“私の40歳”を探して〈vol.4〉 “不惑の年”までには何者かにならないといけないという呪縛
「シングル女性=バリキャリ」にモヤモヤ
怒られてばかりだった20代。ちょっとずつ自分のできること、役に立てることがわかり始めてきた30代。懸命に働きながら、気づけば40代が目前に迫っている。結婚や子どもについて考えたことがないわけではないけれど、精神的にも経済的にもずっと余裕なんかなかったし、目の前のことに向き合うだけで精一杯だった。
雨宮処凛さんの著書「非正規・単身・アラフォー女性 『失われた世代』の絶望と希望」(光文社新書)には、まさに私のような女性がたくさん登場する。
そうして気がつけば、アラフォー。『結婚してないのか』『子ども産んでないのか』なんて心ない言葉をぶつけられ、時に憐れみの目で見られたりする。―略― 別に結婚しないって決めて生きてきたわけじゃない。仕事一筋のバリバリのキャリア女性を目指してきたわけでもない。かと言って、今のままでいいとは思えない
「非正規・単身・アラフォー女性 『失われた世代』の絶望と希望」(光文社新書)
本当にその通りだ。一方で、世の中で「働くシングル女性」というと、バリバリのキャリアウーマン(この言い方もどうかと思う)がイメージされるのも謎で、「家庭よりも仕事を選んだ」意志の強い女性で、お金も時間も自由に使える余裕のある生活を送っていると思われることも多い(もちろんそういう女性だってたくさんいると思うけれど)。
「仕事一筋でかっこいい」「自由で羨ましい」そう言われるたび、私は曖昧に笑うしかなかった。だって、この笑顔を剥がせば、不安しかないから。だけどそれを見せてしまえば「自分のせい」と言われそうで怖かった。
私って、自分のことばっかり……
ありがたいことに、今のところフリーのライターとして生き延びられているのは、人に恵まれているからだと思っている。それでも、時たまひどい扱いをされることもあって、「女性じゃなかったら、仕事頼んでないですよ」なんてことを言われたこともあった。つまり私の能力なんか関係ないってことか。インボイス制度が始まってからは、有無も言わさず報酬を減額されることもあり、自分の仕事の価値なんて、そんなものなのかなと自信を失いそうになる。だけど干されるのが怖くて、いつも何もいえずにいる。
仕事で落ち込むと、誰もいない家にもいたくなくて、近所のファミレスで夜を過ごすこともある。ふと隣に目をやると、幼い子どもにご飯を食べさせている、おそらく私と同世代の女性。子どもは食べながら暴れ、暴れながら泣いている。それでも女性は辛抱強くごはんを食べさせる。そんな光景を前に私は思う。
「私って、なんて自分のことばかっりで生きているんだろう」
気づけば共に走ってきた仕事仲間はほとんど結婚して母になり、仕事と育児を必死に両立して頑張っている。中には子育てのためにキャリアを中断せざるを得なくなった女性もいて、そのつらさを聞くこともあった。私はといえば、結婚もしておらず、健康で、子どももいない。今までと何も変わりなく、常に自分の人生ばかり考えている。両親が私の年齢のときには、もう家だって買っていたというのに。
仕事でちょっとプライドを傷つけられたからって、なんだというのだ。こんなにも頑張っている女性がたくさんいるのに。溢れそうになる涙をグッと我慢した。
「私はバリキャリなんかじゃない」と甘えている場合ではないのかもしれない。働けるなら働かなきゃ。仕事で社会に貢献しなきゃ、じゃなきゃ面目が立たない。社会に存在を認めてもらえない。そんな思いが積み重なっていったからだと思う。30代も後半になってからは、「40歳になるまでに、名前を知られるような何か“すごいこと”をしなければ」というプレッシャーが付きまとうようになった。20代30代と、もう十分に経験は積んできたはず。ここである程度成果が出せなければ、社会に私の居場所はなくなる。そんな恐怖があった。
「telling,」の過去のインタビューで、社会学者の上野千鶴子先生が、「週に9日」働いていた30代を振り返ってこんなことを語っている。
