サステナブルバトン

「世界を9周して気づいた、子どもを育てる地域コミュニティーの大切さ」一般社団法人「そっか」共同代表・小野寺愛さん

サステナブル・エシカル業界で活躍する人にバトンをつなぎインタビューする「サステナブルバトン」。第9回は逗子を拠点に、子どもと大人の遊び場を作る一般社団法人「そっか」の共同代表を務める小野寺愛さんです。世界中を旅して気づいた、子どもを育てる地域コミュニティーの大切さ。その想いを実現するべく、日々奮闘されています。ピースボート職員として世界を旅していた頃から「そっか」の立ち上げまで、お話をうかがいました。

●サステナブルバトン09

西村千恵さん(ファームキャニング代表)から小野寺愛さんへのメッセージ

3児の子育てをしながらハヤブサのような速さでいくつもの仕事をこなす愛ちゃんの、その笑顔とブレない信念には私だけでなく、誰もが魅了されてしまいます。
“世界の平和は自分の足元から”と取り組むローカルコミュニティでの活動は、ピースボートで世界を9周してきたからこその説得力。
うれしいことも悩みも心から分かり合える同志です。

学生時代に出会った、ピースボートの通訳ボランティア

――西村さんからのメッセージにもありましたが、小野寺さんはピースボートに乗船していたんですね。

小野寺愛(以下、小野寺): はい。大学生の頃に初めて乗船しました。実は、学生時代はウィンドサーフィンにのめり込んで、卒業するのに6年もかかってしまって……。それに、最後の2年間は旅に明け暮れて、アメリカ・サンディエゴにも1年間留学しました。海外留学したことで、日本のことも世界のこともまだまだ知らない自分に気がついて、もっと旅をしようと貯金はすべてバックパック旅に使いました。ところが、半年間ほどでお金が尽きてしまった。ピースボートなら通訳ができれば無料で地球一周できることを知って、応募したんです。大学6年生の時に、ピースボートで地球の北周りを一周して、さらに南も見たいと南周りも一周しちゃいました。

――大学時代にさまざまな国を訪れたんですね。卒業後は就職されたのですか?

小野寺: はい、外資系金融機関に就職しました。ところが、大きなグローバル企業だったので、システマチックに合理性も効率性も確立されていて、私自身は歯車の一部でしかなかった。大きな組織で自分らしさを表現することは叶わないまま1年半でドロップアウトして、縁があってピースボートに転職。気づいたら16年間も働いていました。

――ピースボートではどのような仕事をしていたのですか?

小野寺: 企画のコーディネートです。環境教育・平和教育のプログラムを作っていました。日本国内で9カ月間、企画を練って、世界中のゲストと乗船の交渉をします。そして残りの3ヶ月間は、できあがったプログラムを持って船に乗り込む。そんな働き方をしていました。地球を舞台に若者たちがたくさん乗ってきて、それはそれは刺激的で、楽しい仕事でした。

――世界中の環境や平和問題を実際に見て、お話を聞けるのは刺激的ですね。

小野寺: 3カ月間、課題がある現場をみんなで見て、何か自分ができることがないかとキラキラした目で船を降りていきます。ところが、日常に戻ると同じ熱い想いを持つ仲間を見つけるのも難しいし、生きていくのも大変。結局、大半の人が普通の暮らしに戻っていくのをもどかしい思いで見ていました。理想と現実の壁を感じていた頃に、子どもが生まれて母親になりました。

住みやすい社会作りは、子どもたちの育つ環境を変えることから

――お子さんが生まれて、ご自身の考えに変化はありましたか?

小野寺: 子どもが生まれて、子育てをすることで、たくさんの気づきをもらいました。子どもは教えなくても寝返りをしようとするし、寝返りができたら次は這おうとして、さらに立とうとして……。自分は絶対にできると信じて、何度でも挑戦するんですよね。その姿に心を打たれて、思いました。もしかしたら、みんなにとって住みやすい社会作りは、大人への働きかけよりも、子どもたちの自然な育ちを邪魔しないことが近道なんじゃないか、と。

そこで、子どもが2歳の時にモンテッソーリ教育の船上保育園「ピースボート子どもの家」を作り、子どもといっしょに地球一周の旅に出ました。私も仕事をしながら乗っていたので、9時から3時まではそれぞれの時間。夕方以降や、寄港地では一緒に過ごしました。船の上に保育園ができたおかげで、長女とは3回、次女もお腹にいた時を入れて3回、母娘で地球一周をしています。

――なぜ船上に保育園を作ろうと思ったのですか?

小野寺: 差別の気持ちも偏見も先入観も何もない子ども時代にこそ、旅してほしいと思ったからです。私自身、子どもと一緒に旅をすることで、課題のある現場に行くだけでなく、幸せに暮らしている人のところに行ってみたいという気持ちを抱くようになりました。

――子どもたちは物怖じすることはないのですか?

