「ダイヤもお寿司も自分で買える女」の末路とは?

『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』(KADOKAWA)の著者、西原理恵子さんに、ミレニアル女子を代表して悩みをぶつけてきたところ「くねくねしてんじゃねーよ」とぶった斬られました。確かに、貧困と暴力の中にいたサイバラさんの20・30代を思えば“くねくねした”“しょーもない”悩みなんだろうけど……。一喝されたtelling,編集部員の伊藤(31)が、取材後の落ち込みともやもやをつづります。

この違和感はなんだったんだろう

バッサバッサと斬られてしまったなぁ。そして、私が至らぬゆえかどこかかみ合わない気がしてしまったのも事実。

元々、西原さんのファンだったので、インタビュー前から『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』の本は読んでいたし、特に「ダイヤもお寿司も自分で買おう!」には激しく共感した。自分の子どもも、そういう子に育てたいなあとも思った。

娘には、誰かに幸せにしてもらうのではない人生をと思っていたので嬉しかった。「ダイヤも、お寿司も、自分で買いましょうね」そう言ってきたから。(『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』より引用)

なのに。インタビュー中に感じた違和感はなんだったんだろう。もう一度、本を読み返してみた。

無職のまま、子どもを産んで、旦那に逃げられる子もすごく多かった。そうなっても、養育費なんてもらえるはずがない。

日本で売春のとりしまりをやってる警察関係者に聞くと、子どもに売春をやらせている親が、けっこうな数いるらしい。お母さんが稼げなくなると、子どもに体を売りにいかせる(『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』より引用)

とても幸せなことだけど、私のまわりには無職で子どもを産んで旦那に逃げられる子も、貧しさから子どもに売春させている子もいない。

違和感の理由は、西原さんが私たち「女の子」に向けて警鐘を鳴らしてくれる、そのベースとなる「貧困と暴力」が、私のまわりにはないからかもしれないと思った

「自分で買える女」も悩みはある

 つらいこともあるけど、仕事楽しくて、貯金もある。男性に頼らなくても、ひとりで生きていける女性。「ダイヤもお寿司も自分で買える女」は、私のまわりには多い。むしろ、友人のほとんどがそうだ。

 ただ――、「自分で買える女」になったら幸せか、というと全然そんなことはない。

それが、取材中に私が何度も斬られた「くねくねしてんじゃねーよ」の悩み。特に、人間関係だ。

 確かに、友だちに嫌われようが、マウンティングの最下層に落ちようが、命まではとられない。貧困と暴力に比べれば、ちっぽけな悩みだ。

 じゃあ、「自分で買える女」は何に悩むのが正解なんだろう。

西原さんの答えは、「悩んでいる暇があったら、自分のためにすべきことをしなさい」だ。

 仕事、貯金、習い事、保険に入る……思いつく限りの自分のためにすべきことはしているとしたら、それ以上の自分のためにすべきこと”ってなんだろう?

くねくね悩み続けたい

 私は、次は他者に目を向けることが、「自分で買える女」がすべきことのように思う。

世の中は、自分だけじゃないから。ひとりで立てるようになったら、まわりを見渡すことが必要なんじゃないかって。

 貧困と暴力で悩んでいる人だって、私が見えていないと思っているだけで、すぐ近くにいるのかも知れない。そこに、思いをはせるのは、他者との違いに「くねくね悩む」ことにもなると思う。

 もちろんそれは、自分の心がしっかりと自立(自律)したうえでのこと。人から悪く思われたくないとか、こう思われたらどうしようとか、そういう「他者目線優先のくねくねからは、西原さんの言うとおり、もう卒業、と思った。

 だから私は自分の立ち位置をちゃんと持ったうえで他者に心を配り、思いをはせたい。この部分には、「人からどう見られても」もう少しくねくね悩んでみようと思うんですけど、西原先生、いかがでしょうか。

まだまだ喝!西原さんの「くねくねしてんじゃねーよ!」後編はこちら

※「もう少しくねくねする」と決めた筆者に、このあと意外な展開が!? 詳細は6月21日(木)明らかに。お楽しみに!

telling,の妹媒体?「かがみよかがみ」編集長。telling,に立ち上げからかかわる初期メン。2009年朝日新聞入社。「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じで生きていこうと思っています。
フォトグラファー。北海道中標津出身。自身の作品を制作しながら映画スチール、雑誌、書籍、ブランドルックブック、オウンドメディア、広告など幅広く活動中。
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