ホッケー女子日本代表、SOMPOケア広報部チームリーダー・小野真由美選手(34)

ホッケー日本代表「一度引退したからこそ分かる金メダルの価値」

ホッケー女子日本代表、SOMPOケア広報部チームリーダー・小野真由美選手(34) 今夏のアジア大会で金メダルを獲得した「さくらジャパン」の守りの要である。リオデジャネイロ五輪の後、32歳で引退を表明し、所属しているチームの親会社を退社、豪州へ留学した。納得して第一線を退いたはずだったが、「自分にはホッケーしかない」と、1年後に現役へ復帰。広報ウーマン、指導者、そして選手として忙しくも、実り多き毎日を送っているという。

 初めてアジア大会に出たのは2002年、17歳でした。3分間しか試合に出られなかった。しかも、本来のポジションではなく、フォワードとしての出場でした。当時、チームの中では1番若く、先輩の選手が外れて、代わりに私が入ったんです。力がないのに選出され、「おめでとう」って言われた。「何で、お前がいるんだ」って思われていたかも。居心地がよくはなかった……。

 でも今は幸せです。ホッケーをするって、私にとって、こんなに幸せなことなんですね。
このときのちょうど倍。34歳になったアジア大会での金メダルは、うれしいですよ。

 今回も当初はメンバーに入っていませんでした。「ひと回り年下の選手を休ませたいから」という理由で、出場が決まったんです。

 「必要だからではなく、『ほかの選手を休ませたいから』という理由だなんて……」。内心、複雑な心境でした。20代前半だったら、パフォーマンスや表情に、マイナスの気持ちが出てしまっていたでしょう。そして、チームが一つになるのを、邪魔していたのではないかと思います。

 でも、今はどんな自分も受け入れられる。かっこ悪い体験もいっぱいしてきた。「若い選手を休ませたいという理由でも、一番に私を選んでくれてありがとう」って思えました。次もまた日本代表に選ばれるかどうかは、分からない。それでも、今必要とされたことを監督に感謝しています。あえて深くは聞きませんでした。余計な情報は入れたくなかったし、頑張るしかなかったんです。

金メダルの原動力になった「おじちゃん」の存在

 今回の金メダルの原動力になったのは、「おじちゃん」の存在でした。小・中・高校時代、学校から帰ると共働きの両親に代わって隣の家のご夫婦が、夕ご飯を食べさせ、遊んでくれました。そのご夫婦のご主人の方を「おじちゃん」と呼んで慕っていました。箸の持ち方まで矯正してもらったんですよ。

 アジア大会中、おじちゃんが急に亡くなったんです。だから、絶対金メダルを取って帰ろうと思った。全部の試合でキーパーみたいに、体を張ってボールを止めました。「今大会は、自分のためでなく、おじちゃんのために勝つ。絶対、(金メダルを)取ることができる」って。理由は分からないけれど、ふつふつと湧いてくる自信がありました。それが、おじちゃんのおかげのような気がしました。

 2年前に現役を一度退いたときは、年齢を理由にしていました。でも、戻ってきた。女性ですから、結婚して子どもを産みたいと思っていますが、このまま頑張って、2020年東京五輪に出ることができたとしたら、そのときは36歳。30代前半でママになることはできません。20代後半のころ、婦人科の健康診断でひっかかったことがあって、大事にはいたらなかったのですが、やはり年齢は気になります。

 欲張りかもしれないけれど、ホッケーもプライベートもどっちも夢をかなえたい。人生において、何が正解なのか分かりません。でも、自分の選んだ道を、自分が納得して歩んでいくということが大事なのかな、と思います。

一度現役を退いたからこそ、得るものがあった

2002年、初めてアジア大会に出場。当時17歳
 

 引退から復帰までの1年間を「ブランク」とは思っていません。日本リーグに加盟している実業団チームで、企業人として競技を続けるという道を外れたからこそ、得るものがあった。アルバイトをし、ハローワークに通っていると、稼いで、ご飯を食べていく大変さが身に染みました。

 引退後の留学先で、ホームステイしていた家族はホッケーの関係者でした。そこで、オン・オフの切り替えの大切さや、休養の意味を知りました。「こういうことを知った上で競技を続けてみたい」という気になったのです。

 「何で引退したんだろう」と自問自答するようになりました。そのころ、現在お世話になっている介護サービスを運営する会社の会長さんと出会ったんです。「応援されるありがたみが分かったからこそ、競技者としてもう一度ホッケーの普及に携わりたい」と気持ちを伝えると、「支援するよ」と。私の背中を押してくださいました。

 でも、復帰したからといって「ホッケーしかしない環境に甘んじてはいけない」とも思っていました。今は平日、「SOMPOケア」の広報担当として働き、週末は大学生の指導をしています。選手としてだけでなく、ホッケーの素晴らしさを多くの人に伝えられる今の環境は、とても恵まれていると思います。

人に応援してもらえるって、素晴らしいこと

 今、「人に応援してもらえるって、どんだけ素晴らしいことなんだ!」と思いながら、ホッケーをしています。アジア大会の金メダルで、これだけ祝福してもらえるのだから、東京五輪だったらどうだろうと。想像するだけで、ワクワクします。

 アジア大会が終わり、「ゆっくり休んだらいいよ」なんて言われるけれど、そんな暇はありません。2020年東京五輪までの1年半はあっという間。早く、「変わった自分に、出会いたい」と思っています。「骨盤の角度を変えてみよう」「内転筋をもっと鍛えれば……」など、課題はいっぱい。自分と向き合い続ければ、必ず変わります。常に危機感を持ちながらも、楽しんでホッケーをやっています。

富山県小矢部市にて

北陸に拠点を置く新聞社でスポーツ、教育・研究・医療などの分野を担当し2012年に退社。現在はフリーランスの記者として雑誌・書籍などに執筆。