パーソナルトレーナー(29歳)

タブーを話して知った母の愛。心でつながった家族になりたい。

パーソナルトレーナー(29歳) 人が幸せになる方法を追求したいと、個人に向き合うトレーナーとして働く彼女。「あの頃は、自分に自信がなかった。私の命なんて要らないんじゃないかって、アイデンティティの根本がぐらついていて…」彼女は、自分が養子だと知った時のショックを乗り越えている。あらかじめそう聞いていたのに、インタビューを始めてもなかなか核心に切り込めない私に、彼女は自分から話を始めてくれた。

「この人なら話せるかも」と思って、初めて言いました

 養子の話を初めて人にしたのは、今から10年前です。大学の、所属していた学生団体のみんなで反省会をしていたときでした。新宿の、普通の定食屋さんで、レジの近くの席だったのを覚えています。

 そこでの話のなかで、先輩に言われたんです。「人に優しいのはあなたのいいところだけれど、厳しくしないといけない瞬間もあるよね。なんで、できないんだろうね」って。

 分かってました。自分に自信がないからだっていうのは。
 なんで生まれてきてしまったんだろう、自分なんかが幸せになっていいんだろうか。
 高校2年生で自分が養子だと偶然、見てしまって書類でそのことを知ってから、ずっと誰にも言えずにいました。タブーだと思ったから親には絶対、話せかったし、友だちにも相談できなかった。

「今、優しくすることは相手の人生でみた時にどうか。一生、関わるつもりで向き合わないと」
 先輩が話す言葉を聞いていて、「この人なら話せるかも」と感じました。私を点じゃなく、線で見てくれる。一生、関わるつもりで向き合ってくれている。それで、初めて人に言ったんです。自分は養子だということで悩んでいる、と。ガヤガヤしたお店で、号泣しながら。

生みの母も命がけで私を産んでくれたんだと思えたあのとき

 昔から、人を喜ばせることは好きでした。でも、養子と知って悩み始めた頃から、自分は何か価値を出さなくちゃいけないと思うようになって。自分を犠牲にしてでも、誰かの役に立とうとしていた。ある意味、自分で自分を苦しめてたと思います。

 自縄自縛から抜け出したのは、夜中、テレビで出産シーンを見た時でした。それまでも見たことはあったけれど、その頃は来る日も来る日も命について考えていたから、「赤ちゃんはこんなに命がけで生まれてくるんだ」ということに驚いて、番組から目が離せなくなって。

 私の母親は生む前から育てられないと分かっていて、私は生後1週間で今の家にきているんです。母には堕ろす選択もあったはずです。初産で、生むのも怖かったと思いますし、何かあったら亡くなる可能性だってあります。
 それでも母は生むという決断をしたんだ、命をかけて生んでくれたんだと、出産シーンを見ながら思いました。今まで勝手に自分は不幸だと思っていたけど、ものすごい愛されてたんだなって。涙がとまりませんでした。

自分で生きようと思わなくても、勝手に生きちゃってる

 私たちって、勝手に生きちゃってるじゃないですか。自律神経は勝手に整ってるし、血は勝手にめぐってるし、自分で「よし、生きよう」と思わなくても生きちゃってる。
 それまで、価値を出さなくちゃ生きてちゃいけないと思ってたけど、むしろ、それは傲慢だったかもしれない。今この瞬間に生きていて、生かされていることがすべてだなって思いました。みんな、価値があるから生きてるんだって。

 それからは、“人の役に立ちたい”という思いは同じでも、意味合いが変わりました。私は愛されて生まれ、育てられた。その命を使っていくときに、誰かの役に立たせてもらえたらと。自分のやりたいことだけじゃなくて、もっと人に幸せを届けられるようなことをしたい、今は純粋にそう思います。

母も大切な子どもだから言いたくなかった

 養子と知ってからも、両親に対する思いは何一つ変わりませんでした。「この人は母親じゃない」みたいな違和感もまったくなくて、私にとっては、父だし、母。
 いつか結婚式のときに、何不自由なく育てあげてくれた両親に「知ってたよ、ありがとう」って伝えようと決めていました。

 でも去年、思うところがあって、家族にも言ったんです。朝、ごはんを食べながら、「知ってるよ」って。「え、何で!!」と母はすごい驚きようでしたが、ここまで育ててくれたことへの感謝も伝え、母とじっくり話しました。そうしたら、その後母がみるみるうちに若返っていったんです。シワもなくなって、顔色も明るくなって。母も抱えこんでいたんだと思います。

 母は不妊治療をがんばったものの授からず、でも、親になりたい思いが強くて、父と相談して兄を迎えたそうなんです。その3年後にきたのが私。もし、子どもたちが自分は養子だと知ったら、母親と思ってもらえないんじゃないか、と怯えていたみたいです。

 血のつながりがなくても、家族であることに変わりはない。母娘で信頼し合えるようになったら、なぜか家族全体の雰囲気も変わりました。今まであまり雑談のない家族だったんですけど、たわいない会話が増えてきて。

 兄も知ってるはずですが、母はまだ兄には「言わないで」と言います。いつかそこも乗り越えられたら、また家族の関係がちょっと変わるんだろうなと思っています。

新宿にて

建材メーカーで6年間、企画・広報・宣伝を担当したのち、企業取材や家づくり・家具などの住にまつわる分野を中心に、各種WEB媒体で活動中。プライベートでは夫と2人暮らし。
フォトグラファー。岡山県出身。東京工芸大学工学部写真工学科卒業後スタジオエビス入社、稲越功一氏に師事。2003年フリーランスに。 ライフワークとして毎日写真を撮り続ける。
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