本という贅沢35『ノルウェイの森』(村上春樹/講談社)

病むことと病まないことの差。ほんの1ミリくらいだったりする

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。12月のテーマは浮かれ気分の年末にあえての「失恋」。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢35『ノルウェイの森』(村上春樹/講談社)

『ノルウェイの森』(村上春樹/講談社)

「今月の書籍候補に村上春樹の『ノルウェイの森』はどうですか?」とtelling,の編集さんに言われた時、「え?今さら『ノルウェイの森』?」と、正直思ったよね(村上さん、ゴメンナサイ)。

そういう私は、アンチ村上春樹かというと、処女作『風の歌を聴け』は10回以上読んでるし、『ノルウェイの森』も7回は読んでる。なんなら卒論のテーマも村上春樹さんだ。

いま、村上さんの本が好きだというと、「ああ、ハルキストですか」って感じで微妙にコミカルな雰囲気が漂う。パスタをゆでながら「やれやれ」とか言ってる人ですよね、みたいな。
でも、かつて彼の著作は私たちの世代にある種のまったく新しい価値観をぶっこんできた人だった。

それは「病んでもいい」とか、むしろ「こんな世の中で病まない方が不思議だ」とか、誤解を恐れずにいうと「どこか病んでいるくらいがクールなのだ」とか、そういうことだったような気がする。
「24時間戦えますか?」のCMが流れる1990時代に、その価値観はとてつもなく新しかった。

私が村上春樹ワールドに出会ったのは、高校3年生の時。ある同級生に「私、村上春樹を読まない人とは友達になれないから」と言われたことがきっかけだった。
彼女は、田舎の進学校には珍しい“雰囲気のある”女子だった。なんか、「もういろいろ済ませてるんだよね」みたいなちょっと気だるい空気を持っている女子。そういう子って、学年に一人くらいいる。
私は彼女に憧れていて、友達になりたかった。その彼女に言われたのだ。
「私、村上春樹を読まない人とは友達になれないから」と。

私はわりと素直なたちだったので、当時出ていた彼の著作を全部読んだ。受験勉強よりもそっちの方がずっと大事なような気がした。あれはほとんど恋だったと思う。

でも、読んでも読んでも、どこがいいのか皆目わからなかった。比喩が何を比喩しているかわからなかったし、『ノルウェイの森』にいたっては、これがベストセラーになるニッポン大丈夫か?と思うくらい、ただただ暗い小説だと思った。

彼女に「どうだった?」と聞かれた私は「うん、とても深い小説だよね」と返した。嘘にならないぎりぎりの回答だったと思う。
彼女は嬉しそうに微笑んで「『ノルウェイの森』を読むと、しばらく大きな声が出せなくなるよね」と言った。正直言ってその感覚はわからなかったけど、私は曖昧に頷いた。

この作品は何を言わんとしているんだろう。とても大事なことを伝えようとしているのだろうけれど、なぜ私にはかけらも理解できないんだろう。彼女はこの本から何を読み取っているのだろう。私には見えていなくて、彼女には見えている世界は何なんだろう。
それが知りたくて、私は高3の夏休み、進路を変更して文学部に進むことにした。でも、大学で4年間研究してもやっぱりよくわからなかった。この課題を考え続ける仕事につきたいと思ってライターになった。
その意味では、人生を変えさせられた一冊と言える。

今回、編集さんのリクエストで読み返した『ノルウェイの森』は、驚くほどわかりやすかった。「うわー、あるあるあるある!!!」と叫びたくなるほど身近な話だった。

メンタルの話だったし、LGBTの話だったし、マインドコントロールの話だし、すすみゆく分断の話だった。どの登場人物にも共感できたし、どの登場人物も少しずつ私だったし友人たちだった。
私や友人たちの物語が、一度ばらばらに解体され、再構築された書籍。それが『ノルウェイの森』だった。

つくづく、読書ってリトマス試験紙だなと思う。

こんなにすんなり深く共感できる物語を、学生時代の私は、何度読んでも「難解」だと思ったのだ。当時の私は、この本を理解できるだけの経験や感受性を持ち合わせていなかったんだと思う。

そして、同時に。この物語は、びっくりするほど、“いま”の物語だなと思った。
村上さんはこの書籍の執筆に関して、「主人公を含めて誰が死に、誰が生き残るかはわからないけれど、6人の登場人物のうち3人殺そうと決めていた」とインタビューに答えている。

誰が病んでもおかしくない、誰が死んでもおかしくない、この終末期的な平成の終わりを予言していたような本だと思う。
死ぬ側。生き残る側。どっちの3人の側になるかなんて、実は紙一重だ。その差は1ミリくらいしかない。

いくつかの大切なものや人を失い、このゆらっとゆがんだ世界の中で立つことに、時々立ちくらみのような感覚を覚える人には(つまりほとんどのミレニアル世代には)、きっと深く響くんじゃないかなと思う。
20年ぶり8回目の通読で、はじめて震えました。

  • 村上春樹さんの小説の中では『国境の西、太陽の南』が好きです。これは不倫の物語。
    エッセイもよくて、スコットランドのアイラ島を訪ねた『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』に影響を受けすぎて、今年はアイラ島まで行ってきました。
    『ノルウェイの森』を執筆していたイタリア&ギリシャ在住時代のエッセイ『遠い太鼓』も素晴らしいです。

それではまた来週水曜日に。

続きの記事<本当はこれも紹介したかった! 年末年始にオススメの6冊+α>はこちら

年間10冊以上を担当する書籍のライターとして活動。ビジネス書から実用書まで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『道を継ぐ』など。
佐藤友美