「自分のやりたいことが見えてきた」“モヤモヤ”の20~30代であった4つの転機

家族の死、東日本大震災、結婚といったライフイベントの中でキャリアチェンジを繰り返し、自分をいかせる場所を見つけた女性がいます。リクルート系企業でキャリアを積み、憧れの元上司を追うかたちでベンチャー系医療法人に転職。いまは再生可能エネルギーの会社で仕事をしつつ、MBA留学を目指していた夫と、長野県小布施町で暮らしています。20代、30代の女性たちの多くが抱える“モヤモヤ”。塩澤美幸さん(38)にインタビューすると、彼女のストーリーにはその出口へのヒントがありました。

仕事や会社への拘束感を感じない働き方

江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎が晩年の創作活動をした長野県小布施町。単線の駅を降り、車で街中を抜けて10分ほど行ったところにあるコワーキングスペースに、美幸さんはいました。東日本大震災の後、「自分たちが使うエネルギーは自分たちの地域でつくりたい」という小布施町の人々の思いがきっかけとなり、町も出資して設立された「ながの電力」で「地域エナジーデザイナー」をしています。

テレビ会議をする塩澤美幸さん=長野県小布施町、岩崎撮影

ここでMacに向かい、東京の親会社「自然電力」の人たちとオンライン会議をしたり、取引先に出向いたりしています。業務委託契約なので兼業も自由。仕事場や会社への拘束感は良い意味で「あまり感じない」と言います。

コワーキングスペースを運営するのは、夫の耕平さん(33)です。2人はいま、栗の栽培を学びつつ、民家を改装して耕平さんの夢であるカフェと猫が暮らせる住まいの準備に取り掛かっています。

「今の働き方は、仕事も自分の時間も大切にできます。再生可能エネルギーの仕事を軸にしながら農業にもチャレンジすることができます。自分の配分次第で活動を広げることができるので知識や関わる人も多岐にわたります。それによって自分の幅が広がっていく感覚があります。まず『自分』があって、仕事で関わる要素をどう組み合わせてどう面白くするか、という感じです」

そう語る美幸さんですが、20代のときは今のような働き方を全く想像していなかったそうです。

「母のそばにいられなかった罪悪感」

美幸さんの20代~30代には人生の中で大きな転機がいくつかありました。

一つ目は母親の死です。大学入試センター試験を受けていたときに亡くなりました。実家には祖母と父親、2人の弟。合格したものの、青森に家族を残しての仙台での学生生活は「心から楽しいとは思えなかった」と言います。

就職活動でも故郷の銀行から内定をもらったものの辞退。東京の大手通信会社は父親には言わず入社日の前日に就職を断ってしまいました。

「就職する覚悟がなかったのだと思います。母の死を引きずって、またやりたいことも見つけられないまま、卒業のタイミングが来た。流れに乗って就職活動をしましたが、結果に納得はできませんでした」

「今振り返るとそのようなことをしなくても良かったのかもしれないと思いますが、自分の進路を決めきれないことに加えて、当時は『次は父が病気になってしまったら』という不安が根強くありました。一番大切なものを大切にしながらキャリア形成する方法を見つけられなかったのだと思います」

「母が病気になってから、私がそばについていられなかった罪悪感がありました」

その思いから仙台に留まりましたが、生活しなければなりません。父親にも内緒にしていたため、卒業の半年後に中途採用の地域限定一般職としてディスプレイメーカーの民間企業に就職。制度や教育の整った新入社員にとてもよい環境だったと思いますが、働きがいに違和感を覚えてもいました。

「お客さんが来れば対応はするものの時間に余裕があったので同僚とのおしゃべりも日常。20代前半にこんな時間の使い方をしていていいのかなと思ったのが、転職のきっかけです。家族に対する罪悪感とキャリア形成との葛藤でした」

「ようやく自分のやりたいことが見えてきました」という塩澤美幸さん=長野県小布施町、岩崎撮影

リクルート系企業で学んだ何事もチャレンジする

二つ目の転機は、医師転職支援サービス大手「リクルートドクターズキャリア」(現在はリクルートメディカルキャリア)への転職です。リクルートカルチャーは刺激的だったそうです。

「なぜやるのかを自分で説明できれば、チャレンジさせてくれる風土がありました。徹底的に行動と成果を見る。行動の評価と、成果をだした社員を評価する。そして社員と社長の距離が近く普段からコミュニケーションとれるのは魅力的な職場でした」

仕事は医師の紹介や求人広告の営業で、努力した分成果が出ることやチームで作戦を練りながら実行していくことが楽しいと感じるようになりました。

ただ次第に、行動範囲がある程度決められていた営業だけでなく「できることを増やしたい」と感じるようになりました。

石巻時代の塩澤美幸さん=塩澤さん提供

震災で感じた「世の中のためになる仕事をしたい」

三つ目の転機は、2011年3月11日に起きた東日本大震災です。避難訓練以外で初めてオフィスの机の下に避難し、すぐ父親と兄弟の無事の確認をしたという。当時銀座にあった会社から家まで歩いて帰り、自宅のテレビで目にした津波の映像。学生時代と少し社会人として過ごした仙台にいる友だちやお世話になった人たちの安否が心配だったという。同時に、このころ、ぼんやりと「できることを増やしたい」と考えていたころでもありました。

