らしの面で多くの学びがありました。私が住んでいたブルックリンには、野菜を安価に入手できる、全米最大規模の生活協同組合「Park Slope Food Coop」がありました。いわゆる“生協”で、完全メンバー制を取っています。その取り組みが素晴らしくて、出資金と入会金を支払い、メンバーになりました。ここでは、商品の陳列、レジ、オフィスワークなどをメンバーで分担し、運営しています。メンバーは月1度の会合にも参加でき、「この製品は動物実験しているから置きたくない」という意見が出ると、挙手で決めることも。私も彼らに感化されて、買い物するときは産地が気になるようになりました。そのころ、ブルックリン全体で「メイド・イン・ブルックリン」が盛り上がっていたこともあり、フードマイレージという言葉は知らずに、ブルックリン産のものを積極的に買っていました。

――大都会の真ん中で、循環型の暮らしが成り立っていたとは驚きです。

大山: ブルックリンには、街角ごとに小さなコミュニティファームがあります。近所の人たちは自宅のコンポストをそこへ持って行き、その畑で作られた野菜は誰でも自由に収穫していいのです。そうした循環型の暮らしが「心地いい」と感じていいました。私の仕事は、サーキュラエコノミーのコンサルタントですが、人から「サーキュラエコノミーとはなんですか?」と聞かれたとき、「心地よさ」と答えるようにしています。私たちの暮らしが心地よくあり続けるための手段が、サーキュラエコノミーなのです。

起業後すぐにコロナが拡大。後悔したことも

――ブルックリンで心地いい暮らしを実践していた大山さんが、帰国を決意したわけはなぜですか?

大山: 理由は2つあります。ひとつは「Occupy Wall Street」(米経済界や財界に対する大規模デモで、オノ・ヨーコやマイケル・ムーアらも参加。世界中に広まった)のようなデモに参加できなかったことです。万が一私が捕まったら、強制的に帰国されられてしまいます。足掛け10年間もアメリカに暮らして、いくら流ちょうに英語が話せても、私は日本生まれのアジア人でしかないのだと突き付けられた気がしました。
もうひとつは、離婚。アメリカにい続けるには、就労ビザを更新しなければなりませんが、無理してまでニューヨークにいる意味がわからなくなってしまって。

――それはつらい経験でしたね。

大山: そのころ、東京にあるスタートアップ企業のコピーライティングなどの業務を手伝っていました。「管理職のポストを用意して待っている」と言ってくれたのですが、帰国後すぐにその会社が解散に……。とはいえ、生活しなければならず、クリエイティブエージェンシーやビーガンカフェなどで働きました。でも、「これは、私が本当にやりたかったこと?」ともやもやする日々。ある日、大学時代の友人から「なぜ日本でカフェをしているの?」とメールが来て、はっと目が覚めました。

――その後はどのような行動に出たのですか?

大山: 2017年にパナソニックなどが立ち上げた、未来をつくる実験区「渋谷100BANCH」のニュースリリースを目にして、「これだ!」と思い応募しました。そこで、フードロスをテーマにしたワークショップを開くチャンスをいただいて。「Food Waste Chopping Party」というイベントでは、廃棄食材などを使って楽しみながら料理する体験をしてもらいました。
その後、2019年には、ゴミを出さないゼロウェイストな循環型のライフスタイルを送るためのヒントや方法、アクションを生み出すコミュニティ「530WEEK」のメンバーに。さまざまなイベントを通して、「人に新しい視点を与える活動っていいな」という気付きになりました。

――紆余曲折を経て、ようやく今につながったのですね?

大山: ただ、生活は不安定なままでした。メンターに「企業に就職したい」と打ち明けたら、「起業してみなさい」と叱咤激励されて(笑)。そこから2019年7月に起業、その後すぐに新型コロナのパンデミックが起き、集客イベントも地方自治体業務 の出張もできなくなりました。「élab」も、不特定多数の出入りを避けるため、オープンを延期せざるを得ず……。ものすごく後悔しましたし、昨年の3月はふて寝ばかりしていましたね(笑)。

「élab」に設置したミミズコンポストのボックス

日本が目指すべき循環型社会のヒント

――コロナ禍により、社会の変化は感じますか?

