長く愛せて顔が見える服づくり 会津木綿で受注生産を続ける山崎ナナさん
●サステナブルバトン4-2
冬あたたかく、夏も快適な会津木綿
――山崎さんがオーナー兼デザイナーを務めるYAMMAの服の特徴からご紹介いただけますか。
山崎ナナさん(以下、山崎): YAMMAは、2008年に立ち上げたアパレルブランドで、設立当初から、オーダーをいただいて作る“Made to order(受注生産)”の形を取り、大量生産・大量廃棄をしない服作りをモットーにしています。現在は、全国約40カ所の契約店舗さんで、年1~2回開催される「受注会」でオーダーを受け、約半年後にお渡しするスタイルです。素材は、福島県会津地方に伝わる会津木綿を中心に、麻やウール、シルクといった環境にも人にもやさしい天然繊維のみを使っています。
また、YAMMAでは長く愛していただけるよう、デザインも飽きのこないものを追求しています。定番で人気の「ベーシックコレクション」は、基本パターンに袖や丈の長さなど、お客様のお好みでアレンジが可能なため、既製品にはない魅力も感じていただけているようです。受けたオーダーは、1人の縫い子さんが最初から最後まで責任をもって仕上げる点もYAMMAの特徴でしょう。心を込めて作られた製品のタグには、手がけた縫い子さんの名前が記されるので、作り手の「顔が見える服」として喜んでいただいており、作り手のやりがいにもつながっています。
――会津木綿は、一般的な木綿とどう違うのでしょう?
山崎: 会津木綿は、400年以上続く伝統産業です。農作業の衣服に用いられてきた生地で、速乾性に優れ、とても丈夫です。中厚地で少しガサガサとして武骨な印象ですが、湿度の高い夏は快適に、冬は生地が厚いため暖かいのが特徴です。昔の人たちの知恵が詰まった素材だなとつくづく感じますね。YAMMAでは、現在は全製品を20番双糸というやや太めの糸で織られた布で作っています。いろんな糸で布を織るとその分、無駄が出てしまうからという理由で統一したのですが、この太さの糸で織ると「暖かく、すぐ乾く」という性質がよりよく出るため、ベストな生地にたどり着けたなと感じています。ただし生地の性質上、約8パーセントの縮みが生じる点は注意が必要で、YAMMAではお客様にお送りする前に一度洗濯し、出荷後の過度な縮みを防いでいます。
皆さんは、季節ごとにクリーニングに出して保管しておいたのに、しばらくぶりにクローゼットから出してみたら虫に食われていたり、黄ばんでしまい、結局は着られなくなったりという経験はありませんか。会津木綿の服は1年を通して着られるため、そうした心配や面倒もいりません。今回この連載「サステナブルバトン」のバトンを繋いでくださった菅野のなさんも、こうした会津木綿の素朴な風合いや着心地の良さなどに惹かれて、YAMMAの服を長年愛用してくださっています。
――起業当初から受注生産だったのですね。納入までに時間がかかることなど、お客様の理解は得られましたか。
山崎: いまでこそ受注生産するブランドも増えてきましたが、はじめは難しいと感じることもありましたね。当初、全国の工芸品や作家の作品などを扱うセレクトショップなどで、YAMMAの服を扱っていただいていましたが、「納品までになぜこんなに時間がかかるのか」とか、「縫い目が少し斜めになっている」といった、返品対象には至らないものの、こまごまとした苦言をいただくこともありました。
そんなとき、私の地元である熊本で陶芸家として活動しながら、長年セレクトショップをされている方が手を差し伸べてくださいました。「どれも同じ作りの完璧な商品がいいなら、大量生産品を買えばすむ。むらやばらつきが出ることも含めた手作りの品の持つストーリーを、買ってくださる人に伝えて欲しい」と、他の販売店の方に言ってくださったんです。もちろん我々も日々、技術向上に努めていますが、あの助言は本当にありがたかったと今も思います。
織物工場を引き継いで
――そもそも、なぜ山崎さんはYAMMAを立ち上げることになったのでしょう。
山崎: 元々は工芸作家になりたくて、5回も東京芸大の入試に挑んだほどでした。その受験勉強の過程で工芸の勉強に飽きてきていた私は、ちょうど芸大に新設された先端芸術表現科に27歳で入学しました。もともとバレエなどの舞台芸術が好きだったこともあり、芸大在学中に舞台衣装の制作に携わるようになりました。ダンサーの田中泯さんがプロデュースするステージ衣装制作を手伝わせていただくようになり、洋服作りを学んでいきました。
衣装を手がけるようになってから、「自分の内面を表現する芸術家より、誰かのためにデザインするほうが私には向いている」と気付きました。これはヤンマ産業を起業する動機にもつながりました。「この素材をお客さんの生活の中で活かしてもらうためにどうデザインすればいいかな」と想像を巡らせるのはとても楽しいことです。
――生地を発注する側だった山崎さんが、会津木綿のメーカーを工場ごと引き継ぐことになったわけは?
