女性の活躍と選択肢拡大を願って。「IAm」阿部藹さんが沖縄と歩む理由
●サステナブルバトン5‐5
職業選択の幅を広げて欲しい
――「IAm(アイアム)」では、どのような活動を行っているのですか?
阿部藹(あい)さん(以下、阿部): 沖縄に暮らす若い女性たち向けに多様な生き方、働き方を提案したいと、沖縄に縁のある多彩な働き方をする女性を講師に招いたトークイベントやワークショップなどを行っています。沖縄では彼女たちが就きたいと言う職業が限定的なことが多いんです。沖縄は島嶼県ということも手伝って、職業選択の幅が狭いのか、女子学生になりたい職業を聞くと教師か公務員、看護師を挙げる人が多いと言われており、その幅を少しでも広げたいのです。
私自身はChange.orgで働きながら大学で教え、研究もしています。「沖縄でもいろんな働き方があるよ」と知ってもらいたくて、「IAmネットワーキングカフェ」を始めました。沖縄出身のスタイリストさんや自分で一から本屋を作った女性、琉球古典音楽の演奏家、市議会議員や通訳者、最近では日本人で初めて国連の女性差別撤廃委員会の委員長を務められた林陽子弁護士らもお招きしました。
以前、沖縄で英語塾講師として働いた時に、ある女子生徒から「私は頭が悪いから……」と、自分を卑下するような言葉が出てきたんです。しっかり者で気遣いのできる彼女に、なぜそんな悲しい言葉を言わせてしまうのかとショックでした。考えると、職業選択と能力とのミスマッチが起きているのではないかと。沖縄出身の友人で、それまでも一緒に沖縄の人権問題の発信に取り組んできた通訳・翻訳家の真栄田若菜さんと、「彼女たちを励ます活動ができたらいいね」と立ち上げたのがIAmなんです。
――どのような反響がありますか?
阿部: これから職業を選ぶ高校生や専門学校生に参加してほしいと思って始めたので、参加者の一人から「講師のお話などに励まされ、台湾の大学に進学しました」という報告を受けたときは嬉しかったです。参加者同士の交流も生まれていて、その大学生の背中を見た高校生が「私も先輩に倣って海外の大学に行きたい」と言っていたりすると、とてもやりがいを感じますね。
女性の生きづらさや仕事に関する悩みなどを実感するのは、社会に出てからということも多いんですよね。そうした社会人の方も足を運んでくれ、リピーターになってくださっている方もいます。「ネットワーキングカフェ」を開くのはおしゃれな場所と決めていて、ホテル最上階のトップバーを会場にしたこともあります。すてきな場所に行くのはそれだけで気分が上がりますし、「あなたはこの場に相応しい人ですよ」というメッセージにもなります。すてきな場所でいろんな立場の方と対話する中で、「どんな生き方も選んでいいんだよ」と感じ、自分らしい選択をするきっかけづくりになったらいいですね。
女性の被害“無かったこと”には出来ない
――沖縄では、米軍関係者による女性への犯罪も度々報道されています。
阿部: はい。たとえば昨年12月、米軍嘉手納基地所属の兵士が少女へ性的暴行事件を起こし、今年3月に起訴されていながら、外務省など日本政府は沖縄県にそれを伝えていませんでした。今年6月、この事実を地元メディアが報じ、沖縄の市民は衝撃を持って受け止めました。この事件を発端に、米軍基地のある神奈川や青森、山口などでも類似の事実が明らかになり、新聞などで報じられました。
沖縄県警の統計によると、1972年の本土復帰後50年間で米軍関係者による刑法犯罪の摘発事件が6163件あり、そのうち殺人や強盗、放火、強制性交などの凶悪犯は584件、757人が摘発されています。沖縄が小さな島嶼県であることを考えると、これだけでもすさまじい数ですが、おそらくこの数字は氷山の一角。水面下の部分、記録に残らない被害をすくい上げる活動をする「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」では、米兵による女性への性犯罪記録を丹念に集め、1996年に第1版を発行しています。昨年発行した第13版では1945年の沖縄戦時から2021年にかけ、少なくとも約950人が暴力の被害に遭っていることが分かっており、実際はそれ以上の数になると見られています。
今回の件が沖縄の人たちにとって衝撃が大きいのは「被害者のプライバシー」を盾に事実が公表されなかったことだと考えています。公表されないということは記録に残りません。先ほどの性犯罪記録を中心的にまとめた沖縄女性史研究家の宮城晴美さんは「記録に残らないということは無かったことになってしまう」と指摘されています。犯罪が無かったことにされることは許されませんし、公表しないということは日本政府も「犯罪が無かったことにする」ことに手を貸してしまうことになると思うんです。プライバシーを守りながらも報告し、記録することはできると思うので、そうした方法を取ってほしいと強く望みます。
――沖縄の抱える問題を、それ以外の地域の人たちも自分ごととして捉えるにはどうすればいいでしょう。
阿部: ひとつは、沖縄に旅行したときに「ひめゆりの塔」や「沖縄県平和祈念資料館」などに行くことをお勧めします。なかでも「平和の礎」は胸にぐっと迫るものを感じられるのではないかと思います。
手近なアクションとしては、沖縄の地方紙の公式SNSなどをフォローするのもいいですね。沖縄タイムス、琉球新報では音声での発信にも積極的です。沖縄タイムスは音声プラットフォーム・voicyで「サクッと沖縄」と題して記者たちが自らニュースを読んだり、解説したりしています。琉球新報ラジオ部は、ポッドキャストで記事を書いた記者本人がニュースの裏話を紹介したりしています。
「声を挙げる」は第一歩
――沖縄に寄り添い続けるのはなぜですか?
