独身・非正規雇用・地方出身……。人生に迷う女性が自己再生するまで 映画「658km、陽子の旅」
変化する都会の独身女性像
自分の意見なんてとるに足らない。誰からも期待されず、自分に自信がない――。女性の自己肯定感は、ジェンダーギャップが大きい社会ほど低くなるとも言われています。
陽子もそんな自己肯定感が低い女性の一人です。10代で飛び出すように青森県弘前市から上京して、20年あまり東京で暮らしています。都会の独身女性といえば、かつてはトレンディードラマ(死語!)や「ブリジット・ジョーンズの日記」、「SEX AND THE CITY」に出てくるような、恋に仕事に仲間との遊びに大忙し……という女性像が定番でした。
ですが、バブル経済崩壊後の景気低迷のあおりをもろに受けた氷河期世代、特に女性たちは、社会のスタートラインでつまずくと、浮かび上がるチャンスはほぼ残されていません。記者は以前、就職氷河期世代の非正規雇用の女性たちを取材して、諦めのような嘆きを耳にしてきました。
非正規のループから抜け出せない シングル中高年女性の見えない困窮
陽子も浮上できない女性の一人です。映画の冒頭、陽子は日中もカーテンを閉め切った古いアパートの一室で、カップ麺をすすりながら、自宅のパソコンでできるカスタマーサービスの仕事をしていました。リアルでは誰とも交わらず、ベッドに寝転んでパソコンでネット配信ドラマをみながら笑い声をたてて、眠りに落ちる……。「インスタにアップできるような生活ではないけど、誰かの『ケア』を負わされることもない、現代の日本女性の中では、ある種の幸せな方ではないか」とも思えました。
そこにある日、従兄がきて衝撃的な言葉を放ちます。
「おじさん(陽子の父)が死んだ、明日葬儀だ」。陽子は上京の折に、父親(オダギリジョー)と衝突して以来、故郷に戻っていませんでした。陽子は呆然としながら従兄一家の車に乗り込み、東京から青森県弘前市を目指すのですが、ひょんなことから置き去りにされて、ヒッチハイクする羽目になります。
他人との距離に悩む不器用な主人公
陽子の声はボソボソと低く、とても聞き取りにくい。人と目線を合わさず、感情もみえず、とても近寄りがたい感じです。熊切監督は「しばらく他人と話をしていない感じを出して欲しかったので、菊地さんには『うまく発声できない様子をリアルにやってほしい』と伝えました」。監督の要望に応えた結果、録音部のスタッフは陽子の話し声を記録するのに困り果てたそうです。
この映画の原案は、TSUTAYA 主催「CREATOR'S PROGRAM FILM 」の脚本部門で賞を得た室井孝介さんによるもの。映画化にあたり熊切監督は、「原案は悲劇のヒロインぽくて、あまり僕の好みではなかった。陽子をもうちょっと自分が信じられるキャラクターにしたかった。ある種、ふてぶてしく、なおかつ真剣にやっているのに滑稽に見える人物にした」と話します。監督は妻の智子さんとの共同のペンネーム「浪子想」で脚本に参加しました。「妻のおかげで陽子という女性を深く掘り下げて描けたのかな」
性的なシーンには、演出意図を最大限くみ取りながら、俳優の身体と精神の安心や尊厳を守って撮影現場を調整する「 インティマシー・コーディネーター」の日本第一人者である浅田智穂さんが参加しました。
陽子は車に乗せてくれた人への感謝も十分に言えないどころか、逆に相手が絶句することをしてしまうなど、他人との距離がうまく保てません。そこに「こういう不器用な人っている」と思えるリアリティーがあります。監督も「陽子を描く時、『自分のありえたかもしれない人生』とも思ったし、陽子と知り合いに重なる部分もあった」と話します。
撮影期間はわずか20日間。福島県のいわき市や相馬市の大洲海岸、岩手県葛巻町の道の駅 、そして青森県弘前市へと、少人数で東北ロケを敢行しました。監督は「陽子を通して今の日本の色々な風景を見せていく記録性もあり、福島を通りたかった」とも話します。震災で大きく地形が変わったという大洲海岸でのシーンは、陽子の感情の決壊と海の波や光が折り重なり、とても印象的な場面となっています。
陽子は、仕事を辞めたばかりのシングルマザー、東日本大震災の被災地を追い続けている男性ジャーナリスト、仮設住宅で暮らす高齢の夫婦などと一期一会で出会います。
監督は「登場する人物全ての背景を考えました。役者たちにも、自分が演じる役がこれまでどんな人生をたどってきたかを伝えた。この映画はとてもシンプルなので、ささいなやりとりなどいかに細部を豊かにしていくかが勝負だと思った。そして、演じる菊地さんから出てくる感情をいかに撮り逃さないで追えるかが勝負だと思っていました」。