でもね、子どもを育てた人に比べれば、圧倒的に楽ですよ。ある時、子どもを産んだ同僚の女性研究者からこんなふうに言われました。「上野さんは子どもさんがいないんですから、たくさん仕事をしてくださいね」って。あれはいじわるだったのかもしれませんけど(笑)。「telling,」2023/09/20 社会学者・上野千鶴子さん「キャリアも結婚も子育ても、は欲張りじゃない」
「彼女は私だ」。シングル女性の貧困問題
その後、上野千鶴子さんはまさに「バリキャリ」の鏡になったわけだが、私はふと考えてしまう。この時代、そうなれなかった子どものいない女性たちはどうしたのだろう。そして、その後はどうなるのだろうと。
シングル女性は貧困率が非常に高いのをご存知だろうか? 特に65歳以上になると、44・1%が「貧困状態」であるというデータもあり、そこには、女性が働けない、働いてもお金がもらえない、という男性中心社会の構造がどうしたって影響していると感じる。
しかし、貧困状態にある多くのシングル女性は、なかなか助けを求められないことが多いという。それはなぜか。そこには、まさに私と同じ想い「子どもがいないのに」とか「私は社会貢献していない」という申し訳なさや罪悪感があって、「だから、自分は助けてもらうことなどできない」と思い込んでいる場合も多いのだそうだ。
記憶している人も多いと思うが、コロナ禍、非正規雇用の女性たちの雇い止めや解雇が問題になった。職や住まいを失った60代の女性が、渋谷区のバス停のベンチで殺害されるという痛ましい事件も起きた。その後、追悼デモやSNS上では「彼女は私だ」の声が上がり、当時フリーランスになったばかりの私も、この事件を特別な想いで見つめていた。
なぜ誰も彼女に手を差し伸べなかったのだろう、なぜ彼女は誰にも頼れなかったのだろう。世の中では「女性活躍」「輝く女性」そんなキラキラした言葉がよく聞かれるようになり、女性の多様な生き方が尊重されるようにだってなってきているようだ。でも、その裏側には、取りこぼされている女性たちがまだまだ山ほどいるんじゃないだろうか……。
輝いていなくとも、活躍していなくとも、堂々と生きたい
歳を重ねるうち、悩みや不安を周囲に打ち明けることが難しくなっているシングル女性は本当に多いのではないかと思う。かくいう私も、家族がいて大変な友人に、自分のことなんかで煩わせるのは申し訳ないし、いい歳して親に心配もかけたくない。そうやってついつい心の扉を閉めてしまうことがある。
だけど、この連載で思い切って自分の気持ちを吐き出してみたら、「私もつらい!」と打ち明けてくれる女性が周りに増えてきた。悩んだり焦ったりしているのは自分だけじゃないのだとホッとしたのと同時に、私がいまできる方法で、できることがあるのかも、ということが、ちょっとわかってきたような気もする。そうすると、「40歳までに」とか「社会貢献」といったことへのプレッシャーやこだわりが、少しずつ和らいできた。
「女性」で「シングル」で「フリーランス」や「非正規雇用」で「アラフォー」で。そんな私たちは懸命に生きている。「すごいこと」をしなくとも、「何者」かにならなくとも、バリキャリじゃなくても、仕事も育児も頑張る母親じゃなくても、輝いていなくとも、活躍していなくとも、この社会にちゃんと安心できる居場所があるべきだと、私は私のできる方法でこれからも伝えていきたい。
最近、同じようにシングルで働く同世代の友人たちと「おばあちゃんになったら、共同生活しよう」なんてことをよく話す。半分冗談、半分本気。抱える不安はみんな同じなのだ。それでも1人じゃなければ何とかやっていけるような気がする。こういう気持ちは本当に救いになる。
きっとこれからも増え続けるであろうシングル女性たちが、もっと気持ちを吐き出せる場があったらと思う。堂々とこの社会に生きる一因として、「私はこれでいいんだ」と思える日がちゃんと来ますように。
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