山崎: 私が会津木綿の生産者さんと関わりはじめた後に、東日本大震災がおき、震災復興の機運の高まりから会津木綿の受注がとても増えていました。それなのに、生産者さんは全然豊かにならないんですよ。それって、おかしいなと思い始めました。
聞いてみると、1980年~90年代に、業界全体が中国との安価な価格競争でコストを切り詰めた結果、作り手に還元されない仕組みになってしまったそうです。誰かの労働を無理をする仕組みは、持続可能ではないですよね。そこで私は、拠点を海外に移し、逆輸入的に会津木綿の価値を高めれば、よい流れを生み出せるのではないかと考えるようになりました。ところが、その話を一緒に進めていたメーカーの社長さんが突然他界されました……。ショックでした。しかも、ご親族の方々は工場をわずか数週間でたたんでしまったんです。
――それは大変な危機でしたね。
山崎: 20台以上ある織り機には、織りかけの生地がかかったまま。職人さんたちも突然、仕事を失ってしまいました。あまりにもったいないし、なんとか復活させる策を考えたいと、とにかく工場を引き継ぐことを決めました。
ただ、引き継いでから、ご親族が早々にたたんだ気持ちもわかる気がしました。工場の設備はとても老朽化していて、あちこちが傷んでおり、しばらくはあちこちの修繕に追われました。そんな状況の中、私だけがアメリカに行っていいのかすごく迷いましたが、一緒に再開してくださった方が、「アメリカに行ってくれた方が会津木綿の未来が開ける気がする」と背中を押してくださいました。渡米してからは、会津木綿のような古い産業が、かろうじてでも残っていることの大切さを痛感しました。イギリスは別として、欧米では伝統的な産業も織機もどんどんなくなっているので、会津木綿を絶やさないよう、守りたいという気持ちが一層強くなりました。
NYからの逆輸入に挑戦
――現在は、ニューヨークを拠点に日本と往復しながらお仕事をしていますね。
山崎: 15年前、アパレルブランドのYAMMAと、その母体であるヤンマ産業を立ち上げた当初は苦労もありましたが、おかげさまで次第に安定してきました。渡米を決意したのは、会津木綿の価値をより高めるという目的と同時に、デザイナーとしての自分を見つめ直したいという気持ちもあったんです。
一般的なブランドは、1シーズンに20から時には50着以上も新たなデザインを考え、どんどん新商品を生産します。ただ、YAMMAは大量生産を良しとせず、長く愛していただく服です。私はデザイナーでありながら、1年にデザインするのはわずか数点。芸大でご指導いただいた先生からは、「自分がビビッドに感じていないことはするな」と教え込まれたこともあり、ヤンマ産業をより良く継続させるためにも、刺激のある道を選ぼうと思ったんです。
また、当時10歳だった娘に「もっと視野を広げるために様々な価値観に触れて欲しい」という気持ちも、渡米の後押しになりました。現在、ニューヨークを拠点にポップアップショップなどでYAMMAの製品を紹介していますが、かの地では感想をストレートに伝えてくれるので、やっていて楽しいですし、ビビッドな感覚を取り戻せたと感じます。
――創業当時と比べて、変化したなと感じることは?
