産めなかったけど母になったよ! 02

【養子縁組コラム02】よしもとタレントが語る「私が”養子を迎える”ことを決めた日」

よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のタレント・女優の武内由紀子さんはこの夏、特別養子縁組へと息子を託されました。アイドルとしてデビュー、離婚と再婚、4年間の不妊治療を経て、「産めなくても、母になりたい!」と養子を迎えることを決意。迷い悩んだ日々のこと、養子縁組のことをテリング世代にむけてつづります。

●よしもとタレント、養子縁組で母になる 02

 「telling,」読者のみなさん、こんにちは。武内由紀子と申します。
 バツイチ37歳で今の夫と出会い、40歳で入籍。この夏、特別養子縁組へと息子を託され、「母」になりました。
 きょうは養子を迎える決断をするまでを振り返ってみたいと思います。

武内由紀子さんと養子縁組した息子と夫とのスリーショット

満を持してのぞんだ「最後の治療」

 「残念ですが、着床していませんでした」
 ちょうど1年前の夏、お医者さんのその言葉を聞いて、私はまる4年続けた不妊治療を終えることを決めました。
 診察室を出て、お会計の順番を待つあいだに、私の心は決まっていました。

 養子を迎えよう、って。

 実は、その回の治療を最後にしようと決めていました。
 それまでに20回ほど採卵をして、毎回必ず受精卵になっていました。
 そのうち胚盤胞まで育ったのが8回。着床したけれど流産してしまったことが3回。期待してはどん底に突き落とされる、その繰り返しです。

 最初の2、3回は、結果を告げられるたびに落ち込み、待合室で泣いていました。
 治療中は子どもがいる友だちとも距離を置くようになりました。ネガティブな気持ちに向き合うのも大事かなと思って、人付き合いで無理をするのもやめました。

つらかったあの頃の記録は全部とってあります

 でも仕事柄、落ち込んでいるわけにはいきません。人を楽しませる仕事ですから、仕事場では明るくしていなくちゃならない。
 しばらくすると、「今回もダメだろうな」って最初から結果を諦めてかかるようになりました。治療と仕事のバランスをとるための、無意識の防衛本能かもしれません。

 おととしのこと。舞台の仕事の依頼が舞い込みました。

 1カ月近く稽古をしてみんなでつくりあげ、お客様と一緒の空間の中で演じる舞台の仕事が私は大好きです。すぐにOKの返事をしたかったけれど、私には当時、仕事とは別の次元に、「妊娠・出産」という目標がありました。
 それ以前にも舞台のオファーはあったのですが、いつ治療が成功して妊娠するかわからないので、数カ月先、1年先という長期のスパンのお仕事はすべて断っていました。

 でも振り返ればいつも、結果的に妊娠はせず、やりたい仕事も逃していました。
 もやもやしていたところに、「やりたい!」と心から思える案件が舞い込んだのです。迷ったすえに、引き受けようと決めました。

「奇跡はもう信じない」

 舞台が始まる前に卵子を採取しておき、胚盤胞まで育てて凍結。舞台を終え、満を持して臨んだのが、冒頭の「最後の治療」でした。
 だから結果を聞いたとき、落ち込むというより、「やりつくした感」があったんです。始めた当初は45歳まで続けようと思っていた不妊治療ですが、ここで素直に幕を引くことができました。

 治療中、友だちから「養子縁組とか考えないの?」と言われたことがあります。その時は「いや、そこまでは」と否定しましたが、頭のどこかに残っていたんでしょうね。

 私、いったん決めると行動は早いんです。病院でお会計を待つ間に養子を迎えると決め、縁組を仲介してくれる団体をスマホで検索していましたから。
 養子縁組は夫婦の合意がなければできません。その日の夜には夫に「養子縁組を考えたい」って伝えたのですが、夫は最初、本気だと思っていなかったみたい。1週間後に「あの話だけど」と切り出したら、「あわてなくてもいいんじゃない。あと1年ぐらいタイミング法続けて、ダメだったら考えよう」って返ってきました。

 思わず、言い返しました。
 「あとどのくらい、『今月もあかんかった』を繰り返さなあかんの? 治療をやめたら授かったとかいう奇跡はもう信じない。次の目標に向けて、前を向いて進みたいねん!」

思いの丈をぶつけていた当時の日記。ちゃんと関西弁……

「妊娠する」から「家族をつくる」へ

 今度は夫がネットでいろいろ調べて、関連本もたくさん読んで、夫なりに考えてくれたようです。1週間くらいたってから、「どんな事情を持った子が来るかわからないなら、もし病気がある子が来たら、この子を迎えなかったら……と思うかもしれない」と言うのです。
 「じゃあ私と結婚したあと、病気だってことがわかったら、『結婚しなかったら…』って思うの?自分で産んだって、産まれてくるまでわからんことばっかりやろ。それと同じやと思う」

 実際、不妊治療をしている間は、たとえ子どもに障害や病気があってもぜんぶ受け止めて育てるから、とにかく妊娠したい、わが家に産まれてきてほしい、そう願っていました。養子を迎えるのも、心の持ち方としては同じじゃないでしょうか。

 そしたら夫は、しばらくじっと考えて、「……それもそうだね」って。
 夫は、私が悩んだり、迷ったりしているとき、どうすれば前に進めるかを一緒になって考えてくれます。このときもそうでした。私の思いを受け止めて、一生懸命考えて、自分のなかでもストンときたのだと思います。
 私たちはそのとき、「妊娠する」から「家族をつくる」に、目標のスイッチを切り替えられたんですね。

次回はこちら:【養子縁組コラム03】特別養子縁組が成立。血がつながらなくても親子です!

タレント、女優。1993年に「大阪パフォーマンスドール」としてデビュー。現在は読売テレビ『大阪ほんわかテレビ』や劇場『ルミネtheよしもと』などで活躍。2013年に7歳年下のパン職人の夫と結婚。
バーティカルメディア「ポトフ」統括編集長。朝日新聞では経済部やAERA、GLOBE編集部などを経て現職。2011年にGLOBEで「養子という選択」を特集して以来、養子縁組や里親の取材を続ける。著書に『産まなくても、育てられます』(講談社)
産まずに母になったよ!