小野寺: はずかしがることはあっても、怖がることはないですね。すべての出会いを楽しんでいるように見えました。
人間は6歳までは吸収スイッチがいつでもオンなのだそうです。大人は経験を「記憶」するけれど、子どもは環境をそのまま自分の一部として「吸収」します。先入観も何もない子ども時代に、世界中の人からあたたかく受け入れてもらい、多様なものに触れたら、それは必ず自分の一部になる。人生の裾野を広げてくれます。

――お子さんと旅したことで、どんな企画を立てるようになったのですか?

小野寺: 本当においしい郷土料理を食べさせてもらったり、循環型農業を確立している人に会いに行ったりと、グローバルな課題そのものよりも、課題への答えを作っている人を訪ねるツアーを企画するようになりました。
ところがあるとき、グローバル課題への答えを作っている人たちはみんな、ローカルで踏ん張って生活しているんだと気づいてしまって。その一方で、私は毎年地球一周させてもらって、答えばかりを見せてもらって、自分の地域では何もしていない。そこに違和感を抱くようになりました。
自分も、自分の子どもが育つ地域で動きはじめたい。でも、地域づくりって、もちろん一人ではできません。そこでまずは拠点から探し始めました。

Photo: Yo Ueyama

逗子に移住し出会った、「黒門とびうおクラブ」と仲間たち

――それで逗子に移住されたんですね。なぜ逗子を選んだのでしょうか?

小野寺: 都会は便利だけれど、大人向きに作られています。子どもたちが自由に遊びに出かけて、危ないと言わなくてもいい場所を探していた時に、大学時代にウィンドサーフィン部で通い詰めた鎌倉から逗子あたりがいいなと思って。移住してからもしばらくは、逗子から都内に出勤していたのですが、3人目が生まれた時点でギブアップ。ピースボートでの仕事は大好きだったのですが、並行して地域の活動も始めていたので、軸足を移すことを決めました。

――地域の活動を始めたのは「黒門とびうおクラブ」がきっかけだそうですね。

小野寺: 黒門とびうおクラブは、代表理事の永井巧さんが10年前に始めた活動です。娘がお世話になったのをきっかけに、私も活動に参加するようになりました。

Photo: Yo Ueyama

――今では、「黒門とびうおクラブ」だけでなく、活動も多岐にわたっていますね。

小野寺: 理念は、自分たちの遊び場を、自分たちで作ること。私を含めて4人の共同代表を立てて、一般社団法人として活動を続けています。

「子どもたちの遊び場がなくなっているよね」
「それって、大人の暮らしが自然から切り離されたからじゃない?」
「衣食住の何でもお金を払えば買えるけれど、働く大人たちは、とにかく忙しいもんね」
「本来、地域の自然の中で、食べて、作って、遊ぶという基本的な営みが、“生きる”ということだった。そして、子どもの居場所なんて、大人たちの営みの周りにおのずとあったはずだった」
「でも、人の暮らしと自然の距離は簡単には戻らないよね」
「じゃ、まずは子どもと自然の中で本気で遊んでみたらどうだろう」
そんな雑談の中から、すべてが始まりました。地域のみんなで一緒に食べて作って遊んでいるうちに、人と自然との距離だって取り戻していけるかもしれないと仮説を立てて、4年前の7月に法人化しました。

――この活動は「自然との距離」がキーワードになっているんですね。

小野寺: はい。一緒に共同代表をしている永井巧さんも八幡暁さんも世界中を旅して、いろいろなことを見てきた人たちです。グローバルな課題の一番根っこにあるのは、衣食住をアウトソースするようになってしまった現代の大人たちのメンタリティーにあるんじゃないかということで、意見が一致して。
自分が食べるものは自分で作って、みんなで食べる。そのためには協力が必要。もともと、地域共同体はそのためにあったのではないかと。子どもを育てる地域コミュニティーがなくなってしまったことが、今ある諸問題の原因になっているとも考えました。
それなら、「あったらいいな」をみんなで作ろうと声を掛け合って、認可外保育施設「うみのこ」、小学生放課後の自然活動「黒門とびうおクラブ」、中高生の「アンカーズクラブ」、逗子の海から世界を知る「相模ワンダーラボ」、規格外野菜の買い取り運動「もったいない野菜基金」など、など。関わる人が増えるごとに、活動はじわじわと広がっているんです。

Photo: Yo Ueyama

自然の中で思い切り遊ぶことで気づく、環境への問題意識

――日々、どのような活動をしているのですか?

小野寺: ストイックに全て自足自給しようというわけではありません。地域の農家さんや漁師さんの力を借りながら、ワカメの養殖をしてみようとか、蜂蜜を作ってみよう、畑をやってみようと、できるところから。全部、子どもたちと一緒に、楽しみながらやっています。
野菜を作ってみると農家さんへの敬意が自然と湧いてきて、フードロスについても考えるようになったし、ワカメを育ててみると「漁師さんすごい」となる。海のちょっとした変化にも敏感になります。

――グローバルな問題はローカルの課題としてつながっているんですね。ここまで活動が活発になったのはなぜだと思いますか?

