産まない人生を考える06

子どもを産まない理由(下)

「産まない」「子どもはいらない」と意思表明するのって勇気がいる。自分で決めていいことのはずなのに…。ライターの河辺さや香さんが自身の経験やミレニアル女子へのインタビューを通して、「産まない人生」について考えていきます。シリーズ6回目も前回に引き続き、河辺さんが価値観を覆されたというベトナムでの出来事から、子どもを産むことの意味について考えていきます。

●産まない人生を考える 06

その子は、4,5歳だったろうか。未就学児であることは間違いなかった。そういえば注文を取りに来てくれた子は、7、8歳くらいだったと気づいた。あまりにもテキパキしていたため最初はさほど気にとめていなかったのだが、注文を取るのも、支払いを管理するのも、そして食事を運んでくるのもすべて子どもの仕事だった。そして気づくと私の横では、乳飲み子を抱いたお母さんが物乞いをしていた。私の友人たちが小額紙幣を渡した。いつもそうしているかはわからないが、恐らく私の元から離れて欲しい、という主旨のことを言っていた気がする。私も紙幣を探そうとすると、「いいのよ、私たちが用意するから」と友人が言った。なんだか居たたまれない気持ちになった。

悲しみと苛立ちの間で

私はその時、同情とは違う感情を抱いていた。非難を承知で正直に書くと、それはちょっとした怒りだった。子どもに労働を強いるということを、いったい親はどう考えているのだろう。なぜ、このような未来が分かっているのに、子どもを産むのだろう。子どもに対してあまりにも無責任な親に、私は苛立ちを覚えた。

一生懸命働く幼い子を見ていて、私は涙が出そうだった。時にテーブルの下にもぐりこんで客がこぼしたビールを拭き、別の客には「オーダーしたものはまだか」と急かされる。子どもに笑顔はなかった。そしてその子達をほめる客もいなかった。完全に大人社会に組み込まれた、小さな労働者だった。

夜中、友人の家に戻った私は、思わず自分が感じた憤りを発してしまった。

「ねえ、どうしてあんなに小さな子どもに働かせるの? 貧しいならば、あんなことをさせるってわかっているなら、最初から産まなければいいのに」

すると友人は、静かにこう言った。

「あのね、あなたは豊かな日本で生まれ育った人だからわからないかもしれないけど、これが今のこの国の現実なの。最初から子どもを産まなければいいって言うけれど、貧しいから産むのよ。だって、あの人たちには、それくらいしか希望の光がないんだから」

私は、言われたことが衝撃的すぎて、ショックで黙りこんでしまった。と同時に、あまりの自分の稚拙さを猛烈に恥じた。どんな形であれ、彼らにとって子どもは宝であり、そして生きる希望なのだ。子どもを取り巻く状況は厳しいものだったが、彼らは不幸を強いているつもりはないのである。これに対してはいろいろな意見があると思う。だが、自分の基準で幸せを測り、勝手に不幸だと決めつけた私は、なんと愚かだろうか。

このエピソードは随分前の話だが、今でも私の中で強烈な記憶として残っている。結果として、このことが私に出産をしないという決意をさせたわけではない。けれども、やはり産んだ人の気持ちは産んだ人でないとわからないのだと再認識したし、その逆も然りだと思った。だから私は、決して他人の人生を否定的に見てはいけないと思った。幸せを測る物差しは、あくまでもその人の中にあるのだ。

子どもを産まない理由

冒頭の話に戻るが、なぜ子どもを産まなかったのかという明確な理由は、やっぱり見当たらない。

人生は、意思決定の連続で成り立っていると思う。毎度その意志が明確だといいのだが、中には曖昧な場合もある。振り返ってみると、割と“なんとなくそう思った”というファジーな場面が多いことに気づく。

私の場合、昔から産まないだろうと思っていたけれど、天地がひっくり返っても絶対産まないぞ!という強い意志があったかといえばそうでもない。ただ欲しいと思わないままここまできた、というのが現状だ。結果として迷ったこともなかった。なぜ迷わなかったのかという理由は、どこまでいっても見当たらない。

だから、先日のインタビューで私は素直に、明確な理由はないと答えた。「案外同じような人が多いのかもしれないですね」と、現場ではそんな意見も出た。

子どもを産まなかった自分を正当化するつもりはない。ただ、産まなかったから一人前ではないと思う世間体はどこまでも自分を苦しめるだけなので、もうこの先の人生では考えないようにしようと思った。そして無理に理由を探すのもやめた。その方が、より自由に生きられるのだから。

フリーランス・ライター、エディター、インタビュアー。出版社勤務後、北京・上海・シンガポールでの生活を経て東京をベースにフリーランサーとして活動中。
産まない人生を考える