阿部: 私が広島出身だからだと思います。夫の転勤をきっかけに沖縄に転居した2013年から、地元紙を購読し始め、日本兵に殺されたご家族について語るおじいさんの記事や、不発弾処理のお知らせなど、毎日のように沖縄戦に関する記事に触れるようになりました。私は被爆二世で、広島で原爆の被害についての教育は受けてきましたが、加害の歴史についてはすっぽりと抜け落ちていることに気づいたんです。多くの方も頭では加害の歴史について知っていると思います。ですが、繰り返しリアルな身近な人の体験としてそうした情報に触れたとき、「私は全然、何も知らなかったんだ」と、頭をガーンと殴られたようなショックを受けました。
それが、学びたいという動機につながりました。沖縄に来なければ、国際人権法や自己決定権について知ろうと思わなかったでしょう。また、人権の学びを深めるなかで何かの疑問や問題点に対して「それは違うんじゃないか」と声をあげることの大切さも感じるようになりました。自分で考える、声をあげるというのは、民主主義の第一歩だと思うのです。
――琉球大学で、客員研究員もされています。関心を持たれたきっかけは?
阿部: 私はいま、国際法、特に国際人権法の観点から、沖縄の人々がどんな権利を有しているのか、そして今の沖縄が抱えさせられているさまざまな問題を「人権」という観点から見直すと、どのような法的な課題があるのか、ということを研究しています。
沖縄に来てしばらくして、自分が学んでこなかった日本の加害の歴史についても沖縄にいる間に勉強しなくては、という思いが強くなっていきました。そんなとき、「島ぐるみ会議・国連部会」でボランティアをしないかと声をかけられたんです。その会では、沖縄県知事の翁長雄志さん(当時)を、国連人権理事会に送り出そうと活動しており、私が以前NHKの国際放送局に勤めていた経験や、大学で専攻した法学の知識が役に立つのではないかと思いました。大学生のころは法律は“机上の空論”と感じてそれほど興味を持てませんでしたが、国際人権法と向き合うなかで、その面白さに開眼しました。2015年に翁長さんがスイス・ジュネーブの国連人権理事会に参加された時に同行、その時の翁長さんのスピーチは心に残る素晴らしいものでした。
――2017年には渡英し、エセックス大学の大学院で国際人権法学の修士を取得されました。
阿部: 国連人権理事会でのスピーチに関わったことで、さらに国際人権法について深く知りたくなったんです。私は当初、自己決定権について学ぼうと思っていました。その後、健康に生きる権利ひとつをとっても、それは人権だと認めさせるために前人たちが惜しみない努力を重ねて勝ち取ったもので、人権というものは生活すべてに関わっていることに改めて気づかされました。
大学院がとても国際色豊かで、ヨーロッパだけでなくアジア、アフリカの方々と触れ合えたこともよかったです。それぞれの地域に多様な問題があるけれど、人権というフィルターで見ると共通項があったりして、同じ土俵で、言ってみれば同じ「言語」で議論ができることを肌感覚で知ることができました。
今回、私は二人の子どもを連れて留学しました。私自身かつて留学経験があり、自分の財産になっていると感じていたので。同じように日本から子連れで大学院に留学していたご家族と同居できたこともすばらしい体験でした。夫も応援してくれました。そうした家族や様々な方の協力のもと、翁長さんに随行した時の記録や論文などをまとめた「沖縄と国際人権法−自己決定権をめぐる議論への一考察−」(2022年、高文研)を出版することができたのです。
孫たちの世代の可能性を奪わない
――今回、「サステナブルバトン」のバトンを繋いでくださったカクワカ広島の田中美穂さんとは、どのようなご縁なのですか?
