『全裸監督』にまつわる主語のすり替えを読み解く【前編】

Netflixオリジナル作品『全裸監督』は公開直後から、そのセンセーショナルなストーリーと圧倒的スケール感のある映像、豪華キャストで多くの話題を呼びました。しかし、一方では肖像権の問題やジェンダー的な視点から疑問を呈する声もあり、物議を醸しています。問題の核心は何なのか。ライターのヒラギノ游ゴさんが読み解きます。

『全裸監督』の話をする。
筆者はジェンダー領域のほか、音楽をはじめとするカルチャー全般について書くライター/編集者である。このヒラギノ游ゴという名義でおこなっている仕事はごく一部であり、別名義も含めると付き合いのある媒体・業界はそれなりに多岐にわたるが、それぞれのコミュニティにおける『全裸監督』に対するリアクションを横断的に観測していると、その落差に気が滅入る。

当然ジェンダーやフェミニズムの領域に問題意識のある人たちの輪の中では由々しき問題として語られるが、他所ではそうはいかない。

取材の現場で組んだカメラマンが言う。「観ました? 全裸監督。一気観しちゃいましたよ」。広告代理店の会議室でクライアントが言う。「全裸監督みたいなガツンとくるもの作ってほしいんですよ」。ファッション誌の編集者が言う。「早く全裸監督観なきゃな〜トレンド押さえとかないと」。

ジェンダーにまつわる話題は総じてそうだが、今回は特に温度差がすさまじいことになっている。そうしてごく静かに、問題意識を持っている人たちの胸中を落胆や軽蔑や怒りが蝕む。
それがわからない人は言う。「なんで関係ないのに怒ってんの?」。

今回の件は、いくつかの別軸の要素がない交ぜに語られ、途中で主語がすり替わって複雑な話のように語られている点に質の悪さを感じる。問題の切り分けがうまくいっていない印象があるのだ。
この記事ではそのような、一緒くたに語られているが本来別々の問題であるはずの要素をひとつひとつ切り分けて考える。

・「作品の制作背景」と「作品自体のクオリティ」
・「当事者から訴えがないこと」と「訴えがないなら問題がないという断定」
・「海外」と「日本」のVODの土壌の違い
・「主体的な女性」と「痴女モノAV女優」

順を追って見ていく。

■「作品の制作背景」と「作品自体のクオリティ」

参考:話題沸騰、山田孝之主演ドラマ『全裸監督』黒木香さんの同意は?Netflixに聞いてみた

本作は登場人物が実名で登場し、実話を基にした作品として公示されている作品である。その登場人物である元AV女優の一般女性は、これまでにも過去に自分が出演したAVや出版物の再販、また自身の引退後の生活を取り沙汰そうとするメディアに対して何度も訴訟を起こして反意を示している。AV女優時代のイメージが引退後もつきまとい、生活に深刻な支障をきたしうることは想像に難くない。

では『全裸監督』は、上記のように過去について掘り返されることを拒否してきた彼女からどのようにして許可を得ることができたのか?
前述記事におけるNetflixからの公式回答が以下の通りだ。

作品制作にあたって、村西さん同様、黒木さんご本人は関与されていません。あくまでも本橋信宏著『全裸監督』という原作に基づいた作品です。権利関係に関してこれ以上お話しできることはありません。

許可得てねえじゃねえか。
ガスライティングじみたわかりにくい言葉尻に乗る必要はない。答えかたは回りくどいが、要は許可を得ていないという話だ。
これはちょっとシンプルに、あってはならないことが起こっているだろう、というのが今世で語られていることだ。

一見して法的にセーフな理由が見当たらないし、仮におとがめなしだとしても、それは法の側に欠陥があるのでは? 仮に法に改めるべき点がないとしても、決して気持ちよく推せる作品ではないよね、そういう話だ。

さて、もう終わってしまった。本当にシンプルな話なのだ。
ではなぜ複雑な話に見えていたのか? 原因はいくつか思い当たるが、中でも大きな1つが「作品の制作背景」と「作品自体のクオリティ」の評価の混同だ。

主演が山田孝之だ。
"言わずと知れた"と言うのも憚られるような有名俳優であり、例えば『クローズZERO』や『闇金ウシジマくん』で見せたアウトローな人物像を演じる適性は今作にも活かされただろう。

監督の武正晴は、『百円の恋』で日本アカデミー賞優秀監督賞を獲得したほか、『パッチギ!』『嫌われ松子の一生』などの現場で助監督を務めてきた歴戦の実績ある作り手だ。

また、本作では80年代の日本の街並を再現する大規模セットが組まれ、あるシーンはハワイでセスナ機にヘリコプターを併走させる大掛かりな撮影が敢行された。
VODオリジナル作品の例にもれず、潤沢な資金を投じて作られた作品であることは巷で語られている通りだろう。製作者側自らそうした舞台裏を公示している。

参考:制作期間2年半、『全裸監督』で挑んだ新しいクリエイティブのかたち

つまり何がいいたいかと言うと、一流の俳優、一流のスタッフ、高額の予算を揃えた作品のクオリティが低いわけがないだろうという話だ。倫理にもとるものだとしても、少なくとも観ていて退屈はしないだろう。

「観ておもしろいと思ってしまったから悪く言えない」といった言葉を本当に多くの人から聞いたが、それは制作背景に関する疑念を差し引いた、制作の成果物に対する評価であって、ひとまとめに語るのは筋を違えている。

■「当事者から訴えがないこと」と「訴えがないなら問題がないという断定」

当該の一般女性に一切許可を得ていないなら、なぜ訴えがないのか、という点が腑に落ちていない人が一定数見られ、そのうち何人かから意見を求められた。全員男性だ。彼らは彼らで納得いっていないのだ。

筆者は概ねこういった回答をした。

「#Metooってあったじゃん。ぜんぜんまだ終わってないんだけどさ。あれは、今まで言い出せなかった人たちが、似た境遇の人同士支え合えるからようやく声を上げられるようになったっていうムーブメントなわけだ。

性的被害を名乗り出るのってめちゃくちゃ難しくて、だからああいう起爆剤が必要だった。いまだに泣き寝入りしている人だってたくさんいる。
そういうことを踏まえた上で、"訴えがないなら問題ないんだろう"ってのは、もうちょい慎重になったほうがいいよね。仕事のときはもっとリスクヘッジして意思決定するでしょ?」

ましてやAVだ。
出演強要、アブノーマルなプレイによる身体への負担など、権利意識の低さ、労働環境の劣悪さが村西とおるの時代から今に至るまで、現在完了進行形で指摘され続けている。

また、近年では海外にネット経由で国産アダルトコンテンツが出回り、その歪んだ世界観が国際的に知られるようになった。

日本人女性はそういう異常な性的スタンスを持つという蔑視が世界に蔓延し、海外で生活する上で用心を強いられている邦人女性もいる。

異常性への指摘があるたび「ありえない設定だから、現実と混同するわけがない」と自己弁護されてきたツケがとうとう回ってきてしまった。この問題の根は深く、実際『全裸監督』に対する海外の反応を見ていると、悲しいことにそういった偏見に基づく意見が散見される。

***後編はこちら:『全裸監督』によせて とっくに汚れている自分の手をじっと見ること【後編】