「世の中のためになる仕事をしたい」

震災後、そんな感情が芽生え、会社を退職。「(余震や津波による被害を受けて病院に運ばれることがあっても)延命治療はしないでください」という一筆の書き置きを東京のマンションに残して向かったのは、壊滅的な打撃を受けた宮城県石巻市でした。リクルート時代の憧れの先輩(女性)が東京文京区で医師と立ち上げた在宅専門の診療所「祐ホームクリニック」が、震災に石巻市で新たに診療所を開設していました。縁あって被災者支援のプロジェクトに加わったという。

当時最初に行ったことは在宅避難者を1軒1軒訪問してアセスメントをする医療従事者のボランティア受け入れやマネジメントです。震災から1年経ったころの石巻市は、支援団体やボランティアが数多く活動していました。会社勤めとは異なり、人の思いや感情がむき出しになったような環境で、活動がうまくいかずに涙する人や時にはいらだって大人同士けんかをする光景も目にしました。その状況をいま「混沌」と表現します。

ただ、関わるうちにそれまで「何か社会に役立つのだろうか」と疑問に思っていた会社勤務で経験したスキルやマネジメントがここで役立つことによるという充実感がでてくるとともに、心を平穏に保つのが大変だったそうです。当時法人の理事長と憧れの先輩が中心となって東京で毎月開催していたリーダーシップの勉強会に参加することが心の安定となると同時に、自身のスキルアップや仕事のやりがいに大きな影響を及ぼしたそうです。

「先を決めずに退職し、当時憧れていた先輩に相談しようと連絡したことがきっかけで石巻や在宅医療に関わることになりましたが、結果的に私のキャリアにとって大きな飛躍になりました」

石巻での仲間たちと記念撮影。中央は憧れの先輩、左は塩澤美幸さん、右は塩澤耕平さん=塩澤さん提供

「おもしろさを大切にする」

四つ目の転機は、父親の死と夫耕平さんとの結婚です。耕平さんは将来、海外の大学院でMBAを取得することを目指し、石巻でキャリアを積む選択をしていた、いわゆる“バリキャリ”志向の若者でした。最初は「ちょっと苦手でした。発言だけの人ではないかと思っていました。仕事を一緒にしてすぐ、発言だけではなくしっかり努力していて実力もある人だとわかってから考えが変わりました」と当時の印象を語ります。

美幸さんは2014年4月に東京へ異動し、新設診療所でのマーケティング施策や業務改善を中心に担当することになり、耕平さんも1年遅れで東京に異動しました。一緒に住み始めて半年ほど後、青森の父親の死が重なりました。

「在宅医療は人の最期を幸せにする仕事です。それを一番大切な父にできたのか、という後悔と疑問が残りました。それと同時に世の中のために役に立つことをしたい、それは父も喜ぶと思って仕事をしていたのですが、父が亡くなってぽっかり心に穴が空いてしまったようでした」

その後、結婚。退職して単身で半年間イギリスに留学していたとき、日本にいる耕平さんとオンラインの家族会議で長野県小布施町に移住することを決めたという。耕平さんが出身県である長野県で人が交流する場所「カフェ」を作りたいという思いが募り、MBA留学をすることをやめるという大きな方針転換です。美幸さんはゆかりもない小布施町に移住することに抵抗がありましたが、耕平さんと一緒にいるほうが絶対におもしろいと感じていたことから一緒に移住することに決めたそうです。

長野県に移住後、野尻湖でのイベントの手伝いをした後、撮影した一枚=Nobu Moritaさん撮影

いま、仕事を通じて取り組むのは、再生可能エネルギーによる地域の新電力の生成です。専任スタッフは美幸さん1人。電力販売と屋根を借りて電気をつくり建物内で消費する発電、そして再生可能エネルギーを活用した街づくりは、「街に新しい文化をつくるイメージ」だと言います。

これまでは親が喜ぶことをしたい、人の最期をより良いものにしたいと思っていた美幸さんですが、今後は未来の子どもたちに向けてより良い環境を残すことをしていきたいと考えています。仕事も生活も、環境に負荷をかけない活動です。その一歩が、耕平さんと始めた小布施町特産品の栗を栽培することや、栗畑の隣の民家を改修してカフェにする構想です。美幸さんと耕平さんの活動に興味を持ち東京中心に各地から様々なクリエーターや事業者らが集まってきています。

「ようやく自分のやりたいことが見えてきました」

プロフィール

塩澤美幸(しおざわ・みゆき)

ながの電力 地域エナジーデザイナー
1981年、青森県生まれ。東北大学法学部を卒業後、ディスプレイメーカーの仙台オフィスに就職。その後、リクルートドクターズキャリアに転職。2011年3月の東日本大震災後に退職し、石巻を拠点として被災者支援をしていた「祐ホームクリニック」の活動に参加。その後結婚。2017年6月から半年間、イギリスに語学留学し、帰国後は長野県小布施町に移住。2018年から現職。

医療や暮らしを中心に幅広いテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクターやweb編集者を経てノマド中。withnewsにも執筆中。