ドラマ『39歳』が教えてくれた幸せ 銀座でひとり鮨を食した40歳の誕生日

結婚、出産、仕事……。40代を目前に人生の岐路に立つ「39歳問題」。Netflixで配信中の韓国ドラマ、その名も『39歳』は、仲良しの女性3人が愛と人生、そして突然襲った悲しみに、強い絆で立ち向かう様子が人気です。女性はこの年齢で何を思うのか。どんな選択をするのか。現在43歳の独身女性ライターが、ドラマをきっかけに思い起こした自身の39歳について語ります。
38歳女性の「再婚活」実録 壮絶な離婚越え、ある「転換」が人生を変えた 「39歳問題」のリアル。「妊活は1年のみ」「時間と体力の配分がキモ」……29歳時とは異なる境地

2000年にフジテレビ系で放送された大ヒットドラマ『やまとなでしこ』で、主演した松嶋菜々子さんはみずみずしい表情でこう言った。

「27歳は、女が最高値で売れるとき」

今なら炎上しそうな台詞だけれど、確かに思い返してみると、27歳というのは無敵だったと思う。あふれ出る気力と体力。周囲からも、若いというだけで十分にちやほやしてもらえた。

『やまとなでしこ』より前の時代、1994年に放送されたドラマ『29歳のクリスマス』(フジ系)では、30歳を目前にした女性たち(演じたのは山口智子さんや松下由樹さん)が、結婚や出産、仕事に悩むリアルな姿が描かれた。このドラマの中で29歳は“崖っぷち”。結婚していない女性は行き遅れとされ、女性たちも焦りに焦る。

どちらも20年以上も前のドラマなので、当然いまとは感覚が違っているが、女性の人生の岐路と年齢は切っても切れない関係であることは、いつの世も論をまたない。

二度と戻らない時間だからこそ愛おしい

女性の年齢をテーマにした最新版ともいえるドラマが、韓国の『39歳』。2022年からNetflixで配信され、注目を集めた。主演は大ヒットドラマ『愛の不時着』のソン・イェジンだ。

ソン・イェジンが演じる主人公は、皮膚科医のミジョ。誰もがうらやむ才色兼備の女性だが、子どもの頃に母に捨てられ養父母に育てられるという複雑な生い立ちをもつ。そして、友人の演技指導者のチャヨンと、百貨店で化粧品販売員を務めるジュヒ。このドラマは、20年来、仲の良い友人として同じ時を過ごしてきたこの3人の友情の物語だ。

酸いも甘いも経験してきた女性たちは、それぞれ恋愛もしているが、そこに20代のような激しさはない。ともすれば、彼女たちは恋人とのデートよりも女友達を優先する。3人はケンカをしたり、冗談を言い合ったりしながら、これからもずっと一緒に過ごせると思っていた。しかし、39歳を前に大きな試練に直面することになる。チャヨンに重篤な病が発覚し、余命半年と宣告されるのだ。

延命治療はしない。最後まで、できる限り楽しい時間を過ごすと決めたチャヨン。人生の伏線を回収するように、チャヨンは1つひとつ、自分に残された宿題を解決していく。

「父と母に健康診断を受けさせてほしい」
「私の恋人に週に1回、サムギョプサルを食べさせてほしい」

そんなお願いをミジョに託すチャヨン。「週に1回はさすがに無理よ」と抗議しながらも、ミジョはそれを忘れないよう付箋に書いて貼っていく。残される者、残して逝く者、それぞれの立場の感情を12話にわたり丁寧に描いている。

ドラマのスタート時点では、チャヨンの恋人ジンソクには妻子がいるが、その後離婚が成立する。ジンソクはチャヨンの余命がわずかだと知りながら、あえてチャヨンにプロポーズする。

「たとえ君が死んでも、君の夫として生きたい」

ジンソクのこの言葉には胸を打たれるが、チャヨンは彼の申し出を受け入れない。そんなチャヨンの決断を、ミジョは支持する。「そうね、不倫と言われても守った愛よ。婚姻届なんて無意味だわ」。この2人のやりとりにも、若い頃にはない深みを感じる。

派手な恋愛要素がないのにこのドラマが支持されているのは、年を重ねること、愛する人との出会い、そして避けることのできない別れを静かに、繊細に描いているからだろう。チャヨンの死期が迫ってきた11話のラストが、とても印象的だった。

