「29歳問題」という問題〈編集部コラム編〉

ドーナツを食べながら考察する、「29歳問題」という問題

毎週日替わりでお送りしている「telling,編集部コラム」。 【telling,名誉編集部員・ケチョップ>>>】 ではない、もうひとりの土曜日担当です。今週は、日曜日にお送りします。みなさま、どうぞ一時(いっとき)一服、お楽にお立ち寄りを……

●「29歳問題」という問題〈編集部コラム編〉

29歳のころ、被雇用者から雇用者になっていた。
「やりたいこと」をワクワクと思い描くようなときには常に、ワクワクなはずの頭のどこかに「財務三表」なる重たい影が存在し(2桁の足し算すらおぼつかないことは、周囲にバレずに済んでいた)、自分が「何か決める」ときには、自分以外の人の人生・生活が細腕(……え)にかかっているぞという、もう一人の自分の声が聞こえていた。責任をとるのは「一から十まで私」。そんな場に身を置いていた29歳。

でも、それだけ。ただのラベルの1枚だ。

29歳、39歳、79歳、どう変わる?

29歳に10を足すと、39歳となる(このくらいの足し算は、大丈夫)。
数週間前、アラフォー女性向けメディアで人気だという、連載コンテンツを読んだ。
「既婚・未婚」「産んでる・産んでない」「愛されている・愛されてない」。正負各種の自己認識を持つ女性が登場するコンテンツ。彼女たちは、悩んでいた。もやもやしていた。「39マイナス10の、あの頃」と、変わらない感じで。

奇しくも翌日、地下鉄の車内で、乗り込んできた6、7人のお姉さまに取り囲まれた。手編み風カーディガン、締め付けないチュニック、少しだけかかとの高いウォーキングシューズ。アラ還などゆうに超え、オリンピックのころにはアラハチ……?が見えてきそうなお年頃。
そこでの彼女たちのアジェンダは、以下のとおり。

  • 夫に先立たれてこうして自由に出かけているけど、息子夫婦や孫とはあまり会えない。少し寂しい。どうしたものか。
  • 長男である弟家族に代わって長寿の実母を介護し看取ったが、寺と墓の問題で弟夫婦からイチャモン。言いたいことは山ほどあるのに、言えない。
  • このお仲間とは別にジョインしているコミュニティ(山歩き)のメンバーに、どうにも苦手な人がいて、苦手すぎる。苦手すぎる。とにかく、苦手すぎる。

彼女たちは、悩んでいた。もやもやしていた。「今マイナス約50」の29歳のあの頃と、変わらない感じで。
……白目。

「だって人間だものゲーム」から下りてしまったもので

私たちは「考える葦」だとパスカルは言い、その姿を、ロダンはブロンズで表した。らしいけれど、本当にそう?

考え(答え)を導き出したいなら、頰杖ついてうなだれている場合じゃなく、せめてそこら辺を歩き回ったほうが、脳ははるかに活性化すると科学がすでに明かしている。銅像のあの人は「考えて」いるんじゃなく、「悩んでいる」ようにしか見えないのは、私だけ?

29歳に10を足しても、50を足しても、私たちは、ずっと悩む。
……本当に、そう?

「私たちは、ずっと悩む」に続けて「それが人間。生きるということbyみつを」かなんかで結んでも、それなりに成立するこの原稿。
あろうことかそのゲームから、私は下りてしまった。ある日ふと、気づいたことがあったから。

29歳なのに、結婚してない。
29歳なのに、やりきってない。

あまりにも多くの人が、この手のカードを持っている。まるで参加者ほとんどがババを持っているババ抜き、成立しようがない。比べたり勝負しなくていいのが、本当のところ、なのに。

そして反面、
「○○してなかろうが関係ない」「放っとけ。ババなんて持ってない」
とも思いたいのに突き抜けきれないのはやっぱり、
「自分には何かが欠けている」という不足の怖れや、「もっと満たせる!」と向上心のふりしたコスプレ、あるいは「そんなこと思わなくても十分」といった自己受容、のつもりの逃げ。そして「この私にあれこれ言うな」の怒り?

何にせよ、「この現状は望みと違う」という(誤った)認識と、「これじゃないなら、どうしたらいい?」「これのはずなのに、なんなんだ」というナビ不在のざわつき。悩みって、こうしたものがあるからなんじゃないでしょうか。

29歳の私は何か足りない、その「穴」の場所

ここで、シンプルなお知らせ。
いま、目の前に見えている世界、目に入る視界のすべて。
試しに、本気で探してみてください。
どこかに、「穴」は空いていますか? 欠けている箇所は、ありますか?

世界は、いま目の前にあること、起きていること、見えているものがすべて。どこにも穴は開いていない。このことに、氣づいてみるという施策はいかがでしょう。

反対に、どんなに脚が太かろうと、お腹ポッコリ出ていようと、あなたの何かが「世界からはみ出している」箇所を、発見できるだろうか。
それと同じで29歳の今、結婚してない、恋人いない、趣味も人生のやりがいもない。やりがいあってもなんかイラつく。それで世界のどこかが穴が開いたり、はみ出したりしているのかい?本当に?

「いや、世界がどんなに埋まっていたって、私が埋まっていなけりゃ意味ないの」
このご意見は想定内。私もそう思っていたときがある。でもまずは、「世界のどこにも穴はない」、この仮説に則って、目の前を観察してみてほしいのだ。

おいしいお茶とドーナツでも。穴ごとご一緒に

唯一、どこにも穴のない世界に穴をあけられるとすれば、ラップの芯を片目に当てて「両目」で覗き、手のひらをかざすと、現れる真っ黒い不思議な穴。
錯視・錯覚・カンチガイ。
「不足だ」「ハマってない」と思っているものの正体はせいぜい、そんなもの。

ラップの芯をどけて、ドーナツを手にとれば、リアルな穴が空いている。けれどその穴には「穴がめいっぱいつまって」いて、「穴の向こう」で埋まっている。目の前の世界は完璧で、「ぺき」は「かべ」じゃなく下部は「玉」。完全無欠で欠点(欠けたところ)がない玉だと書く。

それを変えようとしちゃうのが要するに、「29歳問題、という問題」ではないのかしら。
完璧な世界を見誤り、抵抗することでしか悩みや葛藤は生まれない。抵抗のしようがないことに抵抗すれば、生じて当然のコンフリクト。以上、モグモグ(ドーナツ食べる)。

だから、真剣に、あなただけに言うね。
どうかご安心を。不足だらけのあなたは世界を、完璧に満たしている。
もし本当に穴がないことに氣づけたなら、何かが開くかもしれない。氣づけなくてもその先もまた、起きることが起きその瞬間にも、やっぱり穴はまったくないの。

仕組みは、こんなにもシンプルだ。心臓の鼓動を不随意筋が、指図もないまま刻んでくれるように。
「完璧な29歳」を変えようとする、その抱腹絶倒加減に氣づけば即、至極ラクチンな世界が待っている。

続きの記事<気分が晴れることなんてほとんどなかった私の20代>はこちら

telling,創刊副編集長。大学卒業後、会社員を経て編集者・ライターに。女性誌や書籍の編集に携わる。その後起業し広告制作会社経営のかたわら、クラブ(発音は右下がり)経営兼ママも経験。
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