男性ジャーナリスト(浜野謙太)は、新聞記者の私からみても滑稽かつリアリティーがありました。「被災地をずっと取材している、絆が大事。絆、絆」などと言いながらも、陽子に対して行ったことは……。国際問題を憂いたり、社会正義を追求する自分に酔いしれる一方で、身近にあるジェンダー格差には無関心で女性の足を踏み続ける……。20年あまりこの業界にいる私は、残念ながら「こういう人、いるいる!」と膝を打ってしまいました。
監督は意外なことを明かしてくれました。「後半で出てくる福島県の若い女性は、そのジャーナリストの記事を読んで心を動かされて、被災地に移住しようと決めたという設定です。デタラメな人間から『奇跡』が生まれることもある。そいつもその記事を書いたときは、真っ直ぐな情熱を持っていたのかもしれない。世の中はそんな偶然でまわっているかもしれない。それを描きたかった」
何げない一言もしくは偶然読んだ文章が、言った・書いた本人の意図とは違う形で受け止められて、誰かを励ましたり、背中を押したり、逆に傷つけたり……。たしかに世の中にはそういう「偶然」が作用して生まれる何かがあります。
大切なものを失った時に……
突然の父の死を受けて、ヒッチハイクで故郷の弘前に向かう陽子のかたわらには、時折、父(オダギリジョー)の幻があらわれます。陽子にだけとてもリアルに見える父は、何も言葉を発しません。10代の頃、進路をめぐって衝突して故郷を飛び出した陽子は、父と気まずいまま長年会わないでいました。「まだまだ元気でいる」と思っていたのでしょうか。ですが、父は突然亡くなってしまいました……。陽子は父親の現在の姿を知らないので、幻の父親は自分が家を出た当時の年齢のままです。それがこの父と娘の空白の時間を物語っています。
陽子は父にぶつけるかのごとく、心の内から感情を絞りだしていきます。
本当は父に会いたかった、手を握りたかった、じかに言葉を交わしたかった――。658kmの旅の過程で陽子はその願いが叶うような疑似体験をするのです。誰とも接さず、東京の片隅で暮らしていた陽子は、幻の父親に導かれるように、徐々に言葉を取り戻していきます。
みなさんにもなんとなく疎遠になり、会わないでいる大切な人たちがいませんか。いつでも戻れると思っている場所がありませんか。気づいたときには手遅れで、もう二度と会えないかもしれないし、自分の居場所はなくなっているのかもしれません。私は会っても喧嘩ばかりする父親のことや、遠く離れたふるさとを思い出しました。
菊地さんがほぼノーメイクで演じきった陽子は、大切なものを失ったという事実に向き合い、その喪失の重さに呆然としながらも、どうにか立ち上がろうともがく姿をみせてくれました。
この映画の前半30分ほどには音楽がついていません。陽子の緊張感、乗せてもらった車の中での妙な沈黙やテンポのずれたやりとりといった気まずい雰囲気が、肌で伝わってきます。音楽を担当したのは、これが熊切監督との4作目のコラボとなる、米国のジム・オルークさん。「何も言わずとも自分の意図をくみとってくれた」と監督が全幅の信頼を寄せるオルークさんが手がける音楽が、どういう場面で出てくるのかも、ぜひ頭の片隅で意識をしていただければ。ちなみにエンディング・テーマでは、「ドライブ・マイ・カー」の音楽を手がけた石橋英子さんも加わっています。
「658km、陽子の旅」は、今年の上海国際映画祭で、最優秀作品賞と最優秀脚本賞を受賞し、そして菊地さんには最優秀女優賞が贈られました。その凱旋も兼ねた東北キャンぺーンで菊地さんは盛岡市を訪れ、「年を重ねていくと役を得ることが難しくなるなかで、役者の原点に戻れる宝物のような作品にであえた」と製作陣への感謝を示しました。
社会の格差や構造的な問題などを棚にあげて、自己責任論がまかりとおる世の中。陽子のように自分の思いや望みを声にすることを諦めてしまった女性たちは、少なくないでしょう。その人たちは努力が足りなかったのでしょうか。
いえ、そうではないはずです。「陽子はもしかしたら、私だったかもしれない」と菊地さんは共感の声を寄せました。就職氷河期世代の私も、同じような思いで658kmの旅を見届けました。陽子のような声なき女性たちの物語が、これから先、日本の映画界からもっと生まれることを願ってやみません。
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Beyond Genderは原則、月1回更新の予定です。