不妊治療を始める前に知っておきたい「特別養子縁組制度」 産むとは、育てるとは
不妊治療、正しい情報を知った上で選択を
――不妊治療をする夫婦が増えています。夫婦の約4.4組に1組が不妊の治療や検査を受けたことがあるという調査結果(2021年、国立社会保障・人口問題研究所)もあります。
高尾美穂医師(以下、高尾): 「不妊」とは、妊娠を望む健康な男女が避妊をせずに性交をしているにも関わらず、一定期間妊娠しないことを意味します。2015年に、その期間の定義が2年から1年に変わり、不妊症と診断される方が増えました。不妊治療や妊活といった言葉を身近に聞く機会が増え、若い世代でも焦りを感じている方がいるようです。
22年4月からは、人工授精や体外受精といった不妊治療への保険適用拡大で、治療へのハードルが下がったとも言えますし、「治療開始時点で43歳未満」という年齢制限があるので、数字で線引きされることを残念に思う人もいます。
また、東京都が卵子凍結の費用を助成する制度を始め、ほかの自治体でもそれに続く動きが出てきています。ただ、卵子と精子を受精させてから凍結する「受精卵凍結」に比べて、未受精卵凍結の方が妊娠率は下がります。そこまで正確な情報を得ず、「とりあえず卵子凍結をしておこう」というケースも増えているのではないでしょうか。
このように制度や社会の状況が変わることで、悩みや焦りを抱える女性たちも多くいます。それぞれが医学的に正しい情報を知った上で選択することが必要な段階に来ていると思います。
不妊治療を経て、養子を迎えるまで
――小川さんは現在、特別養子縁組のあっせん機関「アクロスジャパン」で代表を務められていますが、ご自身も不妊治療を経験され、その後に養子を迎えられたんですよね。
小川多鶴さん(以下、小川): 私は、前の夫との間に子どもが一人いて、離婚後にアメリカ人の夫と再婚しました。当時はアメリカに住んでおり、34歳から不妊治療のクリニックに通い始めました。
20年ほど前でしたが、アメリカのクリニックでは最初に、3時間ほどのレクチャーがありました。私と夫の年齢に応じた治療方法や費用、成功率などが分かるフローが提示され、その中には、養子縁組や里親制度の選択肢もありました。医師のほかに、ファイナンシャルプランナーやファシリテーターを交えて話をしました。
結局、不妊治療を4年半続けました。治療のやめ時を考えていたところ、夫が「養子縁組で子どもを迎えよう」と私に提案したんです。私には、血縁のない子どもを育てることに不安もありましたが、夫に「僕たちも血が繋がっていないし、僕と君のお父さんやお母さんも血は繫がっていないけど、家族って呼ぶよね」と言われてハッとしました。
周りを見渡せば、養子を迎えた人も、自身が養子の人も多くいましたし、こういう考えを持つ夫となら、養子を迎えて一緒に育てられると思ったのです。そう思えたのは、不妊治療を始める前の段階で養子について情報提供を受けていたことも大きかったと思います。
日本では今でも、そうした情報提供はまれです。不妊治療を担当する医師の中には、患者に養子縁組の選択肢を伝えるということは、不妊治療が難しい、つまり「負け」を伝えるようなものだ、という感覚をお持ちの方もいます。
高尾: 日本でも、本来であれば不妊治療を始める時に、小川さんのお話にあったような治療のフローをもう少しはっきり示して、本当に子どもを望む人たちのためになる提案をしていけるといいですよね。
不妊治療をする夫婦の状況は年々変わり、治療をやめていく方もいます。それは年齢的な理由はもちろん、治療と仕事の両立が難しいとか、金銭的に治療が難しくなるといった背景もありますし、子どもを望む気持ちが変化していくこともあります。不妊治療をする夫婦が「特別養子縁組」という制度を知り、最終的にそちらを選ぶという流れがあってもいい。私は、以前からそういった選択肢もあるということをお知らせするようにしてきました。
不妊治療を始める前に伝えること 治療の“ゴール”とは?
――不妊治療をする人に知っておいて欲しいこと、お伝えしていることはありますか。
高尾: 私がこれから不妊治療をスタートする人に必ず伝えているのは、トライする期間と使うお金を2人で決めておきたいという話です。不妊治療のゴールを妊娠・出産というところに置いてしまうと、そこにたどり着けないカップルは少なくありません。不妊治療の先にあるゴールというのは、やはり、2人が年齢を重ねて「一緒にいてよかった」と思う人生を過ごすということではないでしょうか。
治療中は、さまざまな努力をしても結果が出ない経験を繰り返すことも多いです。周りの友達のライフステージが変化することで焦りや孤独を感じたり、職場で理解を得られず休みを取りづらかったりと、大きなストレスを抱えます。
その状況がハッピーなのかと言ったら、そうではないわけです。本当に人生の中でキラキラしていて、自分の好きなことがいくらでもできる20代から40代前半くらいの時期に、不妊治療によって必ずしも幸せとは思えない時間を長く過ごし後悔する方を、ひとりでも減らせたらと願っています。
小川: 本当にそうですね。養子を迎えるまでに10年ほど不妊治療をされた方が、「あの時間は何だったんだろう……」と振り返っていました。「特別養子縁組について、医者やカウンセラーから教えてもらえなかった」と泣きながら話す方もいました。その時間が無駄だったと後から思わないように、色々な選択肢を知った上で、パートナーと一緒に後悔しないように進んでほしいと思います。
不妊治療で抱えた傷にどう向き合う?
