性的シーンの撮影で俳優をケア。#MeToo後、高まる「インティマシー・コーディネーター」の需要 日本では?
アメリカで導入が進むインティマシー・コーディネーターの“役割”
英語のインティマシー(Intimacy)は「密接な、親密な」という意味で、愛を交わす行為や遠回しなセックスを指します。撮影現場では、セックスやキス、裸になるといった身体の露出や接触のある場面を「インティマシー・シーン」と呼びます。
米ハリウッドでは2017年、大物映画プロデューサーによる性的暴行が告発されたのを機に、#MeToo運動が起きました。
ICとしてアマンダさんが活動を始めたのは、#MeTooの直後。「17年は、まさに転機。映画やエンターテインメント業界で働く人たちが『今までの労働環境や、やり方ではダメだ』と真剣に考え始めたのです」
#MeTooは世界中に広がり、性暴力の根絶を掲げた#TimesUp(時間切れ)という運動にも繋がりました。そして、制作現場で性暴力の被害にあったり、インティマシー・シーンで意に沿わぬ演技を強いられたりした過去の体験を、俳優たちが次々と明かし始めました。
「ICが生まれたのも、業界の改善策の1つです。大手では(「セックス・アンド・ザ・シティ」で知られる)HBOが最初にICを取り入れました」
その現場は、1970年代のニューヨークの歓楽街を舞台にしたドラマシリーズ「DEUCE/ポルノストリート in NY」の2017年から18年にかけての撮影でした。
アマンダさんは「私たちICは、俳優と製作側との間にたつ調整係。俳優が安心して演技に集中できる環境を整えると同時に、監督やカメラマンが創造力をふくらませて、いい映像を撮れるようにサポートします。求められれば振付師のように、俳優がどう動けばより魅力的に撮れるかかを提案することも」と説明します。
なかったことにされてきた撮影での「性被害」
ICに対しては、俳優の代わりに監督に向かって「NO、このシーンは嫌です」と拒絶する仕事というイメージがつきまといます。だが、アマンダさんは「私たちは監督に取って代わるような立場ではない。ただ単に『できない』とは言わず、代替策を探ります」。
人前で裸になることへのためらいや、他人との身体接触の許容度は人によって様々です。「米国内でさえも多様な文化があり、人々の考えも幅広い。南部の信心深い地域で生まれ育ったか、西海岸のリベラルな都会で育ったか。どんな家庭に生まれたかによっても、性に対する考え方は異なります。だからこそ、お互いの考えを確かめることが大事です。が、こと性的な話になると他人と語り合いにくい雰囲気があります」
自分の性生活や性体験をさらけ出さなくてはいけないという恐れを抱く人は多いというアマンダさん。「あくまで物語上のキャラクターが、どんな性行為をするのかを掘り下げて考えればいいのです。ICは、俳優の気持ちや監督の意図をくみ取り、両者を橋渡しする翻訳者のような役割もします」
アマンダさんが考える性的シーンにおける「いい演技」とはどういったものでしょうか?
「役者間でケミストリー(化学反応)がおきることです。だからといって、役者が本当にセックスをしたり、性的快感を得たりする必要はありません。あくまでも演技ですから。殺人シーンで人を殺したり、暴力シーンで相手にけがを負わせたりしますか?」
役者は肉体的にも精神的にも十分な準備をする必要がありますが、映画やドラマでは十分なリハーサルがないまま本番に臨まなくてはいけない点も問題だといいます。
ICの先駆者として数多くのインタビューを受けてきたアマンダさんは、ICをスタントコーディネーターと比較して説明してきました。「アクションシーンの撮影現場に、なぜスタントコーディネーターが必要か? アクションで失敗すると怪我を負ったり、下手すると死に繋がったりするからです。スタントコーディネーターの必要性については、誰も疑問に思いません。同じことがセックスなど性的なシーンの撮影でも言えます。肉体的にはもちろん、深い心の傷を負うこともあるからです。ですが、そういった被害は、今までなかったことにされてきました」
#MeToo後、映画やドラマ業界では、あちこちで過去の性暴力を告発する動きが起きました。「男優たちも、性的シーンで共演者を傷つけることを恐れています。ICは女優だけをケアしていると思われがちですが、全ての人にとって、安全安心な撮影現場にするために働いています。だからといって、ICを雇いさえすればセクハラへの免罪符が得られるというわけでもありませんが(笑)」
性的シーンで専門家が必須、ルール化を!
