“私の40歳”を探して〈vol.5〉 子なし女性の息苦しさはどこから? 対談「産まない」について考える

人生の節目としてつい意識してしまう“40歳”。多様性が尊重される時代、女性の生き方や選択も自由になっているというが、シングル子なしの私の実感としては、まだまだ生きにくさを感じる場面は多い。そこで今回、2024年2月に刊行された『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』(旬報社)の著者、若林理央さんと対談を実施。さまざまな背景を持つ子なし女性たちへのインタビューを通じ見えてきたことや、若林さんが「産まない」と決めた理由、社会の中で感じる疎外感や孤独感、女性同士の分断についてなど、子なし女性を取り巻くさまざまなモヤモヤについて、解決の糸口を探るべく語り合った。
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「変わっている」と言われ続けて。

秦レンナ(以下、秦): 著書『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』にも書かれていますが、若林さんはいじめや不登校を経験し、アイドルや企業での役員秘書、日本語学校教師など多彩な仕事を経て、「普通とは何か」ということを考えるようになったとか。「産まない女性」に注目するようになったきっかけは何だったのでしょうか?

若林理央さん(以下、若林): 私は中高大と女子校育ちで、割とお嬢様学校と呼ばれるところに通っていたんですね。それの影響もあったのか、周囲は、仕事は腰掛け程度、結婚して子どもを産んで……と考える子がほとんどでした。そんななかで、「子どもは産まない」「バリキャリになりたい」という私は異様な存在で、「理央ちゃんって、変わってる」とたびたび言われました。

就職した先も、同じ雇用形態の女性たちはそういった考えを持つ人が多くて。会社全体では男性が9割ということもあって、正社員ではない私たちは、みんな花嫁候補という扱いでした。実際、ほとんどの女性が、結婚か出産のタイミングで仕事を辞めて家に入るというのが通例になっていました。

今でも覚えているのが、男性社員に仕事の相談をしたところ、「どうせ結婚したら楽になるんだからいいじゃん」と言われたこと。子どもは産まない、ずっと働き続けたい。そんな私はやっぱり変なのかもしれないと思い続けていました。

でも、いくつか仕事を変えていくうちに、いろんな人や価値観に触れ、「こう考えるのは私だけじゃないのかも」と気づき始めたんです。30代になり、恋愛や人生のことなど、いろんな話をできる友人ができ、思い切って自分は「産みたくない」ということを打ち明けてみたら、彼女もそうだと教えてくれて。ホッとしたと同時に、そうした思いを抱えていても言えない女性はたくさんいるんじゃないかと思ったんです。

「チャイルドフリー」という言葉を知ってほっとした

秦: 私も自分の20代の経験を思い出してしまいました。新卒で入った出版社で働いていたのですが、あるとき男性の先輩に「何で、わざわざこんな大変な職業に就いたの? 女だったら体売ったほうが何倍も稼げるよ。俺が女だったら絶対そうする」と言われたんです。当時は笑って受け流してしまったのですが、20年近く経っていまだに覚えているのは傷ついたからだと思うんですよね。

今、アラフォーと呼ばれる私たちの世代でも、まだまだ「働く女性」に対する社会の目は冷ややかで、男尊女卑的な扱いを受けてきたんだなぁと改めて感じました。そんななかで子どもを持たない理由を言えずに苦しんできた女性は多いのでしょうね。

若林: その後、ある媒体で「産まない女性」をテーマにしてコラムを書いたところ、「チャイルドフリー」というハッシュタグがついたんです。調べてみると、「子どもを持たない方が豊かだと考え、子どもを作るつもりがないと考える人々」とあり、こういう言葉があったのかと、驚くと共に何だかほっとしたんですよね。

秦: それはやっぱり今まで不安を感じていたから?

若林: そう思います。これまで「なぜ産めるのに産まないの?」と、呪いの呪文のように繰り返し質問をされてきて、そんな自分をうまく表現する言葉がずっと見つからなかったんです。でも、チャイルドフリーという言葉を知って、言葉があるということは、そういう生き方を選ぶ人がいるということだし、居場所があると認めてもらえたような気がしたんです。

子なし女性の背景さまざま

秦: 著書には、「産まない」「産めない」「産みたくない」といった、さまざまな想いや背景を持つ女性が登場します。話を聞き続けるなかで、どんなことが見えてきましたか?