――不妊治療を続ける中で、「子どもを授からない」という喪失感や悲しみを抱えている方もいらっしゃいます。そのような心の傷に、どのように向き合ったらいいでしょうか。
小川: 養子縁組の相談に来る方の中には、不妊治療を長く続けてきて、崖っぷちに立ったかのような状態の方がいます。状況は理解できますが、その悲しみからは結局、自分で抜けるしかないと思います。子どもがいないことを「欠如」ととらえ、「自分だけ子どもを授かれなかったから不幸だ」という気持ちを持ったまま養子を迎えても、絶対に心の穴埋めにはなりません。
高尾: 時間はかかるかもしれませんが、確実に本人も周りも変化していきます。人はないものばかりに目を向けがちですが、それを乗り越えるためには本人が違う方向に目を向けるしかない。悲しみの中にずっといたいのであれば、それでもいい。それも自分の人生だから。でも、そもそも自分の人生を良い人生にしていくためのアクションのひとつが、子どもをもつという望みだったわけですよね。じゃあ、これから良い人生にしていくために、次のアクションをどうするか。
子どもをもたない人生だってもちろんありでしょうし、血が繋がっていなくても養子縁組で子どもを迎えるという選択肢が、もっと普通にとらえられるといいなと思います。
女性がライフプランを持つということ
――女性の人生において、子どもをもつかどうかは大きな選択です。どのような視点で考えるとよいでしょうか。
高尾: 私は、女性が「子どもが欲しい」という時、自分が子どもを産みたいのか、子どもを育てたいと願うのかは、全く違うことと伝えています。そこはちゃんと分けて考える必要があると思うからです。女性だからといって「母になりたいとは思わない」という人もいますし、「子どもが欲しい」という望み自体も、「絶対」なのか、「なんとなく」なのか、それとも「あまり考えていない」のか。それすら考えたことのない女性もいっぱいいます。それなのにさらに、パートナーや、場合によっては親の意向が絡んでくるんです。
小川: 日本人は周りと歩調を合わせる方が多いから、自分がどうしたいのかを考えるチャンスが少ないのだと思います。親に言われたからでも社会が一般的にそうだから、でもなく、自分が本当にどうしたいのかを見つめない限り、ライフプランは作っていけないし、自分の人生は幸せではないですよね。
高尾: それは全てのことに通じますよね。結婚や、いつごろ子どもを望むかということに関しても、受動的にならず、自分の人生は自分で決めるという感覚を持つ。人生で誰が責任を取ってくれるのかと言ったら、パートナーでも誰でもなく、結局自分。そういう感覚を持つ人が増えたらいいなと思います。さらには、一緒に人生を過ごしていく人とお互いどんな人生を望んでいて、どうすりあわせるかというコミュニケーションが大切になりますね。
私は、成人式くらいのタイミングで、誰もが「これから先の人生を自分で決めていく」という視点を持つことが大切だと思っています。例えば、子どもを望むのか、望まないのか、パートナーと生きていくのか、一人で生きていくのか、仕事をバリバリやりたいのか。もちろん状況や年代によって気持ちは変わりますし、災害や病気や事故といった予期せぬことは起こるわけですから、中長期的、短期的なライフプランを柔軟に考えていくことが大事だと思います。
――不妊治療と特別養子縁組制度を巡って、医療現場や社会における課題はあるでしょうか。
高尾: 医師が望むのは、患者の健康であり、健康を通しての幸せのはず。ではその人がどういう状態であれば幸せと思えるのかを考えた時に、特別養子縁組制度によって、子どもをもつという選択肢が広がることはありがたいことだと思いますし、制度を知らなかったから残念という人を減らすことができればと思います。産婦人科医として、そういうきっかけを作る一人でありたいと改めて思いました。
小川: 医師だけでなくソーシャルワーカーらとも協働して情報提供をしていけるといいですよね。養子縁組のほかにも里親制度で子どもを預かるという選択肢もあります。
アメリカでは、小さい時から養子縁組に関する授業があって、家族のあり方について学ぶ機会が設けられています。自己紹介の時に「養子です」と言うのは自然なこと。それは、血縁がないところで出会った家族のかたちをとても誇りに思って生きているからなんです。そういう考えが浸透していって、特別養子縁組制度を使った親子がそんなに特別ではないという風に、これからますますなってほしいと思っています。
●高尾美穂(たかお・みほ)医師のプロフィール
医学博士・産婦人科専門医。日本医師会認定産業医。イーク表参道副院長。ヨガ指導者。医師としてライフステージ・ライフスタイルに合った治療法を提示し、女性の選択をサポートしている。
●小川多鶴さん(おがわ・たづる)さんのプロフィール
ソーシャルワーカー。在米中に日本での養子縁組支援の遅れを知り、2009年にアクロスジャパンを設立。