アマンダさんは、「ユーフォリア/EUPHORIA」や「Lの世界 ジェネレーションQ」、「殺人を無罪にする方法」など数々の作品に携わってきました。そこで、50代以上のベテラン女優にICに拒絶反応を示す人が多いと気づいたそうです。「過酷な時代を生き抜いてきた世代なので、『自分にはICは不要』と思っている人が少なくないようです。ですが共演者がICを望んだ場合に、もう一方の俳優の協力が得られないと大変なことになります。現場の理解や協力が得られるよう努力しています」
そんなアマンダさんは業界団体IPAを設立し、ICの養成講座を開いています。「心理学や性的なトラウマのケア、それに有色人種やLGBTQ+への差別についても学びます。カメラワークの知識も必須。体の局部をうまく隠したり、直接性器がふれるのを防いだりする特殊な下着の使い方も教えます。製作現場での経験も不可欠です。ICを目指す人は、俳優やプロデューサーといった業界経験者が大半です」
日本でも専門教育を受けたICが活動するようになりました。
現在、米国では50人~70人ほどのICが活動しているそう。専門教育をうけていないのにICを名乗る人もいるので、正確な数を把握するのは難しいそうです。「今のところ、性的シーンでICを雇うルールを明文化しているのはHBOだけですが、NetflixやHuluなどからも個別の作品で依頼がきます。高まるニーズに対して、ICの数が足りません」
ICの業界団体には、アマンダさんが代表のIPAのほかに、数年前に設立されたIDCがあります。この2団体は今年から、映画やテレビ業界に携わる俳優や声優、ラジオ番組のパーソナリティーなど約16万人の業界関係者が加入する労働組合(SAG―AFTRA)と共同して、ICの養成プログラムを始めます。「アクションシーンにスタントコーディネーターが欠かせないように、性的シーンでICが必須だとルール化される日が来ることを願っています」
動きが鈍い日本、背景にあるのは・・・
IC導入の動きは世界各国に見られます。現在、日本や韓国、インド、オーストラリアなど約15カ国でICが活動しているそうです。日本では、水原希子さんとさとうほなみさんが主演したNetflix映画「彼女」で初めてICが採用され、話題になりました。
日本の撮影現場でも、ICの必要性への理解は広がっていくのでしょうか。
「パッチギ!」で知られる井筒和幸監督は、日刊ゲンダイDIGITALの連載コラム(20年9月26日)で「濡れ場、脱ぎ場の調整係だ? なんとも疎ましい職種が登場」というタイトルで、ICについて「もっと作品の質を落としそうな、冗談みたいなこと」「日本の映画現場でも、滑舌もロクにできないが売れ筋の女優さまが『性技お目付け役』を同行させ、監督にイチャモンをつけさせるかもだ」などと書いていました。
ロサンゼルス在住の俳優・香里菜知子さんは、「日本はまだICを導入する以前の段階」と話す。第一の理由として、日本の映像業界や芸能界の労働環境の悪さを指摘します。「米国では、俳優だけでなく、撮影監督や脚本家など各職種の組合があり、労働時間や賃金も明確に決められています。エンターテインメントの社会的位置が確立され、尊敬されているからです」。一方、低賃金・長時間勤務が常態化している日本の映像制作の現場は……。「まずICの重要性を理解できるほど変わる必要があります」
第二の理由としては、日本では話し合う文化が根付いていないこと。「『臭い物にはふたをする』という言葉がありますが、話しづらい性的なテーマなら、なおさらです」
香里菜さんは、日本で露天風呂に入るシーンに出演した経験があります。「初めての入浴シーンでしたが、現場ではほったらかし。ベテランの女優さんがアドバイスをくれたからよかったものの……」
ハリウッドには世界中から多様な文化・宗教・人種の人々が集まります。「率直に建設的に話合わなくては何も進みません。むしろ、話しづらいことを話すことが、『勇気のある、称賛に値する行為』とされます。日本の芸能界でも、色んな意見や視点を率直に話せるようになれたら、ICのような職業が真価を発揮できるでしょう」
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伊藤恵里奈記者の「Beyond Gender」は原則、第4日曜に公開予定です。