週3回の婚活強化月間に疲れ果て、離脱。でもじつは、すでに運命は訪れていた…。
【今回の大人婚】Sさん 結婚時の年齢:37歳
Sさんは、週3日、事務の仕事をしている滋賀在住の42歳。四つ年上の夫・Yさんと自然豊かな環境で、趣味の時間も楽しみながら、ゆったりと暮らしています。滋賀に来る前は、東京で正社員としてバリバリ働き、オフはヒップホップ・ジャズやバレエを習い、独身を謳歌していたそう。
若い頃の〈追う恋愛〉を封印
「20 代の頃、黒木瞳さんに憧れていて、彼女のような余裕のある大人の女性になりたいと思っていたので、年を重ねることに抵抗はありませんでした。親や友達から結婚をせっつかれることもなく、マイペースに生きてきて、ふと気づいたら35歳の春。『あれ……、もしやこのままだと一生結婚できない?』と急に焦りだして(笑)、急遽『婚活強化月間だ!』と決めて、友人と一緒に頑張ることにしたんです」
当時は、マッチングアプリや街コンなど、婚活産業が盛り上がり始めたころ。なんとSさんは週2~3日のハイペースで婚活イベントに参加していたそう。
「ブースに座っている女性のところに、参加男性が順番にやってきて決められた時間おしゃべりし、最後に気になったひとの番号を提出して、カップル成立したら連絡先を交換する、というシステム。マッチングアプリも登録はしたのですが、どうも私は実際に会わないとピンと来なくて」
社交的なSさんは、たくさんの男性とカップル成立したものの、何度かやりとりしたあと、相手から連絡が途絶えてしまう。
「今までの恋愛パターンだったら、そこで無理して追いかけていたかもしれません。20代の頃は恋愛にドキドキや切なさを求めていて、最初は向こうからのアプローチでも、付き合ううちに私の気持ちが相手の気持ちを上回り、苦しい思いをしていました。でも、周りのカップルで〈いいなあ〉と思える関係は、二人が対等で相思相愛であることに気づいたんです。だから、相手から連絡がこなくなったら、私のパートナーはこの人ではないんだな、じゃあ次!と思えるようになりました」
婚活本も参考にしながら、恋愛パターンの見直しを行ったそう。
「相手に合わせるのではなく、〈私が心地よいか、本当はどうしたいのか〉を大切にしてそれを相手に伝えたり、パートナーがいてもいなくてもご機嫌な私であることを心がけました」
あの時の、あの人が……!
夏が終わりに近づくころ、婚活に疲れたSさんは「私が探す場所はここじゃないかも」といったん婚活をやめて、趣味のダンスや仕事などに集中することに。その年の12月23日、ダンスイベントに参加していたSさんの携帯が震えた。
――お久しぶりです
それは、Sさんが最初に参加した婚活イベントでカップルになったYさんからのメールだった。
「初めて会ったとき、彼と10分ほど会話したところで、〈制限時間のため席替えして下さ~い〉とアナウンスがあり、彼が〈え!もう⁉〉と言いながら、慌てて荷物を持って立ち上がり、〈最後の〝よかった人″のところに名前書きますから!〉と言いながら去っていった姿がとても微笑ましくて嬉しくて……素直でかわいい人だなぁと思いました」
無事、マッチングし、連絡先を交換した二人はそのまま居酒屋へ。後日、水族館デートもした。
「どちらもとても楽しくて、その後もお誘い来るかなと期待していたらパタッと連絡が来なくなったんです。私も婚活を始めて1回目で会った人だったので、次々と出会うほかの人たちに目が向いて、彼のことは忘れてしまっていました」
そのとき、彼側ではこんなことが起きていた。
「最初に一緒に行った居酒屋で、私がさっとメニューを決めて、YES・NOはっきりしているのが好印象だったらしいんです。ところが、もともとサッカーのJリーグのサポーターに入会していた彼は、その頃、毎週末のように遠征にでかけ、気が付いたら間が空いて、どんどん連絡しづらくなったらしく……(笑)」
