子どもを産まない理由(上)
●産まない人生を考える 05
先日、子どもを産まない選択をした人の意見を聞かせてほしいという依頼があり、質問にお答えする機会があった。もちろん私は「子どもを産まない代表です!」と強く主張するつもりもないし、その立場のオピニオンリーダーになりたいと思っていたわけではない。だけど、結果的にこういう立場で文章を発表していることは事実なので、いち意見として聞いてもらえるのならばと、お受けすることにした。
人を納得させるだけの明確な理由が見つからない
この取材を受けるにあたり、もう一度じっくり考えなければと思ったことがある。それは、子どもを産まなかったことに対して、なぜ人を納得させるだけの明確な理由が見つからないのか、ということだ。先にも書いたのだけど、何度考えてもわからないのである。
専業主婦だった自分の母親を見て、かなり早い時期から自分の中で、好きなことを仕事にしたいと考えていたのは事実だ。でも、子ども時代にものすごくつらい思いをした記憶もないし、前にも書いたとおり子どもが嫌いなわけではない。むろん、ごく普通の幸せな家庭で育った自分が、なぜ子どもを欲しいと思わないのかは、考えれば考えるほど謎なのだ。人に何度も理由を聞かれて嫌な思いをしていたのは、もしかしたら答えが見つからない自分自身に苛立ちを感じていたのかもしれない。
子どもを生んでこそ一人前だと言われることも多かったため、20代、30代の頃はやはり心の奥底に若干の劣等感があった。その呪縛から開放されたくて、明確な理由が欲しかったのではないかと、今になってみると思う。
価値観が覆された出来事
少し重たい話になってしまうが、ここで一つ、私が実際に体験したエピソードを紹介したいと思う。
今から約12年前、当時私は半年ほどシンガポールに滞在していた。そこで出会ったベトナム人の友人が、ホーチミン市の自宅に完全帰国するという。お互いに別れを惜しんでいたのもあり、彼女から遊びに来ないかと招待を受けた。私は二つ返事で誘いに乗った。
初めて訪れるホーチミンシティは、フレンチ・コロニアル風の街並みが美しく、想像以上におしゃれだった。そして想像以上の大都市だった。当時は今よりも混沌としていたけれど、高度成長期の真っ只中という熱気がそこかしこから伝わってきて、とにかく勢いが感じられた。友人の自宅は問屋が立ち並ぶ下町の一角にあり、ショップハウスのような鉄筋コンクリート造の3階建ての家だった。華美ではないが広々としていて、清潔感が漂う佇まいだった。そこに暮らしていた彼女の兄弟2人が、温かく迎え入れてくれた。
夜は日本語が上手な彼女の友達が車で迎えに来てくれて、彼女の2人の兄弟と共にみんなで食事に出かけた。1軒目はベトナムが初めてだという私に気を遣ってか、英語メニューが置いてあるようなお店に連れて行ってくれたが、対して2軒目はものすごくローカルな屋台街へ案内してくれた。所狭しと並ぶプラスチック製の低い椅子に腰掛けながら、汗をかきながら笑いあった。けれども次の瞬間、驚くほど小さな子どもが料理を運んでくるのを見て、私の笑顔が引きつった。