作家アルテイシアの選択「産んでも産まなくても、つながれる」01
●産まずに生きる
作家アルテイシアの選択「産んでも産まなくても、つながれる」
この「産まずに生きる」特集のトップページには『「産まない」「子どもはいらない」と意思表明するのは、なぜ勇気がいるんだろう』とある。
私の場合、特に勇気はいらなかった。
「私も夫も子どもは欲しくないので、作らなかった」と方々で書いているし、「だから子宮はいらないのでとった」と子宮全摘手術の顛末を「子宮をとってもビッシャビシャ!」というコラムに書いた。こちらは拙書『アルテイシアの夜の女子会』にも収録されている。
世間のモノサシより、自分のモノサシで生きる
「産まない」と意思表明するのに勇気がいるのは、世間には未だに「女は子を産み育てるべき」「男は働いて家族を養うべき」といったジェンダーロールがあるからだろう。
私はこの手の「女・男は○○すべき」「××すべきじゃない」という抑圧は滅びるべきだと思っているし、なんなら「俺がぶっ壊してやる」と思っている。
要するに拙者は中二病なのだ。
ちなみに中二病らしく「傷=かっこいい」という認識なので、子宮全摘手術の傷も気にならなかったし、むしろ渋いぐらいに思っている。
このように中二病は便利なので、皆さんも眼帯や包帯をコーデに取り入れてほしい。そして「狂ってるのは俺じゃない、この世界だ」と大学ノートに綴ろう。彫刻刀で机に彫ってもいい。
実際、産みたくない人間に産めと言ってくる方がおかしいのだから。
私は世間のモノサシじゃなく自分のモノサシで生きると決めている。世の女性たちも「世間が何言おうが知ったことか」と開き直った方が楽だと思う。一緒にこの腐った世界をぶっ壊そうぜ!
クソリプは完無視して、同じ考えの仲間を見つけよう
「なぜ勇気がいるんだろう」の理由として「周りに同じ考えの人がいないから」もあるんじゃないか。理解&共感してくれる仲間がいないと「自分はおかしいのかも」と悩むものだ。
一方、私は周りに同じ考えの人がいっぱいいる。先日、作家と編集者の女性5人で飲んでいたら、全員が選択的子ナシで「むしろこっちがマジョリティでは?」と錯覚しそうになった。
私は「都会生まれ女子校育ち、リベラルな奴は大体友達」という環境で育った。かつ若い頃に毒親と絶縁して、親戚づきあいもなく、フリーランスで働いている。子ナシ的には恵まれた状況と言えるだろう。
もし私が島根県の農協に勤めるOLさんだったら、だいぶつらかったと思う。出雲大社の子宝守りを千個ぐらいもらって、どんと焼きで燃やしてたんじゃないか。
「親や親戚のプレッシャーがつらい」という話をよく聞くが、子を産み育てるのは本人であり、親や親戚は先に死ぬ。明日にも死にそうな親戚のおじさんのクソリプとかは完無視しよう。
幸いなことに、この世界にはインターネットがある。SNSや掲示板で選択的子ナシ仲間とつながれば、「自分はひとりじゃない」と勇気づけられるんじゃないか。
- 子ナシを選びたいと感じた自分のモノサシを信じ、仲間を見つければ「選択的子ナシ」を生きるのは怖くなくなるのでは?と提案してくれたアルテイシアさん。後編は、選択的子ナシと、子育てママや産みたい派が共存する方法を綴ってくれました。
後編は、明日公開予定です。
アルテイシア/作家。著書『59番目のプロポーズ』『恋愛とセックスで幸せになる 官能女子養成講座』『オクテ女子のための恋愛基礎講座』『アルテイシアの夜の女子会』他、多数。AMや幻冬舎plusで連載中。
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