単細胞的幸福論のすゝめ 03

いつまで「ふたり」で生きていくのか。私が不妊治療を始め、諦めた理由【後編】

今年の春、「ふたり」から「さんにん」になる。19歳のときに「子どもができない」と医師に言われた。子なしふたりの生活でもいいと思ってた。でも、気づけば「いつまでふたりで生きていくんだろう」と頭を抱える私がいた。そんな気持ちから脱却するために不妊治療をはじめた。でも、夫婦関係は辛くなるだけだった。

●単細胞的幸福論のすゝめ 03

もっと辛くなった「ふたり」の生活

不妊治療に手を出せばすぐに子どもができるものだと思っていた。

友人たちとの飲み会で「不妊治療はじめたんだけど、うまくいけば再来月ぐらいには妊娠するっぽい」と、カルピス片手に浮かれ口調で話した。

すると「え、そんな簡単なもんなの」と皆驚いていた。

そんな彼らの予想は的中。結局不妊治療を1年間続けたが、子どもができる気配はなかった。

もともと年に数回しか生理がこない体質のため、ホルモン剤で無理やり生理を起こし、注射で排卵させる。

投薬や注射によりからだはむくみ、友人からは「なんか太ったよね。やせたほうがいい」なんて言われることもしばしば。

「お願い。今月こそはお願い……」そう強く祈る。そんな夜を過ごした翌朝に限って生理がくるのだ。

「ごめん。生理きちゃった。なんで赤ちゃんできないんだろう」と頭を抱える私。夫は最初は優しく「大丈夫だよ。時間かかるんだよ」となだめてくれたが、それも長くは続かない。時とともに疲れ果てる私を横目に、ただたばこを吸うだけの彼がいた。

大好きだった夫とのセックスも億劫になる。でも、子どもが欲しい。排卵日に合わせたセックス。気づけば私は全く濡れなくなった。

「ごめん、貴方がわるいわけじゃ無いんだよ。もう好きじゃ無いから濡れないんじゃないんだよ。大好きだし、赤ちゃん欲しいんだけど濡れないんだよ。自分でももうわかんないんだよ」と、涙することもあった。

金銭的なことよりも、精神的疲労のほうが強かった。大好きだったたばこもやめたのに。服薬はカラダに良くないと聞いたから、偏頭痛も我慢で乗り越えたのに……。

夫の一言でゼロになる

「ふたりの時間が楽しくないのは意味ないんだよ」と言いだしたのは彼だった。

おっしゃる通りだ。私は彼が好きで、彼との時間が幸せで、そんな風に感じる時間が大切だったからこそ、「夫婦ではなく『ふたり』を歩む」に憧れてたんだ。

「もうお金も時間も全部『楽しい』に使おう」

「車を買おう」「家を買おう」「美味しいものだけ食べよう」

「新婚旅行に行ってないから、行きたいところへ行こう」

苦痛だった彼とのセックスも、幸せな時間に変わった。

不妊治療中の生活と比べ、天と地が逆転するほど楽しい時間がそこにはあった。

その代わり、治療をやめたら生理がこなくなった。不妊治療をやめることは子どもを諦めたってことじゃない。そうわかってても、生理がこないと少し切なくなる。でも、「年に数回の生理はありのままの私なんだよなあ」と、自分を抱きしめ日々を過ごした。

おしり丸出しで過ごした1時間

不妊治療をやめて半年経ったころ、私は中国への一人旅を目前に控えていた。「あー生理こないのはいいんだけど、中国いって生理きたらやだなあ」と思い妊娠検査薬を手に取った。

不妊治療中、子どもがほしいとい気持ちが強すぎて自分にプレッシャーをかけていた。「生理来ないで」って。そのせいか、生理予定日を過ぎて生理がこないときに妊娠検査薬を試し、『陰性』の表示を目にすると生理がくるカラダになっていた。

「はぁ、不妊治療辞めたのにこうやって生理起こすのも切ねえ!」と思いながら検査結果をみる。

結果は『陽性』だった。

狭苦しいトイレのなか、おしり丸出しの状態で一時間ほど思考停止していた。

「なんかよくわかんないけど時空のねじれかな……」と思って、家にあった妊娠検査薬を全部試す。

結果は全部同じだった。

医者に言われた「なんででしょうね」

急いで病院へ行き、妊娠したかもしれないと医者に告げた。
「最終生理はいつですか?」

「3月ぐらいですかね」

「ということは、妊娠4カ月目ぐらいってことですね。ちょっと内診しましょう」

内診すると、小さな小さな袋のようなものがエコーにうつった。

「最終生理3月ってほんとですか?忘れてるとかないですか?」と、医者は困った顔で私に尋ねてくる。「え?もともと生理不順なのでそれぐらい生理こないの普通なんですけど」と返すと、「んーこれサイズでいうと2ヶ月前後なんですよね。んーなんででしょうね」と首をかしげた。
なんだかよくわからないけど、検査薬は嘘じゃなかった。それがわかっただけで正直、十分だった。

19歳のときに「子どもができない」と言われた私を心の中で抱きしめた。「大丈夫だよ、ちゃんと赤ちゃんできたよ。ずっとひとりで不安だったよね。もう大丈夫だから、悲しまないで」って。

お父ちゃん、よろしくたのむわ

気持ちを切り替えて仕事へ行く。「夫になんて伝えよう」。頭の中はそれでいっぱいだった。

仕事帰り、大きな花束を買った。なにも知らず「ただいま」と玄関をあける夫。「お父ちゃんよろしく頼むわ」と花束を渡す。

「なんやねん、どういうこっちゃねん」と言って受け取る。黙って何かに気づいたように立ち尽くし、顔に両手を当てて涙を流した。

「ほんとよかったなあ。それしかないわ」と涙をぬぐって私の大好きな笑顔をみせてくれた。

その笑顔をみたとき、「いつまで『ふたり』なんだろう」と思った自分はもうどこかへ消えていた。

ふたりだからこの幸せな瞬間があって、ふたりだから余計嬉しい。

「夫婦ではなく『ふたり』をかっこよく生きる」。そういう生活をしたいと思ってた。でも、子どもができたからってそこが崩れるわけじゃない。

きっと「さんにん」の生活は、この人と歩む「ふたり」の人生を最高に楽しむために不可欠なのだ。

私が目指す「さんにん」

夫婦の関係はひとつじゃない。子どもがいないと成立しないとか、同じ名字でないとおかしいとか、そういった縛りは一切ないと私は思う。でも、縛り付けてくる人は必ずどこかで出てくる。

友人が双子を産んだとき、祖母から「あんたは2人分負けている」と言われた。今年80歳になる彼女は周囲からそう言われて生きてきたのだろう。悲しいかな、そういう価値観なのだ。

そういう声に負けないためにも、自分で新しい道を切り開かなくてはいけない。

不妊治療をして諦めた夫婦はたくさんいる。同じように成功した夫婦も、私たちのように諦めたのに自然妊娠するパターンも。

でも、そこから何を得て、次にどう進んだのか。話はそこなのではないか。

人生はそう簡単に終わってなんてくれない。だからこそ、私は夫と「ふたり」+αというカタチを目指そうと思う。

続きの記事<私もきっとキミを悲しませた。「元カレ」というモンスター>はこちら

1990年生まれ。保育士、BuzzFeed Japanを経てフリーランスへ。あんぱんと羊羹が好きです。
1990年生まれ、埼玉県出身、東京都在住。 フリーランスフォトグラファー・デザイナーとして雑誌、広告、カタログ、アーティスト写真など幅広く活動。
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