若林: 私も当事者の一人だし、取材する前はこういう答えが返ってくるんだろうなと、大体見当をつけていた部分もあったんです。でも、それがことごとく違っていて、全く画一的じゃないんですよ。考えさせられることや新発見がたくさんありました。

最初に出てくるのは、独身でキャリアを積んで生きていくことを願っていた女性です。でも、非正規雇用で働きながら、生計を立てていくことに限界を感じ始め、婚活をするように。マッチングアプリや結婚相談所のプロフィールには、子どもが欲しいかどうかチェックする欄があり、需要を気にしてチェックせざるを得なかった。それを聞いて、彼女にとって婚活は就活と同じなんだなと衝撃でした。結婚した今、彼女はいまだ夫に、本当の気持ちを言えずにいます。

印象的だったのは、不妊治療を5年続けた末 “不妊治療とお別れ”し、自分の「産めない」人生を受け入れることができたという女性です。社会には「女性は産めるもの」という前提があり、そんななかで、不妊治療を終え、「産めない」人生を歩むことになった女性の存在というのは、なかなか認知されていないと感じます。それでも彼女はとても前向きに、子どものいない人生を楽しもうとしていました。

秦: 「子なし女性」と一口に言っても、みなさん、本当にいろんな背景を持っているんだなと改めて感じました。さらに、自分の納得できる前向きな答えを見つけていらっしゃるのも印象的でした。

若林: そうなんです。私も勇気をもらうことがたくさんありました。自分で選択したかどうか、納得できているかいないかで、苦しさやつらさも変わってくるだろうなと思います。

なぜ、子どもがほしいのか? 見えてきた不安

秦: 若林さん自身は子どもの頃から「産まない」と決めていたそうですが、どうしたら明確な答えが出せるのでしょうか? 途中でゆらぐことはなかったのでしょうか? 私は未だに「産まない」とも「産む」とも決められないまま、この年齢になってしまったのですが、決めることができたら、ちょっとは心がすっとするんだろうな……と。

若林: 私の場合、本当に自分が子どもを産む人生をイメージできなかったんですよね。でも33歳を迎えたある日、排卵障害があることが発覚して。医師に「この先、子どもを産みたいならすぐに不妊外来へ」と言われ、すごく動揺している自分に気付きました。「産めるけど、産まない」のと「産めない」のは、全然違う。選べないというのは、こんなに不安なことなんだと初めて知りました。

そのとき、じゃあ自分が「子どもを産みたい」という気持ちが少しでもあるとしたら、それはなぜだろうと考えてみたんですね。湧き上がってきたのは、「老後が不安だから」とか、「介護してほしいから」という気持ち。それを友人に話したところ、「そういう思いで産むなら産まない方がいい」とはっきり言われてしまいました。

そりゃあそうですよね。私が「子どもを産みたい」理由は、全部自分のためでしかない。生まれてくる子どもには、その子の人生があるはずで、最初から介護要員という役目を担わされるなんて、ひどい話です。それ以来、産まない人生を選ぶ方が、私自身も架空の子どもも幸せだと思えるようになりました。

「産まない」が「産みたい」にも。「選択」は柔軟でいい。

秦: 実は私も、友人に言われた言葉にハッとした経験があります。独身でフリーランスで40歳間近になって、ときどきどうしようもなく不安になり、自分には“何もない”とか“何者でもない”と、自信がなくなってしまう。そんなとき、「子どもがいたら……」と考えてしまうんです。私にはその子を育てる役目ができるし、社会からも「母親」だと認識されて、居場所ができるんじゃないかと。それを友人に話したら、「『母親』という肩書きに安心したいだけなんじゃない」と言い当てられ、本当にその通りだと思いました。

ただ、私が「産む」か「産まない」か、それでも決められないのは、「選択する」ということにも、自信が持てないからだと思います。

若林: 自信、ですか?