大山: 2つのいい変化を感じています。ひとつは、私が暮らす都市型の地域内循環を実感できたことです。コロナ感染が拡大してすぐ、スーパーからトイレットペーパーがなくなりましたよね。ところが、私がいつも使っているチェーン店の隣にある、昔ながらのお店にはトイレットペーパーが並んでいたんです。その時、地域分散型のサーキュラエコノミーモデルが目の前にあったんだと学びになりました。

2つめは、機運の高まり。個人でコンポストや家庭菜園にチャレンジする人が増えましたよね。企業の意識も、この1年で変りました。以前は「サーキュラエコノミーの事例を教えてください」という問い合わせが多かったのですが、最近は「サーキュラエコノミーを実践するための視点を教えてほしい」という相談が増えました。私はあまりSDGsという言葉は使いませんが、勉強から実践に移す段階になったのかなと感じます。

――大山さんのなかで、ずっと変わらないこと、ブレないことはありますか?

大山: 大学では社会学や政治を学び、ここ最近は環境について学び、実践してきました。それらに通じるのは、「目線のデザイン」をしてきたということです。そう考えると腑に落ちます。同じ目線で見て、同じ景色を作る仲間を育てる。「共に視る」と書いて「共視」のデザインをやってきたので、そこはこれからも変わらないですね。

――今後はどんなことに取り組みたいですか?

大山: 地方のおじいちゃんおばあちゃんの行動、行為をアーカイブしたいです。地方の生産者や職人にお話をうかがうと、私よりもずっと環境や現状への危機感を持っています。日本でサーキュラエコノミーを根づかせるには、地方で暮らす高齢者の方々が実践している、名もない行為にこそ、日本が目指すべき循環型社会のヒントがあるような気がしています。ヨーロッパに学ぶべきこともあるけれど、静かに受け継がれてきたものを受け継ぎ、伝えていかなければいけないという強い危機感を持っています。

――やはり、この先も現場で働き続ける予定ですか?

大山: いくらでも自分を大きく見せることもできるけれど、私はキラキラした発信をするインフルエンサーになりたいわけではありません。生産者の方々に会いに行き、そこで見つけたすばらしいものを「élab」に持ち帰って、循環型の未来を実践し続けたいと思っています。
オープン後には地域で同じ思いを持つ地域の仲間 たちと一緒に循環モデルを作る計画があります。常に実行していかないと、本質が見えなくなりそうで怖いのです。そのためにも、「élab」を地域の方々や産官学を巻き込むショーケースであり、ラボにしていきたいです。

■大山貴子(おおやま・たかこ)さんのプロフィール
株式会社fog 代表取締役/一般社団法人530 理事。米ボストンサフォーク大にて中南米でのゲリラ農村留学やウ ガンダの人道支援&平和構築に従事、卒業。ニューヨークに て新聞社、EdTechでの海外戦略、編集&ライティング業を経て、2014年に帰国。日本における食の安全や環境面での取組 みの必要性を感じ、100BANCH入居プロジェクトとしてフー ドウェイストを考える各種企画やワークショップ開発を実施 後、株式会社fogを創設。循環型社会の実現をテーマにしたプ ロセス設計を食や行動分析、コレクティブインパクトを起こ すコミュニティ形成などから行う。
fog, inc.

「自然はとても複雑で答えはひとつではない」アーティスト勅使河原香苗さんが自然から学んだこと
ライター×エシカルコンシェルジュ×ヨガ伝播人。出版社やラジオ局勤務などを経てフリーランスに。アーティストをはじめ、“いま輝く人”の魅力を深掘るインタビュー記事を中心に、新譜紹介の連載などエンタメ~ライフスタイル全般で執筆中。取材や文章を通して、エシカルな表現者と社会をつなぐ役に立てたらハッピー♪ ゆるベジ、旅と自然Love
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
わたしと未来のつなぎ方