3人と、そのパートナーを含めた6人はチャヨンの実家のお店に集まり、備え付けのカラオケで歌を歌い始める。ミジョが歌う『ロマンについて』の歌詞が流れる。

「もはやこの年になると、青春に未練などないけれど……」

声をつまらせるミジョ。まぶしい季節を通りすぎたからこそ、わかることがある。あの時がいかに貴重で一瞬であったか。しかし、過ぎた時間が戻ることはない。まさかこんなに早く友を失うことになるとは。ふざけ合っていた10代、20代の頃は、思いもしなかったことだ。

ミジョは、窓の外の降りしきる雪を、静かに見つめた。

40歳の誕生日は銀座でひとり鮨

このドラマを見て、自分自身の39歳を思い返してみた。39歳の夏、私の人生において大きな出来事があった。30代の約10年間をともに過ごした恋人と別れたのだ。

「解散しよう」

それはとても静かな別れだった。別れてはまた惹かれ合い、よりを戻す。そんなことを繰り返してきた私たちだったが、この時はなぜか「これが最後になる」という確信があった。

私は30代の10年間を、その恋人と一緒に過ごしたことになる。結果的に結ばれることはなかったけれど、10年間の喜怒哀楽をともにしたことは、お互いの人生にとって消せない出来事になった。いまの私を作ってくれている一要素であることは間違いない。

さて、困ったことになったな、と思い始めたのは年末のあたりからだ。1月に“不惑”の誕生日を控え、私はそわそわし始めた。30代の誕生日は、恋人のおかげで毎年、おいしいディナーで祝ってもらってきた。こともあろうに、40代になる節目の誕生日に、1人で過ごす羽目になってしまった。

友人を誘おうかとも考えたけれど、何だか「祝ってくれ」と言っているようで気が引ける。そこで思い立ったのが、銀座のひとり鮨だった。誰かにおごってもらうのではなく、自分が稼いだお金で、ひとりでお鮨を食べに行こう!

新型コロナウイルスの影が忍び寄ってきていた2020年1月、私はカウンターだけの高級鮨店に1人で入った。客単価が3万円もするお店だ。当然、「ひとり鮨」は初めての経験だった。予約の電話から緊張し、当日はお店で大将に「お、おまかせでお願いします」と伝えた声がうわずった。

しかし、そのお鮨のおいしかったこと! 今まで食べてきたお鮨は何だったのかと疑問に思うほどの衝撃だった。

このお鮨がおいしいのは、大将が握ったお鮨そのものの味だけが理由ではない。31歳で会社員を辞め、フリーランスのライターになった。実績もスキルも人脈もない、ゼロからのスタートだった。最初の4年ほどは食べていけず、困窮したときに、別れた恋人や家族、編集者さんに助けてもらった。本当に多くの人たちが、私をここまで連れてきてくれた。そして、何より逆境でもへこたれなかった自分をほめたい。このお鮨は、30代の私の戦いの成果だ。

お店を出て夜風に触れた瞬間、30代だった頃のあれこれがすごく遠くに感じたのを覚えている。20代、30代は七転八倒しながら過ごしてきた自分。こんな大人の過ごし方ができるようになったのかと、しみじみした。年をとるのも、そう悪いことばかりでもないかもな、と思えた。

子どもを持たない人生に折り合いをつけた

いま振り返っても、30代は苦しかった。仕事がない、お金がない、結婚できない。

40歳を前に私が思ったのは、「これでようやく私も楽になれるのではないか」ということ。ロスジェネ世代の私にとって、年上の先輩たちはバブル世代だ。だからかもしれないが、その背中はとても軽やかで楽しそうだった。

「40代は楽しいよ」

そう言ってくれた先輩たちがいたから、私は40代になるのがむしろ楽しみだったのだ。

40代で精神的に落ち着くのは、30代までは大きく目の前に広がっている選択肢が少なくなるからかもしれない。40歳を前に私が明確に諦めたのが、妊娠・出産だ。33歳の時点で、血液検査で測った卵巣年齢は基準値よりも大幅に低かった。「私は妊娠できないかもな……」と、その時に少しだけ覚悟を決めた。