シーズンが終わり、応援も落ち着いたところで、やろうやろうと思いながらできていなかったSさんへの連絡を、年末の勢いも借りて、えいっ!と送ったそう。
その後はやりとりが途絶えることはなく、1月の彼女のダンス発表会にも一人で見に来てくれ、2月に「お付き合いしませんか」と告白されて交際スタート。
「ダンスを見に来てくれたのもそうですが、とても私を大事にしてくれるんです。〈こんなこと言って大丈夫かな?〉という私のリクエストも、ひとつひとつ受け止めて叶えてくれ、まさに求めていた相思相愛の関係になれたと感じました」
〈子ども〉問題で食い違って
ただ、ひとつネックがあった。
「彼は、〈子どもは作らなくてもよいのでは〉という考えだったんです。すでにアラフォーだったこともあって、子どもの将来に責任が持てない、と……。私は子どもがほしくて婚活していた部分もあったので、この人と結婚はないのかなと悩みました」
1年ほど付き合ううちに、彼の考えも徐々に変化し、「Sちゃんとなら」と子作りにも前向きに。二人の結婚の意思は固まった。
「クリスマス、東京タワーのふもとのレストランで食事をした後、私がお手洗いに行って戻ってきたら彼が席にいなくって。あれ?と思っていたら、お店の人が〈別のお部屋でお待ちです〉と。案内されるままエレベーターに乗って、扉を開けたら教会で、そこに薔薇の花束を抱えた彼が立っていたんです!」
プロポーズはもちろん大成功! じつは「Sはこういうプロポーズが嬉しいと思うよ」とSさんの友達が事前にアドバイスしてくれていたそう。
37歳の春、結婚。1年ほど彼の横浜の社宅で一緒に暮らした。「一人暮らしのときはいいかげんだった食生活も、食べてくれる人がいるときちんとしようと思えて、自然食の料理教室に通いはじめました」
そんななか、2020年春、夫・Yさんの滋賀への転勤が決まった。
「ちょうどコロナ禍に入って、私の仕事も在宅OKになったので、夏までは私が滋賀に行ってリモートワークしていました。そのうち、感染状況も落ち着き、東京と滋賀の遠距離婚になると、料理もサボるようになって、これじゃ独身の時と変わらないじゃない……と虚しくなって。新卒で入った会社にこのまま定年までいつづけるのにも疑問を感じていたので、退職して滋賀についていくことに決めました」
東京育ちのSさん。縁もゆかりもない滋賀で暮らすことに抵抗はなかったのだろうか。
「リモートワークで数カ月滞在した時に、すっかりこの土地が気に入って。それに自然食の仲間も滋賀にたくさんいることがわかって、すぐに友達ができたんです」
食卓には毎日、雑穀料理が並ぶそう。もともとアトピーがあり、胃腸が弱かったYさんはすんなりとその食事を受け入れてくれたそう。「やさしさでできている人なので」
その後、子どものことはどうなったのだろう。
「彼は、病院へいこうかと何度か言ってくれたのですが、私には不妊治療という選択肢があまりなくって。もともと自然の営みで授かれたら、という思いがあるんです。今は健やかなからだと心であることを大切にしています。そういう私の考えも、受け入れて尊重してくれるので、本当に彼と生涯のパートナーになれて幸せです」
「妻が僕の生きる楽しみ」
この取材にあたり、SさんはYさんにもアンケートを取ってくれた。「結婚してよかったことは?」という質問に、Yさんはこう書いてくれた。
「価値観が変わった。お金やステイタスではなく、楽しさ、心地よさが大切になり、それを一緒に探してくれる人ができた。世界や経験が広がり、毎日が新鮮で楽しい。Sは僕の生きる楽しみです」
Yさんの夢中になっていたサッカーのシーズンが終わり、こんなに素敵なふたりがちゃんとめぐり合うことになって、本当によかった。
運命はどこでどう転ぶかわからない。「婚活、全然うまくいかない」という人も、じつはもうすでに運命の人に出会っているのかもしれない。
(写真:本人提供)