「助けて」と言える勇気と、手助けできるゆとり、両方を持ちたい

リフォーム会社営業(34歳)

長女を出産後、勤務しているリフォーム会社で、出勤、退勤の時間を自由に決められる「フレックス制度」を提案。試験的に実施されることになり、8カ月後には、全社の営業部で導入される結果に。仕事と育児の両立について、リアルな経験をお聞きしました。

 入社後すぐは、埼玉県さいたま市にある大宮店に勤務していました。そのころは遅い時間まで、もうがむしゃらに働きました。その後、115月の横浜店のオープニングスタッフに。地元が神奈川で、ずっと横浜店で働きたいと思っていたので、念願が叶い、とてもうれしかったです。

 翌年に結婚。子どもは、しばらくいいかなと思っていました。ある程度経験やキャリアを積んでからじゃないと怖いなと思っていたからです。育休から復帰する頃に「戻る椅子はないよ」って言われたらどうしようって。まだ横浜店にもいたかったですし。なので、次のステップとして目標としていた主任を目指していきました。

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 13年に主任になり、少し落ち着いてきた頃、そろそろ子どもも欲しいなと思うようになりました。158月に長女が産まれたのですが、復帰したのが165月。1年も休んでいないんですよね。

 本心を言うと、もっと子どもと一緒にいたかったです。でも、私の住んでいる横浜市は1歳になると保育園に入れるのが難しくなるので、0歳児で保育園に入れて復帰する、とは決めていました。

 仕事復帰の際、会社との面談で、「元の椅子に戻りたい」とお願いしました。「時短」という働き方がある中で、その選択をしなかったのは、やはり営業として、結果にこだわりたかったから。

 いきなりフルタイムで仕事復帰。「本当に自分にできるかな?」と不安は尽きませんでした。リフォームの仕事は、契約までたどり着くのはお客様と会った23カ月後から。5月に復帰しても、成果が数字になって表れるのは8月以降になります。役職がある以上、期待された結果を残さなければ、と思いました。

定時になったらタイムカードを押して、ダッシュで迎え

 結果としては、目標の数字の200%で10月を終わらせることができました。その分、むちゃな働き方をしてしまい、体力的にも精神的にもやられてしまいました。

 子どもの迎えが18時半なので、定時の18時になったらタイムカードを押して、ダッシュで帰りました。1分たりとも余裕がないんですよ。子どもを連れて、家に帰ると19時すぎ。牛乳1本買えない。

 夫はSEという仕事柄、帰宅が深夜になることもあり、結果的に私が家事や育児をひとりでやる時間も多いのが実情でした。残った仕事を家でやろうと大量の資料を持ち帰ってきても、結局は寝落ちして、ただ重たい荷物を会社と家を往復させるだけ。

 こんなに余裕なく働いて、これで本当に充実してるって言えるのかな? と自問自答の日々でした。朝5時に起きて、7時半に保育園、8時に現場という生活が続いて、体調を崩したんです。現場でのトラブルもあって、精神的にも疲れてしまい、病院にも通いました。

フレックスタイム制の導入を、会社に交渉しました

 そんな時に、他社で活躍する営業ママたちに子育てと仕事の両立について相談すると「フレックスタイム制という働き方があるよ」と教えてもらいました。そこで、いろいろなケースをヒアリングし、会社にフレックスタイム制の提案書を提出しました。

 172月に、私ひとりに試験的に行う「フレックスタイム制」が認められました。850分の出勤を8時にして、そのかわり17時半に帰るようにしました。子どもを迎えに行く前に、買い物をしたり晩ご飯の下準備をしたり。やらなきゃいけない仕事の量は同じですが、気持ちの余裕が全然違いましたね。

 10月からは、営業部にも本格的にフレックスタイム制が導入されるようになりました。営業部は土日祝日がお客様とお話できる大事な機会なので使えませんが、1カ月の労働時間さえ満たしていれば、平日はコアタイム設けることなくいつ出勤・退勤しても自由。もちろん報告は必要ですが、介護でも、習い事でも理由は問いません。

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精神的にも体力的にも健康じゃないと、持続不可能なんですよね

 実はもうひとり、子どもが欲しいなと思っています。子どもが2人になったら、さらなる試練が待ち受けているのかなとは思います。自分1人が動き回って数字を作るのには、限界があるとも思っています。

 仕事も子育ても充実させるってことは、どちらも精神的にも体力的にも健康じゃないと、持続不可能なんですよね。そのためには、一人でがむしゃらに頑張るだけじゃなくて、チームやお店として、成果を上げるためにはどうしたらいいのかを考えていくことも重要だということに気がつきました。時には勇気を出して「助けて」と声を上げることも必要。だけど、その分誰かが助けを求めている時には、ちゃんと助けられるゆとりをもっていたいと思います。

横浜にて

協力:営業女子コミュニティ「営業部女子課」

http://eigyobu-joshika.jp/

撮影協力:LOHAS studio

未婚、既婚、子どもの有無、転職や独立の経験者。恋好き、旅好き、おいしいもの好き(缶チューハイ含む)。さまざまなstoryを持つ「telling,」編集部メンバー。
1986年週刊朝日グラビア専属カメラマン。1989年フリーランスに。2000年から7年間、作家五木寛之氏の旅に同行した。2017年「歩きながら撮りながら写真のこと語ろう会」WS主催。

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