【養子縁組コラム04】養子縁組家族が結集!なぜか涙が止まらない……
●産めなかったけど母になったよ!~よしもとタレント、養子縁組で母になる 04
「telling,」読者のみなさん、こんにちは。この春、息子との間に特別養子縁組が成立し、名実ともに親子になりました!
バツイチ37歳で夫と出会い、40歳で入籍。4年間の不妊治療を経て、養子縁組で息子と出会うまで、出会ってからの日々のこと、telling,読者のみなさんにお伝えしていきたいと思います。今回は、子どもとの出会いを待つ間にあった出来事をお話しします。
養子縁組にも年齢の壁が
不妊治療にピリオドを打ったのは2年前の夏でした。当初目標の「45歳」まで、1年を残して、自分の中で「終了宣言」を出しました。
その後、夫婦で真剣に話し合い、養子を迎えると決めたことは、第1回、第2回でお話しした通り。さっそく、44歳の妻と37歳の夫が申し込める縁組仲介団体を探すことにしました。
ところが、養子を迎えるにも年齢制限があるのです。ほとんどの団体で養親の年齢上限を「43歳」としていました。一つ年をとるたびに不妊治療のハードルが上がるのに泣かされてきたけれど、ここにも年齢の壁があるなんて……。
首都圏に事務所があって、私の年齢で応募できる団体を、なんとか複数見つけてコンタクトしてみました。最初に申し込んだ団体では、まず電話面接があり、その時に他の団体も見てみることを薦められました。「どこも一緒やろ?」と思ったのですが、いくつか足を運んでみると、どうやらそうでもないのです。
ある団体の説明会では代表の方が話をしたのですが、ホームページに載っている説明の棒読みでした。「なぜ養子縁組の事業をするのか」という団体の「理念」みたいなものを、代表の口から聞きたかったのですが……。
複数の団体に足を運び、運営する方のお話をうかがったうえで、最終的に縁があったフローレンスで登録を終え、子どもとの出会いを待つばかりとなりました。
血のつながりはないのにどこか似ている
時が過ぎ、季節は春から夏になろうとするころ。フローレンスのアドバイザーをしていたアクロスジャパンの代表から「交流会」に誘われました。1年に一度、団体を通じて養子を迎えた家族や待機中の家族が集まる場です。「いろんな体験談を聞けるとええな~」と軽い気持ちで、夫婦で出かけていきました。
会場は都内のホテルのパーティールーム。部屋に入ると、登録後に一緒に養親研修を受けた3組の夫婦がいました。よく見ると、みんな赤ちゃんを連れています。中には生後6カ月くらいに育った子まで。
なんで?なんでうちだけまだ赤ちゃん、けえへんの…??
その時、つらかった不妊治療の思い出がフラッシュバックしました。不妊の相談にのった友だちや後輩が、「勇気をもらいました。私もがんばります!」と言って私より先に妊娠していった時の、どうしょうもない悲しさ、むなしさ。あの時の複雑な感情が一気に噴き出してきて、涙が止まらなくなりました。
実はその一週間後に息子が生まれ、第1回でお話しした「運命の電話」がかかってくるのですが、そんな未来を知らない私はそれから一週間、激しく落ち込みました。
でも、交流会には行ってよかったと思っています。
そこにいた親たちはみな、夫婦で悩み、考え抜いて、ある種の覚悟をして子どもを迎えています。なので「子どもがそこにいるだけで幸せ」というオーラでいっぱい。他人同士の家族が集まると、なんとなく競争意識とか、牽制しあう空気が生まれるものだと思っていましたが、この会場にはそうしたピリピリした空気感は一切なくて、どの家族もとっても幸せそうで、あったかい空気が流れていました。
それにどの親子も、血のつながりはないのにどこか似ているんです。
すごいことやな、って思いました。
それまでは、私自身、どこかで「養子はかわいそう」というイメージを抱いていたように思います。でも交流会に集まった家族を見て思ったのは、「この子たち、ほんま愛されてるなあ」ってこと。養子縁組でいちばん幸せになるのは子どもで、その幸せのおすそわけを、産みの親も、育ての親ももらうんですね。
交流会では気持ちが高ぶって涙が止まらなかったけれど、それから1週間後に出会った息子は、その時は想像できなかったほどのたくさんの幸せを、わが家に運んできてくれました。
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