元ガングロギャルが学長に「学校が苦手だった私が、熱血教師になったワケ」
数ミリのつけまつげが、人生を変えた
長野県の高原、菅平のふもとの町で生まれ育ちました。1歳半のときに、炭を使った掘りごたつの上に落ちて下半身にやけどを負ってしまい、物心ついたときから親や先生から心配されているのを感じていました。子供心に「みんなと違うのは嫌だ」と、わざとケロイドを覆ったタイツを脱いだりして、”普通の子”と同じように過ごしていたのが原点です。
でも小学校に入ったら、外見が違うということでいじめにあってしまって。優しい友達もいて、学校は休まず通えましたが、やはり残酷に投げつけられた言葉って心に蓄積されていきますよね。知らぬ間に外見に対してコンプレックスを抱えるようになっていきました。
中学校に入って、友達の1人のなにげない「つけまつげをつけてみたら?」の一言につられてつけてみたら、目がすごくパッチリして……外見以上に、びっくりするぐらい心が変わったんです。その瞬間に、「メイクの力ってすごい!」「感動体験を味わえるような、与えられるような職業に一生携わっていきたい!」と、パシッと心が決まったんです。たった数ミリのつけまつげが、私の人生を変えたんですよね。
外見でしか判断されない理不尽さ
その時から私の生きがいはメイクになって、いろんな研究をするようになりました。派手なメイクをしたり、髪を染めたりして学校に行くこともありましたが、全部校則違反になってしまって。外見が派手だと、誰も内面のことを見てくれなくなるんです。真面目なことを言っても「あいつはダメだ」で片付けられてしまう。ガングロにしたのも、「メイクをしていると本当の自分になれる」ということを突き詰めていった結果でした。
小中高のあいだ、良くも悪くも外見というものが自分を変える力、相手に与える力はすごい、ということを学びました。私はメイクに出会ってすごく自信が持てたし、外見を変えることによって内面も救われた。だから、学校の授業でももっとこういうことを教えるべきなのにな、とずっと思っていました。
上京、そして思ってもいなかった縁
高校卒業後は上京して、まずは技術者になろうと2年間専門学校でストイックに学びました。選んだ学校は偶然にも、日本のメイクアップアーティストの草分け的存在である小林照子さんが創業した学校。授業以外でも、美容室やメイクアシスタント、化粧品の企画など、できることをすべてやろうと必死でした。
卒業後は唯一携われていなかったエステを学ぼうと思って、エステサロンに就職。でも就職後1週間で母校ーー今働いているスクールから「教育をやっていくスタッフを募集しているんだけど、やる気はないか?」って電話がかかってきたんです。
在学中は、まったく「教育に携わりたい」という話をしたことがなかったので、驚きました。教育は本当にやりたいことではありましたが、技術を学びきっていない今のタイミングでやるべきではないかも、とも考えてすごく悩みました。でも技術、現場、教育が一緒にできる環境ってどこにもない。それなら、思い切って飛び込んでみてもいいかな、と思いました。
スクールに就職してから3年間は、メイクアップアーティストのアシスタントがメイン。その後、美容も学べて高卒資格を取れる学校を開校するという話が持ち上がり、「すぐにでもやりたい!」と手を挙げました。
もっともっと、可能性を伝え続けたい
入学してくる子たちは、最初は「完全武装」っていう感じなんです。メイクがバッチリ決まってないと学校に来ない、みたいな子が多い。そういう子も決して叱ったりはせず、1人の人間として対等に向き合います。人間と真正面から向き合う経験をさせる、ということをミッションとしています。
高卒資格を取れることもあり、開校して間もない頃は、他の学校に馴染めないという理由で入学してくる子が多かった。最近では私のように美容、メイクのパワーに気づいて、最短距離で学びたい、という気持ちで入ってくる子もいます。この学校のゴールは就職ではなく、「どう生きるか」。「10年先の姿を考えて、逆算してどう過ごすか」を徹底して教えています。
私が学生の時もこんな学校があったらよかったな、とつくづく思います。私の10年後ですか? そうですね。美容は外見だけではない、内面にも生きるものだ、ということを認知して、伝えられるようにしていく。小学校でもそういう教育が行われているのが夢ですね。
原宿にて