阿部: 田中さんとは、私のもうひとつの仕事である「Change.org」を通じて知り合いました。2022年6月、第1回「核兵器禁止条約 締約国会議」が開かれた際、カクワカ広島では、政府に参加するよう要望書を出し、より積極的に働きかけたいとChange.orgで4日間の緊急署名を行うことになりました。より発信力を高めるためのサポート役として私が担当となり、何度もやり取りしました。その後、広島のイベントにもお声がけをいただくなど、交流が続いています。田中さんは広島出身ではないけれど広島で核の問題に取り組んでいらっしゃり、私は沖縄出身ではないけれど沖縄で活動しており、立場に似通ったものを感じて、勝手に勇気づけられています。
――では最後に、阿部さんにとってサステナブルとは?
阿部: 最近、国連の特別報告者・スーリヤ・デヴァ氏による「発展の権利」についてのレポートを読んだのですが、発展の権利には「自己決定権」をはじめ「世代間正義」「公平な分配」などが重要な要素だと書かれていました。世代間正義とは、いまを生きる私たちが便利さや豊かさのために開発を続けることで、未来の世代が暮らしにくくなることはよくないとする環境倫理学などに基づく考え方です。サステナブルは、世代間正義の考え方と親和性が高いなと思いますし、サステナブルを人権の観点から考えると「世代間正義に反しないこと」と言えるのかなと。
沖縄の海を例にとると、現在、米軍が辺野古新基地を建設中の辺野古・大浦湾には、ジュゴンをはじめとする絶滅危惧種262種を含む豊かな生態系があります。私たち世代が、巨大基地の建設を決めたことで、沖縄の子どもや孫たちの世代が持てたはずの自然、生態系、資源を奪うことになるのではないか。私たちが今、何をするか、選ぶのかというとき、そうした観点から決めていくことがサステナビリティにつながっていくのではないかと思うんです。
●阿部藹(あべあい)さんのプロフィール
1978年、広島県生まれ。京都大学法学部を卒業後、NHKに入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局などで番組制作に関わる。2013年、退局して沖縄に転居し、15年から「島ぐるみ会議・国連部会」のボランティアとして、翁長雄志前知事の国連人権理事会における声明などに携わる。17年、英・エセックス大学大学院で国際人権法学修士号を取得。2021年、一般社団法人「IAm」を設立し共同代表理事を務める。琉球大学客員研究員。著書に『沖縄と国際人権法−自己決定権をめぐる議論への一考察−』がある。
- ■サステナブルバトン5
#01 気候アクテイビスト・小野りりあんさん。「樹木を守り、自分も地球も持続できる生き方を」
#02 「社会課題解決へのコミュニケーションをビジュアルで」。グラフィックデザイナー・平山みな美さん
#03 U30世代、女性の政治参加で生きたい社会を作ろう! 能條桃子さんの考えるこれからの政治
#04 核のない世界に向けて行動する「カクワカ広島」田中美穂さん。メッセージを発信する理由とは
#05 女性の活躍と人権拡大を願って。「IAm」阿部藹さんが沖縄と歩む理由
- ■サステナブルバトン4
#01 毎日のごはんから感じるしあわせ 菅野のなさんが伝える素朴だからこそ奥深い料理
#02 長く愛せて顔が見える服づくり 会津木綿で受注生産を続ける山崎ナナさん
#03 郷土料理の魅力を残したい。料理家・写真家minokamoさんが伝える食文化の奥深さ
#04 一番身近なものは、心地よさにこだわりたい。デザイナー荒川祐美さんの考える豊かなくらし
#05 環境にも体にも優しく美しく。YOKO KOIKEさんの手掛けるヴィーガン料理。
#06 美しさとサステナブルが両立するデザインに挑戦 空間演出家・稲数麻子さん
#07 乗鞍高原の自然をいつまでも。シンガーソングライター高橋あず美さんが主催する「自然にやさしいフェスティバル」
#08 トラウデン直美さん「環境にも自分にも嬉しい選択を」。サステナブルも気負わずに
#09 古着で表現する自分らしさ。「DEPT」オーナー・eriさん。使い捨て生活からの脱却に挑戦
#10 コムアイさん、アマゾンでのお産で体感した生命力。「サステナブルとは生き延びるための闘い」
#11 気候変動対策、1歩を踏み出すには? NGOリーダー荒尾日南子さん「みんな自然とつながっている」
#12 岡本多緒さん、ポッドキャストで環境問題を発信。「気候危機は他人事じゃない」
- ■サステナブルバトン3
#01「”賞味期限”から解放されよう」食品ロス問題ジャーナリスト井出留美さん
#02 アフリカのバナナペーパーで環境と貧困対策を実践 エクベリ聡子さん
#03「AFRIKA ROSE」萩生田愛さん ケニアのバラが紡ぐフェアトレードの絆
#04 「10着のうち1着はサステイナブルに」。スローファッションを提案する「Enter the E」植月友美さん
#05ソーシャルオーディター・青沼愛さん 「ラナ・プラザの悲劇」を繰り返さないために
