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封印していた「母になる」未来。特別養子縁組で家族になれた

作業療法士の天野明子さん(39)は昨年6月、男の赤ちゃんを家庭に迎えました。夫の桂佑さん(36)と初めての子育てに夢中で向き合い、今年3月、赤ちゃんとの特別養子縁組が成立。名実ともに「親子」になりました。 明子さんは10代の頃、病気を理由に「母になる」という未来を封印しています。 想像することさえ避けた”未来”が現実となるまでの道のりについて聞きました。

今朝、家のポストを開けたら、家庭裁判所から通知が届いていました。

特別養子縁組が成立したという知らせです。養子縁組を仲介する団体を通じて息子と出会い、家庭裁判所に特別養子縁組の申し立てをしたのが昨年8月。それから夫婦で面接を受けたり、裁判所の調査官の方が家庭訪問に来たり。縁組の成立には半年間の試験養育期間が必要です。その間、調査官の方は生みの親にも話を聞きにいきます。審査の途中で、生みの親が気持ちを変えることもあるそうです。

通知を見て、生母さんに「託してくれてありがとう」という気持ちがわいてきました。彼女が産む決断をしてくれたから、こうして息子と出会えたのだから。

子どもに関わる情報をシャットダウンした

中学2年のとき、私の生理が始まらないのを心配した母親に連れられて婦人科を受診し、子宮や膣の一部が先天的に欠損している「ロキタンスキー症候群」だとわかりました。医者からは「生理は来ない。将来、妊娠もできない」と言われました。

その時は「いずれつらい思いをするだろうな」と思いましたが、正直、あまりピンときませんでした。母親の方がショックが大きかったと思います。兄2人の末っ子長女なので。大人になって知ったのですが、母は当時、1人になると泣いていたそうです。

それからは、子どもに関わるすべての情報をシャットダウンしました。高校を出て犬の訓練士養成校に入ったのも、子どもの代わりに犬の世界に没入しようと思ったからです。訓練士として3年働き、その後、もう少し人と関わりたいと介助犬の育成団体でボランティアを始め、並行して生計を立てるために訪問入浴介助のアルバイトも。働きづめでしたね。

その頃、ある男性からアプローチがありました。それまでも男性と交際が始まる“気配”を察知した段階で、子どもができないことを伝えるようにしていました。すごく好きになってしまったらつらくなるから。そうやって自分を守っていたんですね。

彼に告げると、「親に『孫の顔が見たい』と反対された」と言われました。そのあと1カ月ぐらい、家ではずっと布団をかぶっていました。

母親になりたい。障害児の母たちが自分を変えた

以前にも増して、子どもに関することを封印した天野さん。一方で仕事は「犬」から「人」の世界に広がり、ホームヘルパー(訪問介護員)のスキルを身につけ、もっと利用者のためにできることを増やしたいと、作業療法士の学校に通って資格もとりました。スタッフ5人の小さな訪問看護ステーションに勤務。担当したのが障害児家庭の訪問リハビリでした。。

0歳から20歳くらいまでのお子さんの身体リハビリや入浴、食事の介助をする仕事です。お子さんの中には呼吸器をつけ、24時間介護が必要な重度のお子さんもいます。最初は私にできるか、不安でした。彼らのお母さんたちとの出会いが、私を変えていきました。

お母さんの多くは、わが子の障害を受け入れるまでに相当な葛藤があります。それが数カ月、1年と経つうちに、子どもを心からかわいいと思っていることが伝わってくる瞬間が増えていくんです。最初はわが子を凝視できなかったママが、気づけば優しい表情で子どもをじっと見つめている。その姿がとても素敵で、私もいつか母親になりたいと思うようになりました。

「この人となら一緒に親になれる」

夫とは、入浴介助のアルバイト先で出会いました。結婚生活は9年になりますが、数年前まで、本音でぶつかり合うことを避けてきたように思います。体のこともあり、互いに遠慮があったんですね。それが障害児の母親たちと出会い、職場で自分を素直に出せるようになると、家で本音を出せないことが苦しくなってきた。あるとき、夫の前で感情が爆発してしまったんです。ひどい言葉も投げつけました。あわや離婚の危機でしたが、夫は私の一方的な言い分をすべて受け止め、「僕も心を開くようにするから、二人でやっていきたい」と。その時、「この人となら一緒に“親”になれる」と思えたんです。

それからは早かったですね。縁組仲介団体に登録し、必要な研修を受けて息子を迎えるまで1年ほど。夫婦の危機を乗り越えたら、養子を迎えることに何の抵抗もありませんでした。血のつながりがなくても、障害があっても、どんな子でも愛せる自信がありました。

週末などに、彼が息子をあやし、息子がキャッキャッと嬉しそうに笑うのを見るとき、家族ができた幸せを感じます。

母親との関係も変わりました。書道教室をしていた母はいつも忙しく、甘えた記憶がありませんでした。大人になっても何となく距離があったんです。でも最近、息子の世話をしながら、「母もこんな気持ちだったのかな」と思うことが増えた。寝ている私の布団を母がそっとかけ直してくれたこと、クリスマスの朝、枕元にプレゼントを見つけて報告しに行ったときの母の優しい目。子育てをしていると、そんな忘れていた記憶が呼び覚まされるんです。ああ、自分も愛されていたんだな、って。

「血の繫がりを持たない親子の物語」(動画)はこちら
バーティカルメディア「ポトフ」統括編集長。朝日新聞では経済部やAERA、GLOBE編集部などを経て現職。2011年にGLOBEで「養子という選択」を特集して以来、養子縁組や里親の取材を続ける。著書に『産まなくても、育てられます』(講談社)