山崎: YAMMAを始めたころは、私が当時住んでいた東京・武蔵野市のおばあちゃんたちに1着1着縫ってもらっていました。今では代替わりし、縫い手は30~40代が中心になりました。なかには20代の方もいらっしゃいます。社会的に手作りの価値やサステナブルへの関心が高まっていることもあり、いま縫い子さんは大人気なんです。かつては「職人はお金ならない」という時代がありましたが、いろんなブランドや工房から引く手あまた。手に職がある人は強いなと思います。
ヤンマ産業では、縫い手の皆さんに1着2000円から5000円でお願いしていて、器用な方なら1日で複数縫えますから仕事として十分成り立ちます。「人間関係や通勤のストレスがなく、仕事に集中できる」とか、「子育てをしながらマイペースにできる」と、とてもやりがいを持って取り組んでいただけているのかなと。少しずつ働き方の選択肢が増え、多様性が生まれているのかなと感じますね。
サステナブルとはナチュラルで身近なこと
――この先、どのような展開をお考えですか。
山崎: アメリカ発でスタートさせたばかりのブランド「YAMMAMAN(ヤンママン)」があり、これを国内向けに定着させていきたいと思っています。ちなみに、「YAMMAMAN」のマンは男性でなくヒューマン(人)の意味です。
アメリカでも、ここ最近変化を感じるようになっていました。今までは滑らかな高級綿のスーピマコットンが好まれていましたが、昨年末に開いたポップアップストアではガサガサした会津木綿を「ユニークで個性的だ」と認めてもらえるようになったんです。とくにストールは暖かさを実感していただけたようで、想像以上の売り上げを記録しました。
もともとオーガニック食に親しみ、菜食主義であるビーガンの方が多い土地柄なので、身に着ける衣類も植物由来の製品を求める傾向がありました。そこにコロナ禍で生活や考え方の変化が加わり、会津木綿も受容されるようになったのかなと。そんな風に、今後ますます価値観は多様になっていくのだろうなと思いましたし、YAMMAの可能性が広がる手応えを感じています。
――では最後に、山崎さんにとってサステナブルとは?
山崎: サステナブルやサステナビリティは、近年急速に広まった印象ですが、私が大学に入学した1999年には、すでに授業で取り上げられていました。「サステナビリティが軸にない社会は成り立たなくなる」といったことを繰り返し耳にしましたし、1年生の時に始まった芸大と市民、取手市による「取手アートプロジェクト(TAP)」の最初のテーマはリサイクルだったと思います。アートにはそうした社会情勢を映し出す、最初の鏡のようなところがあるんですよね。
ですから、サステナビリティを抜きには考えられないというか、そこを起点にものづくりをしています。起業当初から受注生産にこだわったことや、在庫を持たないという信念も、私にとってはとてもナチュラルなもの。「持続可能な社会」というとやや堅苦しく聞こえますが、ごみの廃棄問題や労働者の問題など、とても身近なことばかりです。ヤンマ産業は、服という身近なものから、そうした社会の課題を少しでもよりよい方へ変えられたらいいなと思って立ち上げた会社なので、YAMMAの服を通じてこれからもその想いを伝えていきたいですね。
●山崎ナナ(やまさき・なな)さんのプロフィール
東京藝術大学大学卒業、同大学院修士課程修了。2008年にヤンマ産業を起業、同時にアパレルブランド「YAMMA」立ち上げ。流行を追い、大量生産、大量消費される現在のアパレルシステムに疑問をもち、「無駄を省く」「在庫を持たない」「適正な価格で販売する」を柱にアパレルビジネスを展開。2015年、一度は封鎖が決まった120年の歴史を持つ会津木綿工場「原山織物工場」の工場存続に立ち上がり、新生「株式会社はらっぱ」代表取締役となる。現在、アメリカ・ニューヨーク在住。
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