秦: 「産む」「産まない」にもきっといろんな葛藤や不安があるのに、全て「自分が選択したんだから、仕方ないでしょ」と「自己責任論」で片付けられてしまうのが怖いんです。

若林: 「産まない選択をする」って言ったら、「これが人生全体!」みたいに、思われてしまうのはちょっと息苦しいですよね。選択って、もっと柔軟でいいはずで、「産みたくない」が「産みたい」になってもいいだろうし、「産まない」が「産めない」になることもある。「今のところの選択」ということでいいんだと私は思っています。

子どもを持たない女性は「透明人間」?

秦: 多様な生き方を尊重しようと言われるようになっている今も、まだまだ子どもを持たない女性が違和感を感じることは多いのでは。「産まない」と決めている若林さんも、疎外感とか孤独感を感じることはありますか?

若林: あります、あります。例えば、私はよく自治体の施設を利用するのですが、掲示板のお知らせに「ママ世代にぜひ!」みたいなことが書かれていると、「私はママ世代ではあるけれど、ママじゃないし、参加していいのかな」と思ってしまう。そういうとき、社会の中で自分は見えていない存在、まるで透明人間になったような気がしてしまいます。

秦: 相手側に悪い気はなくても、妙に傷ついてしまう場面って、ありますよね。私も、選挙なんかで「子どものために」「子育て世帯のために」ということばかりアピールされると、「私だってこの社会に生きているのに」と、卑屈になってしまうことがあります。どうしたら私たちのような子どもを持たない女性が、社会で「透明人間」にならずにすむと思いますか?

若林: やっぱり社会構造から変えていかないと……という話になってしまうのですが、私は、政界や企業などの要職に、子どものいる女性だけではなく、「産まない」「産めない」女性や、不妊治療中の女性など、さまざまな立場の女性が入ることで、もっと中立的な社会を目指せるのではないかと思うんです。それは結果的に女性の活躍や子育て支援にもつながっていくんじゃないかなと。

秦: おっしゃる通り、いろんな立場の女性が力を持つことができたら、もうちょっと社会にも対話が生まれそうですね。でも、実際はまだそこまで来てない。女性というだけで一括りにされてしまって、その中にめちゃくちゃいろんなグラデーションがあるのだということは、理解が広がっていないと感じます。

「社会環境が変われば出産するだろう」という思い込み

若林: フェムテックもそうですけど、「社会環境がよくなれば女性はみんな産むだろう」「女性はみんな産みたいはずだ」という思い込みは、根強くあると感じます。確かに、少子化支援を充実させたり、女性の健康課題解決に向き合ったりすることで、働く人や産む人は増えるかもしれません。でも、みんながみんなそうではないわけで。社会をよくすることやフェムテックの行き着く先がそこになってしまうと、私のような女性は、ますます透明人間の気持ちを味わうことになってしまいますよね。

著書にも書いたSRHR(セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)という言葉の認知度の低さにも問題を感じています。これは子どもを持つ、持たない、いつ産むかなど、自分の体や人生は自分のもので、自分で決められるのだという考え方で、この認識がもっと広がっていくことも、さまざまな女性が生きやすくなるために必要なことだと感じます。性教育でも道徳でも構わないと思うんですけど、教育のなかで、生殖や出産・妊娠のことだけでなく、産めない可能性もあること、子どもを持たない人生があるということを、男女問わず学ぶことができたら、社会の認識も変わっていく気がするんですよね。

立場の違う女性が互いに尊重しあえる社会に

若林: 私、ずっと子なし女性の中にも対立関係はあるんだろうなと思っていたんです。例えば、私のような「産まない」女性に対して、不妊などで子どもを持つことができなかった「産めない」女性は、よく思っているわけがないだろうと。

でも、今回、本を書くにあたって不妊治療を経験された女性に話を聞いたときに、「『産まない』女性は、自分とすごく向き合っていて、私は尊敬している」と言われ、びっくりして。「この社会のなかで『産まない』と選択するのは、楽ではないはずなのに、そう決めたのは自分とたくさん向き合ったからでしょう」と。自分と全然立場の違う女性に対して、なかなか言えないことですよね。私は勝手に誤解していただけだったのだと反省しました。

