気分が晴れることなんてほとんどなかった私の20代
●「29歳問題」という問題〈編集部コラム編〉
何者かになれると、ずっと思っていた
「29歳問題」と聞いて、正直、わたしはピンとこなかった。
というのも、振り返ると、29歳に限らず私の20代は問題だらけだったからだ。
幼い頃から、なんとなく、自分は何者かになれる、と思っていた。特別何か秀でたものがあったわけじゃないけど、夏休みの自由研究が先生から褒められたり、作文が文集に載ったり、絵が市民文化会館に飾られたり、ちょっとしたことが私の未来につながっていると思っていた。
そんな田舎の少女が、大人になり、東京でそこそこ名の通った会社に就職した20代。
私は何者にもなっていなかった。
憧れていた仕事には就けなかったけど、それなりにOLしていた自分。上司にも仲間にも恵まれていたと思う。
でも、営業で実績が出ても、新しい資格を取っても、自分が満ち足りることはなかった。いつも焦ってばかり。
世界に革命を起こせない私 is 価値ない
自分以外はみんなちゃんとしていて、世界とつながっている。
自分だけが何もできない。
「ちゃんとしなきゃ」という思いは強いけど、何をどうしたらいいのかわからない。
何かを頑張らなきゃと思いつつ、目の前の仕事に精一杯打ち込めない。
仕事以外に何か夢中になれるものがあるかというと、なんにもない。
寝てばかりの休日に、また焦る。
浅田真央にも、宇多田ヒカルにも、渡辺直美にも、蜷川実花にも、はあちゅうにも、スプツニ子にもなれない自分を責めていた。
大人になったら自動的に世界に革命を起こせる何者かになれるはず、と思っていた過去の自分に対して負い目を感じていた。
自分の価値はゼロだと絶望していたけど、どうしていいかわからなかった。
20代はずっとそんな思いを抱えていたので、気分が晴れることなどほとんどなかった。
がむしゃらにもがいて、己を知る
そんな私が、問題から開放され始めたのは、歳を重ねたから…ではなく、人生追い詰められたからだ。
31歳で、当時同棲していた彼氏にこっぴどい振られ方をした。
夜も眠れず、ごはんも食べられず、でも、なんとか仕事だけでもちゃんとしなくてはという思いだけで、手と頭を動かしていた。
がむしゃらにもがく日々の中で、上司がフィードバックをくれ、お客さんから反応が返ってくる。
そこで気づいたのは、「これだけ必死にやっても、失敗するし、いい方向に進んでもほんのちょっとだけなんだ!」ということ。
世の中は、私の力なんかじゃ変えられない。
今までの自分は何にも挑戦できていなかったし、妄想だけで自分を過大評価していたことに気づいて、軽く絶望した。正直、自分で自分が恥ずかしかった。
そんな日々の中で、いい意味で諦めを知り、何者にもなれない自分を責める気持ちが薄れていった。
マイペースに、何者かになればいい
では、私は、何者かになることを諦めたのか、というと決してそうではない。
テリングでインタビューを受けてくださるような著名人からもこんな声を聞く。
「世の中は一気には変わらないんです。だから私は自分ができることをやって、少しずつでも良い方に向かえばいいと思っています」
有名な方でさえ、そう感じているのだ。私なんかの影響力は、言うまでもないだろう。
今の私は、20代の時に夢想していた、「他人から評価される何者か」は、もう目指していない。
自分のできる範囲で、自分のできるペースで、「自分が納得できる何者か」になればいいんだと、今は心から思っている。
革命を起こせないけど、仕事で関わっている人たちや家族・友人に、少しずつでもいい影響を与えることはできる。
自分が「こうしたい」という意志や「こうなったらいいな」という願望を、ひとつずつ叶えていけるように、マイペースに動くことがとても尊い。そう気づけることで、29歳問題(私にとっては20代問題かも)は解消していったように思う。