太田彩子の「キャリアを上って、山に登る」

できないこともある。「期待に応えられない苦しさ」から得たこと

「こんなに頑張って働いて、何の意味があるんだろう」。ふと頭をよぎるこんな疑問。尽きることのない悩みや不安のその先には、何があるのでしょうか。

●太田彩子の「キャリアを上って、山に登る」05

 今年42歳になる先輩女性、太田彩子さんは、まさに“バリキャリ”な女性でした。21歳で出産して以来、子育てをしながら仕事に取り組み、リクルートのトップセールスとして活躍後、株式会社ベレフェクトを起業し、日本最大級の営業女性コミュニティ「営業部女子課」を主宰。ほかにも社外取締役など多岐に渡る活動をしています。ここ数年は海外遠征をするほど本格的に登山に取り組み、昨年には心理学を研究するために筑波大学大学院に入学しました。

 そんな彼女に、これまでを振り返ってもらう本連載、太田彩子さんの「キャリアを上って、山に登る」。今回は、「期待に応えること」について伺います。

事業は軌道に乗っていたけれど、大きな危機感があった

 こんなに未熟な私が、果たしてこのままの状態で人材育成やキャリア開発の仕事を続けるなんて、できるのだろうか……。

 30代後半で、そんな危機感に襲われました。30歳で起業して、おかげさまで事業は軌道に乗っていたし、不自由なさそうに見えていたと思います。でも私には、足りないものだらけだった。プロとして、人として、もっと成長しなければいけないと、ずっと悶々としていました。

 そんなとき、ある上場会社から、内部の経営者の一員として働かないかというお話をいただきました。外部から助言するのではなく、現場組織の中に入って経営に携わる経験をすることが、このモヤモヤ状態を解決する一つの答えなんじゃないか。そう信じて、30代後半で自分の会社を休眠し、その会社に入りました。

起業とは違う感覚だった、経営の難しさ

 やってみたら、想像以上に大変だった。自ら起業したことは、私にとって自由過ぎたんです。予定がなければ寝坊をしても怒られないし、休暇も自分で決められる。人間関係のしがらみに悩むこともなければ、自分がやりたいと思ったこともすぐにできる。これが組織だと、当たり前だけどすべてが真逆でした。

 何かをやろうと思っても思いつきで動くのはご法度。ロジカルに企画立てて説明をし、いろいろな人を巻き込んで、さまざまな部署と調整し、動かしていく。実施した後も効果の検証をしなければならない。当然、調整のための時間も拘束され、人間関係にも腐心する。当時は朝4時に起きて子どものお弁当を作り、通勤時間で様々な情報収集をして出勤。そして朝の会議が8時から始まって、その後も予定が盛りだくさん。一時期は100人くらいの組織の責任者も任され、ぐったりでした。今から振り返るととても貴重で有り難い経験なのですが、当時は必死で、狭い視野でしか自分を見れなかったのです。

 それに組織の経営と、自分が立ち上げた小さな会社の経営のスキルはまったく違う。取り組みの一つ一つが組織や社員へどう影響を与えるか、考えた上での発言に気を付けることや、株価への影響をも考慮する発想なども、最初は持てていませんでした。

 自分が好きで起業した時とは違う、組織の中でのできない自分に対する憤り、落胆、失望。せっかく期待して声をかけてもらったのに、何も応えられていない。こうして、私のアイデンティティはガラガラと崩れていきました。30代後半にして、できない自分や貢献できていない自分を責めて、涙が止まらない夜もありました。一方で、土日は自分が運営する「営業部女子課」の活動をしていたし、プライベートでは子どもの大学受験も重なって、忙しくてほとんど眠れない毎日。今から振り返ると、自分自身も無理をしていたのだと感じます。

 できること、できないこと。でこぼこでいい

 そんな申し訳ない気持ちでいっぱいだった私を救ってくれたのは、「できないって言うけど、知らないだけなんじゃない?」という、ある先輩の一言。ある程度大きい会社の経営なんて、言われてみれば、そもそもやったことがないから知らないわけです。だったら学べばいいんだから、教えてくださいって言えばいい。そう教えてもらった言葉で、本当に楽になりました。

 肩書きは上下ではなくて、ただの役割分担なんだということも、組織に入って学んだことです。メンバーの方が高い能力を持っていることはたくさんあります。そういうときは自分が頑張んなきゃって気負うよりも、素直に教わればいい。なんでもできる必要はないんだなって思えるようになりました。 

 それまではずっと歯を食いしばって、頑張んなきゃ! って思っていたんです。でもしょせん一人の力なんて、大したことない。なんてこの人はすごいのだろうと思うような人にもたくさん出会いましたが、なにもその人に勝とうとする必要はない。真似できそうなところを取り入れればいいとも思えるようになりました。

 私は全然負けず嫌いじゃないんですよ。負けてもいいと思っている。しかし、自分の得意分野ではしっかりコミットする。そういうふうに考えられるようになったのは、30代の後半になってからですけどね。みんなそれぞれ違うからこそ、お互いの強みや弱みを掛け合わせてチームを組み成果を出すわけじゃないですか。できること、できないこと。でこぼこな自分も受け入れられるようになりました。

リクルートの営業職として活躍後、2006年株式会社ベレフェクト設立。2009年より、日本最大級の営業女性コミュニティ「営業部女子課」を主宰。専門は働く女性や女性営業職の人材育成・キャリア開発。
2009年に株式会社キャリアデザインセンターに入社。求人広告営業、派遣コーディネーターを経て、働く女性向けウェブマガジンの編集として勤務。約7年同社に勤めたのち、会社を辞めてセブ島、オーストラリアへ。帰国後はフリーランスの編集・ライターとして活動中。主なテーマは、「働く」と「女性」。
1986年週刊朝日グラビア専属カメラマン。1989年フリーランスに。2000年から7年間、作家五木寛之氏の旅に同行した。2017年「歩きながら撮りながら写真のこと語ろう会」WS主催。