秦: そうした勝手な誤解は、私もあると思います。未だ結婚もせず、子どもも持たず、健康で働けるのに、バリキャリになれない私は、この社会ですごく役立たずなんじゃないかとか、子どもを産んでキャリアを諦めざるを得なかった女性たちに、すごく非難されているんじゃないかとか。それで自分の立場に罪悪感を抱えてしまうんですよね。

若林: わかります。そうしたところからも、女性同士の「分断」が生まれているんでしょうね。でも私、女性同士が認めあえる可能性が絶対にあるって思っているんです。

自著『母にはなれないかもしれない』はすべて書き下ろしなのですが、以前、「文学フリマ」というイベントで、この本の底本となったZINE『私たちが「産まない」を選んだのは』を販売したことがあるのですが、そのとき、ベビーカーを押した女性が本を手に取ってくれたんです。「私も、こういう生き方を学ばなきゃと思っているんです」と。それを聞いて、すごく嬉しかったし、衝撃を受けて。彼女はただ純粋に「産まない」女性は何を考えているのか、知りたいと思っている。それを見て、希望があると思いました。

秦: それは嬉しいですね。ついつい私も一人殻にこもって「わかってもらえるわけがない」とか、思ってしまうんですけど、やっぱり意外と話してみるとそうじゃない。わかろうとしてくれる人はいっぱいいるし、こちらが勝手に壁を作っていたなと気付かされる場面はたくさんあります。

「産むべき」のストレス、対話から築くシスターフッド

若林: 完全には理解できないかもしれないけど、子どもを産む、または産まない人が、お互いを否定するのではなく、フラットに「どうして?」と聞き合うことで、自分の知らない価値観や考えを知ることは、視野を広げることにつながるし、それによって相手への理解も深まると思うんですよね。

秦:やっぱり対話によって、気づくことがあるんだろうなと思います。若林さんの著書のタイトルにはまさに「シスターフッド」という言葉が使われていますが、子どもを持たない女性同士こそ、連帯が必要だと思う理由はどんなところにありますか?

若林:もともとこの社会のなかで、疎外感や罪悪感を抱えて生きてきた「産まない」女性が、「私はこの立場を自分で選びました」と、一人で伝えるのは、やっぱりすごく大変なことだと思うんです。でも、同じような立場の女性が連帯してくれるなら、「自分だけじゃない」と安心できるし、自分の選択にも自信が持てるのではないでしょうか。

今、少子化問題によって「女性は産むべき」といった社会の風潮がより強まっているとも感じるのですが、そうした抑圧に対するストレスも、やっぱり女性同士だから共有できると思うんですよね。

秦: まだまだ男女平等とは言えない日本社会の中で、どんな立場の女性であれ連帯していくのはやっぱり大事だと感じます。敵対せず対立せず、対話することで、女性同士の中のグラデーションにも気づくことができるし、きっとそれぞれに思いやれることも増えていきますよね。

若林: そして、いつの日か男性も一緒に連帯できる日が来たら嬉しいなと思います。男女ともに、それぞれの生き方を尊重し合える社会になることを願っています。

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●若林理央(わかばやし・りお)さんのプロフィール

ライター。1984年、大阪府出身。いじめや不登校といった自身の経験と、日本語教師、アイドルなどの多様な職歴から「普通とは何か」をテーマに執筆活動を行う。2024年2月『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』(旬報社)を出版。 X(旧Twitter)@momojaponaise

ライターやエディターとして活動。女性の様々な生き方に関心を持ち、日常の中のセルフケアや美容、ウェルネスをテーマに取材・執筆を続ける。また、ファッションやコスメブランドのコピーライティングなども手がけている。
イラストレーター。見た人のこころがゆるむような、やわらかくのびのびとしたイラストを描いています。趣味はイラストを添えた映画日記をコツコツつけること。
“39歳問題”