エンタメはエンタメだ、で完結してはいけない。「全裸監督」を観て
●Ruru Ruriko「ピンク」35
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女性が知りたくても知ることのできなかった世界
Netflixで8月に公開するや瞬く間に日本全国で話題になったドラマ「全裸監督」。
1980年代の日本を舞台にAV界のパイオニアである村西とおる監督の半生を描いています。
最近は女性向けAVメーカー「シルクラボ」や女性AV監督エリカ・ラストが出て来てきたものの、日本ではまだまだAVといえば男性のためのもの。女性がオープンにAVを観ることや、AV女優という職業に眉をひそめる人がいるというのが現状だと思います。
しかし女性も勿論、男性と同じくらい性に興味がある人は沢山います。興味はあるけれど踏み込みにくい世界であるAV業界というものをNetflixというプラットフォームで、人気俳優の山田孝之主演で描いた「全裸監督」は、多くの女性が抵抗なく触れることができ、また観たことを公言しやすく作られていたと感じます。
実際に私も予告編を観て「面白そう!みたい!」とすぐに思ったし、周りの女性にも観ている人は沢山いました。
全話観て感じた、モヤモヤ
全話観た感想は正直に言えば面白かった、でも何だかモヤモヤするところがいくつかありました。
村西とおるさんの元妻や子どもたちはどうなったんだろうか、親にAV出演がバレてしまい地元に帰ることになった女性みく、彼女はその後大丈夫だったのだろうか。
村西作品に出演した後、その世界を退きOLになった女性の作品が、その後裏ビデオとしてモザイクなしで流出、OLとして働くことができなくなってしまったというエピソード。また村西さんの元で元気に働いているようにドラマでは描かれていたけれど、彼女は本当に幸せだったのだろうか。裏ビデオが出された事で慰謝料などは貰ったんだろうか、それともちゃんとした契約書なんてなかったのか?
そして多くの人が指摘しているけれど、すでにAVやテレビ業界から退いている、黒木香さんの肖像権やプライバシーについて。
20代の私はこのドラマを観るまで黒木さんのことを知りませんでした。おそらく私と同年代の多くの女性もそうだと思います。2019年未だにタブー視される脇毛を露出し、AVや女性のセクシュアリティーを肯定、AV出演費で自分で留学費用を払おうとする彼女は自立した素晴らしい女性に見えたし、1980年代にすでにこんなパワフルな女性がいたんだ!素敵!と思いました。
でも調べてみたら彼女は、引退後、過去に出演したビデオ再販に対しプライバシーと肖像権の侵害で訴えています。Netflixは彼女にこのドラマで描かれることについて許可を取ったようでもないし、彼女は今「全裸監督」でまた自分の名前が知られ出演したビデオが人々に観られることをどう思っているのでしょうか。
「全裸監督」は村西とおる監督を『性の解放者』として扱い、現代もタブー視されている性を昔から真面目に真正面から向き合ったパイオニア的な存在として描いていますが、作品を作るにあたり本来は重要であるAV女優たちの目線はドラマでは描かれていません。
黒木香さんはドラマの主要なパートを務めていますが、ご本人の承諾を取っていないとなると、彼女の役についてもどこまで忠実に作られているのか怪しいところです。黒木さんの脇毛を個性として認め、女性を性から解放したように言っている反面(これだって本当は男性から認めてもらう必要なんてないけど)、女性たちの人権問題や女性側の性に対する思いを聞くシーンはありませんし、登場する女性たちを心配したり謝っているシーンもありません。結局どこまでもAVは男性のものとして描かれていると感じました。
被害に遭った人の声をかき消す作品を称賛していいのか
村西監督はTwitterで
AV強要問題でフェミニズム運動の先陣をきっている女性弁護士のどちらさまも、男性には縁のなさそうな人たちに見える。セクシャルハラスメント反対を訴えたりもしているのだが、男性側からすれば「冗談言うな、お前さんなんかに触れるわけないだろう」のタイプ。男が悪い、に美人がいないのが悩ましい
とつぶやいています。
自分が性的に見ている女性のみを「女性」とし、それ以外は「女性」、ひいては「人」として価値がないというようにとれるこの発言は、女性側の性被害を否定しています。いくらエンタメ性があってもこのような人権侵害的な発言をする人を「天才」と持ち上げ、ドラマとして売るのは被害にあった人達の声をかき消し、人権問題や性被害などが多く問題になり話されている現代とは逆行していると思います。2019年になった今、私たち消費者もただ消費するだけでなく、その裏で何が起きているのかきちんと考えるべきではないでしょうか。