ガザ地区の犠牲者7割は女性と子ども。日本からも声を上げる勇気を
ガザの惨状、少ない日本語での情報
国連女性機関によると、ガザで殺害された女性のうち6千人が母親で、1万9千人の子どもが孤児になったとみられます(4月16日の報告書)。清潔なトイレや水、生理用品がなく、下痢などの感染症も広がっています。イスラエル軍は病院や学校も無差別に攻撃し、ガザで暮らす人たちは一瞬たりとも安全を感じられなくなっています。
そんな状況に対して声を上げた増渕愛子さんは、東京生まれ・育ち。現在、米ニューヨークと日本を行き来して、映画やアートの分野で活躍しています。濱口竜介監督が「ドライブ・マイ・カー」で米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞したときは、通訳として監督と共に壇上に上がりました。記者は、増渕さんの人柄や名通訳ぶりから伺える言葉のセンス、人権意識の高さを間近に見てきました。
増渕さんは「昨年10月7日以降の出来事について話すにあたっては、まずはガザ地区の歴史から考えてほしい」と話します。イスラエル建国によってパレスチナ人が故郷を追われて75年以上が経っています。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸とガザ地区を占領、2007年からはガザ地区の人や物資の移動を厳しく制限するようになり、周囲には壁が張り巡らされました。こうしてガザ地区の人々は、電気や水までも制限された厳しい状況に追い込まれてしまったのです。
昨年10月、イスラエル軍がガザ地区に大規模攻撃を始めてすぐ、ガザ地区の人たちはインスタグラムなどSNSを通じて、幼児や市民が殺されていく状況を発信し続けてきました。米国内ではすぐにイスラエルへの抗議デモが起き、増渕さんもニューヨークのデモには何度も参加しました。
増渕さんは、映画文化の中でパレスチナについて学んだそうです。日本のインディペンデント映画界(大手の制作配給会社に属さない自主映画界)ではこれまで、パレスチナ問題をテーマにした作品がいくつも作られてきました。
例えば足立正生監督(84)は、1970年代にパレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり、パレスチナゲリラの日常を描いた「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」(1971年)を制作しました。ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」で知られる故・佐藤真監督は、パレスチナ周辺で何が起こり、何が考えられているかを提示した「エドワード・サイードOUT OF PLACE」(2005年)を撮っています。
増渕さんは今回の侵攻以前から、イスラエルが支援する企業の商品は買わないなど、日常でできる範囲のことはしていたそう。「そこに侵攻が起き、それから半年以上経っても虐殺が終わらないどころか加速している。今となっては、自分ももっと前から声を上げておくべきでした」と振り返ります。
イスラエル侵攻後、日本でガザの現状がどのように伝えられているかを調べるにあたり、日本語での情報量の少なさに愕然としたそうです。このため翻訳家の仲間達と手分けして、英語で発信される情報を日本語訳して、「#ガザ投稿翻訳」とハッシュタグをつけて、ガザのジャーナリストが英語で発信をした言葉などをSNSで紹介し始めました。
Dier el-Balah にいるパレスチナ人のお父さんが子供たちのためにパンを買いに家を出た。帰って来たら、家はイスラエルの空爆により破壊されていて、子供達は殺されていた。(2月13日、増渕さんのXの投稿)
「私たちと同じように思った人たちは、他にもいます」と増渕さん。「インスタグラムではイスラエルによるパレスチナ占領問題についての情報を日本語でシェアするアカウントも立ち上がりました。日本在住のパレスチナ人や、パレスチナの友人たちのためにハンガーストライキをした詩人の松下新土さんらも発信しています」
その一つ、日本の「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」は昨年10月下旬、アラブ文化研究者の岡真理さんを招いてイベント「ガザを知る緊急セミナー ガザ 人間の恥としての』を開きました。増渕さんもオンライン配信をきいて衝撃を受けたと話します。
岡真理さんはイベントで、パレスチナの知り合いから届いた、多くの子どもたちが殺されている状況について紹介しました。10月7日のできごとを背景から説明し、第二次大戦のホロコーストからイスラエル建国に至ったいきさつと現状を説明しています。
ガザの現状は、日本にも責任の一端が?