小野寺: カリスマリーダーがいて、ムーブメントを作るというよりは、どんどんリーダーが生まれて、さまざまなうごめきが起こっているからでしょうか。「あなたがあなたのままでいられますように」という気持ちで子どもたちの背中を押してきましたが、それが大人にも伝わっているのでは。この指とまれ方式で自分の思いを伝えてみれば、地域のみんなに応援してもらえるんだということが大人にも伝わったのかもしれません。

――地域コミュニティーが活発になるのは素晴らしいことですね。

小野寺: やっていることに、特別なことはひとつもないんです。昔はどの地域でも、こんな感じが当たり前だったと思います。便利さと引き換えに、コミュニティーを手放してきてしまったけれど、できる範囲で取り戻していこうというだけなんです。
だから、ひとつずつのムーブメントは大きくありません。でも、この町でなら支え合って生きていけるという安心感が広がってきた。何かあった時に、子どもが助けてもらえる家がたくさんあり、みんなが水源も食べ物もどこにあるか知っているのも心強いですよね。

Photo: Yo Ueyama

――活動を続けてきて変化はありましたか?

小野寺: 自然の中で思いきり遊ぶことを通して、自分で考えて、自分で動く人が増えていくといいなと思ってきました。子どもたちも、自発的に「この指とまれ」をやり始めているのですが、その中で、環境意識が高い子たちが動きはじめているのが楽しくて。
とびうおクラブの6年生の子たちで、alakaimua(アラカイムア)という、プラスチック問題・気候変動問題の解決に向けた活動をするクラブができたんです。「小学生にできること20選」を地元のイベントやインスタグラムなどで発表し、ビーチクリーンで拾ったプラスチックでキーホルダーを作って販売したりしています。
市内で、持ち込み容器OKの飲食店を調べて地図にしたり、毎日使っている消しゴムのカスが実はマイクロプラスチックということ知って、天然ゴム製の消しゴムを仕入れて、地域の小学生に勧める活動を続けていたり。動きながら学ぶ彼らの発想は、そばで見ていて頼もしいばかりです。

Photo: Yo Ueyama

世界一好きな逗子の風景を守りたい

――活動の中心には海があると感じます。小野寺さんにとって海はどんな存在ですか?

小野寺: 海は1日としては同じではありません。潮の干満や風、天気、季節によっても毎日表情が違う。荒れていたら遊べないけれど、強風のあとはごほうびのような夕焼けにも出会えたり。予定不調和だらけなんです。
自分より圧倒的な大きなものに自分を合わせていくことって、都会の暮らしでは減ってきている気がしませんか? 海も森も、圧倒的に大きくて美しくて命を生み出してくれる場所。自然より偉大な学びのフィールドはなかなかないと思っています。

――これからも海が身近にある逗子で活動を続ける予定ですか?

小野寺: そうですね。毎日16時になると子どもたちが浜に集まってきます。だんだん日が落ちてきて、あたりがオレンジに染まるんです。そのなかをわーと声を上げながらボードで沖に出て行く風景。世界中を旅してきたけれど、この風景が世界一好き。これは、私だけじゃなくて、地域のみんなにとっても守りたい風景になっていると思います。子どもたちがいつまでもこうやって遊んでいられるように、守っていきたいですね。
20代の頃は、学生チーム100人を連れて、NGOの交渉の場に立ってみたり、みんなで提言書を出したりすることに情熱を注いでいたこともありました。でも、国際会議の場で決まることは、きっかけでしかありません。国際機関や国や企業だけに任せていても、解決はしません。
もしかしたら世界を変える一番の近道は、実は、大好きな風景をみんなで共有することなんじゃないかと思っています。私の場合は海がしっくりくるので、逗子を選びました。海はその表情も時間の流れも、まだまだ知らないことばかり。常に発見に満ちているんです。

■小野寺愛(おのでら あい)さんのプロフィール
一般社団法人そっか共同代表。Tokyo FM サステナ*デイズ 案内人。日本スローフード協会三浦半島支部代表、エディブル・スクールヤード・ジャパンのアンバサダー。NGOピースボートに16年間勤務し、世界中を旅する中で「グローバルな課題の答えはローカルにある」と気づき、神奈川県逗子市での地域活動に情熱を注ぐ。趣味はカヌー、畑、おせっかい。三児の母。

telling, 編集長。女性誌編集、WEBディレクター、PR、フリーランス編集・ライターを経て、2020年3月より現職。オフタイムは、ストイックにジムに通う、ただのクラオタ。好きな言葉は「低糖質」。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
わたしと未来のつなぎ方