45600人の異星人
少し前に、telling,では、「集中力特集」として複数の記事をお届けしました。その中で興味深かったひとつが、株式会社JINSの井上一鷹さんが教えてくれた「ポモドーロ・テクニック」。人間は何かものごとに集中するまでに約23分かかるという、その性質を利用して、集中の度合いや効率を高めようというお話でした。
思ったのは、こうした人の脳の特性を知って、上手に活用できそうなことっていろいろあるんだなということと、もうひとつ、「集中できていないとき」について。
何かに集中「しないでいる」とき、つまり何も考えずにボーッとしているか、あるいはどうでもいい雑念が浮かんでは消え、無為な時間を過ごしているようなとき――。
1日6万回思考する脳、大半は前日と同じでネガティブ思考だという残念なお知らせ
一説によると、人は、1日に6万回も「何らかの考えごと」をしているそうです。「何も考えずにボーッと」しているようでも、脳内では膨大な思考が猛スピードで駆けめぐっているというのです。
そしてその思考がめぐるスピードは、会話の最中であれば実際に口で話す速さの約3倍、話が止まっている間はなんと、話す速さの約6倍にもなるのだとか。
しかも、1日6万回(6万語という説もあります)行き交う思考のうち、95パーセント(57000語)は「前の日と同じこと」を考えているそうで、なんとまぁ生産性の低いことよ。さらに追い打ちをかけますと、その前の日と同じ思考の8割(45600語)は、「ネガティブな考え方」なんだと。南無……。
残念ながらこの説について、提唱している心理学者などの名前は複数あたることができても、一次資料(学術論文)は探すことができませんでした。そのため科学的エビデンスに基づく説とはいえないかもしれません。それでも日々実際、さまざまな(どうでもいい)雑念にまみれている感を多分に持つ身としては、「さもありなん」と思ってしまいます。
自分を縛ってツラくしているのは自分自身?
1日に脳内をかけめぐっている(らしい)45600語ものネガティブな考え。
ネガティブ思考もいろいろあるでしょうけれど、総じて「自分が考えたり思い浮かべたりして“決して心地よくはならないこと”」、と定義すれば、そこにはたとえば「○○するべき」「○○であらねばならない」といった、自らを抑制し制限する類(たぐ)いのものも含まれるのではないでしょうか。
「もう30歳だから結婚しているべきなのに」
「結婚したら、夫ひと筋であらねばならない」
「仕事も家事も大変だけど、子どもは産むべきだ」
「仕事では○○レベルに成長せねば、意味がない」
45600語すべてがズバリこれとは思いませんが、猛スピードで行き交う「一見どうでもいい」思考の多くが、仮に、こうした抑制や制限をともなう見えない前提、無意識の思い込みのうえに立っている、としたら……?
親や誰か、置かれた環境――まわりの世界がまずあって、それによって自分に起きているのだと思っている目の前の現象は、実は、自分自身が「こうあるべき」「こうせねば」の見えない枠や、世間の(だと思っているけど実は自分の)ジョーシキを設けて、勝手にそれに縛られている。「だからそう見えているだけ」ということも、ゼロではないと思うのです。
実際、そうだと気づくことがあります。自分のなかの「ねばねば星人」「べきべき星人」と目が合ってギョッとする、と言いますか。
「共感」と「多様性の受容」で、制限思考がほぐれていく、ような
telling,でお仕事をしていると、さまざまな女性の、さまざまな人生の瞬間を垣間見せていただきます。
自分のなかのねばねば星人、べきべき星人をうまくスルーできずに苦しくなっていたのかな、とでもいう方もいれば、上手にかわして「これが私だから」の境地にいたっているような方。ほんとうに、人それぞれ。誰にもStoryがあり、Topicsがあって、それらに触れては、「私も同じ」と共感したり、「私とは違うけど、こういうあり方でもいいんだな」と多様性に対する扉がひとつ、開くような気持ちになったり。
「こうじゃなくちゃいけないんじゃないか」
「こんなのはダメなんじゃないか」
勝手に設けて、勝手に自分を縛っていた制限思考が、ふっとほぐれていくようです。
自分のなかの45600の異星人たちが、なんだか随分とおとなしくなっているのを感じる今日このごろ、でもあるのです。