37歳で再度ホルモン検査をしたとき、医師は言った。
「断言はできないけれど、自然妊娠することは難しいかもしれない」
結婚していない私に、不妊治療をする選択肢はなかった。

病院を出て、「あぁ私は人生では子どもを持たないのだな」と思った。その時の空の澄んだ青、顔を吹き抜けた風を、今でも覚えている。

さすがに43歳になると、「まだ産めるよ」と言われることは少なくなったが、39歳から42歳くらいまでは、私の体の事情を知らずに「がんばってみたら?」と言われることが多く、そのたびに心が痛んだ。

70代の父に、こんなことを言われたこともある。

「結婚し、子どもを持つという普通の幸せを、お前にも味わってほしかった。独身のおまえがこの先どうやって生きていくのか、お父さんは気がかりでならない」と。

出産はともかく、この先結婚はするかもしれないし、幸せの形だっていろいろだよ、お父さん。そう言いたかったが、育った時代の違う父が現代の多様な価値観を理解するのは難しいだろうと、言葉を飲み込んだ。普通の人生を生きられなくてごめんなさい。暗い気持ちになったが、私の人生の幸せは、私が決めるしかないのだ。

私はこれからも子どもを持たなかったという事実を抱えて生きていく。ただ、私は30代でこの問題にしっかり向き合った。これはかなり重要だったと思うし、悩んだ末には清々しさのようなものさえもたらしてくれた。

出産の問題に決着がつくのは、40代のいいところかもしれない。俳優の小泉今日子さんは、自身のエッセイ『戦う女』(リトルモア「真夜中」No4 2009 所収)の中でこんなことを書いている。

「迷いだらけの卑屈な三十代を怠けずに悩みまくって生きていると、いきなり時空が変わって今までの向かい風の中を生きている感覚から、背中を優しく押される追い風の中を歩いているような感覚に変わる。 それが四十代だ。 結婚どうする? 子供はどうする? そんな呪縛から一気に解き放たれ、仕事も恋愛も生きることも純粋に楽しめるようになった。なんの思惑もないから女であることも心から楽しめる」

向かい風から追い風へ、まさにその通りだ!と43歳の私も今同じことを感じている。

自分の問題は自分で解決する

人はいきなり、10歳年をとったりはしない。今この瞬間の集積が年月になり、人生となっていく。

40代になって思うことは、「あぁ、ちゃんと歩いてきた道がつながっているな」ということ。その当時はまさかこんなふうにつながるとは思っていなかった、というような点と点がつながり、今の自分を思いがけない場所へと導いてくれたりする。仕事をすること、誰かを大事に思うこと、これまで何に時間を割き、打ち込んできたのか、自分のまわりを見渡すとよく分かる。そして、実感する。思いと時間(時にお金)をかけたものは、ちゃんと育つのだ、と。

一方で、家族とのこと、仕事のこと、これまで目をそむけてきたことにも、向き合わなければならないタイミングなのだと思う。

ドラマ『39歳』の第10話のタイトルは「結者解之(チョルチャヘジ)」。直訳すると、結んだ者が解くべき、つまり問題は、起こした本人が解決すべきだという意味だ。この年になれば、自分の人生を誰かのせいにして生きていくことはできないのだ。

チャヨンの人生最期の時間に、ミジョとジュヒが寄り添ったように、結婚していない人が必ずしも1人寂しく死んでいくわけではない。『39歳』は、いまこの瞬間の時間の尊さと、そばにいてくれる人の大切さを思い出させてくれる。誰にとっても、現在の幸せが、この先もずっと続くとは限らない。だからこそ、若いときも、40代になっても、私たちは今この瞬間を大事に、一生懸命生きていくしかないのだ。

(写真:Getty Images)

38歳女性の「再婚活」実録 壮絶な離婚越え、ある「転換」が人生を変えた 「39歳問題」のリアル。「妊活は1年のみ」「時間と体力の配分がキモ」……29歳時とは異なる境地
ライター/株式会社ライフメディア代表。福岡県北九州市生まれ。雑誌、WEB、書籍でインタビュー記事を中心に取材・執筆。女性のハッピーを模索し、30代はライフワークとしてひたすらシングルマザーに密着していました。人生の決断を応援するメディア「わたしの決断物語」を運営中。
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