主催した学生は冒頭、「世界の無関心が、私たちの無関心が、声を上げないことが、イスラエルによるパレスチナ人の追放、占領政策、そして虐殺に加担してきました。これは国際社会の私たち自身の責任です」と呼びかけました。
ガザで起きている虐殺が、なぜ日本に生きる私たちの責任でもあるのか――。
私たちの生活は、他の国との経済・政治的な交流なくして成り立ちません。イスラエルに目を向けると、近年、世界屈指のIT大国に成長し、軍事産業でも注目を集め、日本を含む様々な国と関係を深めてきました。そうした現状やホロコーストという負の歴史などから、各国、特に欧米は、イスラエルがガザ地区で長年おこなってきた搾取を知りながらも、及び腰になってきました。
「第二次大戦後の日本はずっと平和だ、と教えられてきました。でも、平和って何なのでしょう。日本に住む一定の人たちだけが平和ならいいのでしょうか。イスラエルにとっては、パレスチナを占拠しつづけるパワーバランスを保つことが『平和』でした。米国は武器や資金を提供して、イスラエルという国家を応援してきたわけです。そんな『平和』を維持してきた国際社会で、パレスチナの人たちが希望するのは、当然ながら『解放』です」
そして増渕さんはこう続けます。「前提として、『私たちもこのガザ虐殺に加担してきた』という意識が大切です。声を上げたからといって、加担した事実がなくなるわけではない。だからこそ声を上げなくてはいけない。植民地主義に陥って他国を侵略した歴史がある日本だからこそ、『いまは平和だ』と言えてしまう日本だからこそ、このガザの現状を許してはいけないと思うのです」
思いを共有、発信することが一歩に
関心はあるけど、時間がなくて……、生活に余裕がなくて無理……。「今の日本には、声を上げないでいい言い訳が山ほどありすぎる」と増渕さんは言います。
「日本にいると、日本に生まれたこと自体が特権だとは思えませんよね。だから『社会や政治に何もしてもらえない、自分ばかりが損をしている』と考えがちになるのでは。既に自分が持っているものは『当たり前』だから。でももっと視野を広げてみませんか」
抗議に参加する方法は様々です。首都圏では、実際にデモに参加したり、街角に立って抗議のスタンディングをしている人たちに話を聞いたり、加わったりできます。また、イスラエルを支持する企業の不買運動に参加したり、署名をしたりもできます。
記者は昨年、新宿でおこなわれたデモに参加しました。取材者ではなく参加者としてデモに加わったのは、実は人生で初めての経験でした。デモに参加している人たちの力に満ちた表情と、道ばたから怪訝な、時に冷ややかな顔でデモを傍観している人たちとの対比が印象的でした。
イスラエル系の資本が社会の隅々まで幅をきかせる米国では、「パレスチナ解放を」と意見を表明したりイスラエルの残虐行為に抗議したりするだけで、解雇の恐れがあります。事実、増渕さんの知人や友人も、大学やアート誌を解雇されたそうです。
「行動している人たちは、決してお金や時間に余裕があるわけではない。ただ人の痛みを感じられる人たちが集まっているのです。私自身、なにか団体に所属しているわけではありません。一緒に声を上げている人たちを仲間と思い、一個人として行動しています」
増渕さん自身はニューヨークで携わっている映画の仕事がなくなる覚悟で声を上げています。「でも、虐殺に抗議したらクビになるような職場で働き続けていいのでしょうか。『この人たちはガザでの虐殺を支持しているのかな』と思いながら働く方がよっぽど恐ろしい状況では」
身近にできる一歩としては、ガザの現状を発するSNSの投稿を共有するだけでも力になるそうです。ガザの悲惨な現状は、日本の社会にはまだ十分伝わっていないからです。日本から中東は地理的には遠いですが、経済・政治では繋がっています。自分たちが選挙で選んだ政治家がどのような行動をとるか、自分たちが買う商品をどの企業が製造し、もしくはどの国から輸入されているか……。決して無関係ではいられません。
「声を上げている人たちへの風当たりが強い現状に対して、一番効果的なのは、声をあげる人たちを増やすことです。『虐殺への反対』を普遍化しましょう。あなた一人が声を上げることは、みんなのためになります。みんなつながっています」と増渕さんは強調します。
こうしている間にも、ガザでは多くの民間人、それも多くの子どもたちが居場所を失い、適切な教育や医療が受けられず、死の淵に立たされています。
それでもあなたは、無関心でいられますか?