#06 350年続く老舗酒蔵に生まれ、酒の飲めない寺田聡美さん 酒粕で発酵食品作り
#07 てぬぐいカフェから盆踊りまで 瀬能笛里子さんが鎌倉で実践する”和の豊かな暮らし”
#08古着物を「野良着」にアップサイクル 日常生活に採り入れ、魅力を発信 鈴木早織さん
#09ハンドメイドマルシェで、女性たちと地域の輪をつなぐ齋藤直美さん
#10光の演出で包み込む デザイナー迫田悠さんが手掛ける映像空間の魅力
#11子ども向けバイリンガル劇団を主宰する草野七瀬さん。国籍も言語も越え自由で平和な表現空間を
#12柔軟な働き方を選べる社会を目指すPolaris市川望美さん。「シゴト軸のコミュニティ」も構築
- ■サステナブルバトン2
#01留学で気づいた「ファッションを通した社会貢献」。徳島県上勝町でゼロ・ウェイストに取り組む、大塚桃奈さんの新たな挑戦とは
#02「“エシカル”という言葉を使うことで、抜け落ちてしまう何かがある」コミュニティ・コーディネーター松丸里歩さんが考えるエシカルのかたち
#03「サトウキビストローを販売するだけでなく、回収し堆肥化までが本質」4Nature代表・平間亮太さんが取り組む、人と人とのエシカルなつながり
#04「エシカルを押し出すのではなく、コーヒーショップとしてできることを考えたい」オニバスコーヒー坂尾篤史さんが考える、エシカルの本質
#05 旅する料理人・三上奈緒さん「旅する理由は自然の中に。答えは自然が教えてくれる」
#06「自然はとても複雑で答えはひとつではない」アーティスト勅使河原香苗さんが自然から学んだこと
#07「サーキュラエコノミーとは心地よさ」fog代表・大山貴子さんが考える、循環型社会とは
#08「関わるものに、誠実に素直に対応できているか」株式会社起点代表・酒井悠太さんが福島県でオーガニックコットンを栽培する理由
#09 英国発のコスメティクス「LUSH」バイヤー・黒澤千絵実さんが魅了された「美しい原材料」の考え方
#10「心地よい空間は、他者を思いやることから」。ダウン症の人の感性を発信し、居場所作りを進める佐藤よし子さん
#11森を豊かに、自分も心地よく。森林ディレクター奥田 悠史さんが描く森の未来図
#12 ハチドリ電力の小野悠希さん「一人が出来ることは決して小さくない」地球温暖化を止めるため「最も大きなこと」に挑戦
- ■サステナブルバトン1
#01 「消えゆく氷河を前に、未来のために今日の私にできることを考えた」エシカル協会代表・末吉里花さん
#02 「ファストファッションは悪者? そうじゃないと知って、見える世界が広がった」エシカルファッションプランナー・鎌田安里紗さん
#03 「薬剤やシャンプーはすべて自然由来。体を壊して気づいた、自然体な生き方」ヴィーガンビューティーサロン美容師・中島潮里さん
#04「“地球に優しい”は、自分に優しいということ」エシカルコーディネーター・エバンズ亜莉沙さん
#05「花屋で捨てられていく花たちを、どうにかして救いたかった」フラワーサイクリスト・河島春佳さん
#06「花の命を着る下着。素肌で感じるサステナブルの新しいかたち」草木染めランジェリーデザイナー小森優美さん
#07「家庭科で学ぶエシカル。サステナブルな未来は“やってみる”から始まる」高校教諭・葭内ありささん
#08「ふぞろい野菜、瓶に詰めたらごちそうに。自然とつながる“おいしい”の作り方」ファームキャニング代表・西村千恵さん
#09「世界を9周して気づいた、子どもを育てる地域コミュニティーの大切さ」一般社団法人「そっか」共同代表・小野寺愛さん
#10「エシカルとは“つながっていること”。人生の先輩たちの生活の知恵を残していきたい」一般社団法人はっぷ代表・大橋マキさん
#11「庭で見つけた“発見”を作品に」変化し続けるアーティストasatte羽田麻子さん
#12「自分で自分を幸せにしてほしい」TOKOさんが考えるヨガとエシカルの関係
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第103回核のない世界に向けて行動する「カクワカ広島」田中美穂さん。メッセージを発
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第104回自然と人間が共生するサステナブルな建築を。「ADX」の哲学
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第105回女性の活躍と選択肢拡大を願って。「IAm」阿部藹さんが沖縄と歩む理由
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第106回不要になった衣料品を回収して再生。ルミネの新たな取り組み「anewloo
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第107回「グリーンスローモビリティ」で 三重野真代さんが目指す“ゆっくり”な街づ