単細胞的幸福論のすゝめ 02

いつまで「ふたり」で生きていくのか。私が不妊治療を始め、諦めた理由【前編】

今年の春、「ふたり」から「さんにん」になる。19歳のときに「子どもができない」と医師に言われた。子なしふたりの生活でもいいと思ってた。でも、気づけば「いつまでふたりで生きていくんだろう」と頭を抱える私がいた。

●単細胞的幸福論のすゝめ 02

「いつまでふたりで生きていくんだろう」。よくこんなことを思った。

歳を重ねるだけで、代わり映えの無い日々。
最初はそれを美しく感じていたんだ。

2人の時間をたしなむかっこよさに憧れていた。
だから結婚するまでに5年かかったとも言える。

夫婦ではなく「ふたり」をかっこよく生きるのに「結婚」は違うと思ってたから。
安直な言い方をすれば「フランスっぽさ」。

夫婦ではなく「ふたり」を歩む。なんてかっこいいんだろう。きっと私たちにもこれがちょうどいい。

でも、同棲が長くなるとある違和感にあたる。
それは「いつまでふたりが続くんだ」だった。

きっと私は不倫する

私は彼に子どもは無理だと伝えていた。
それもあってか、彼も「子どもがいるとしたら……」というような話は避けた。

でも、じゃあ何するの?

一生をこの人と添い遂げたいという気持ちは嘘じゃない。
でも、「あぁきっと私は婚外恋愛をするだろうな」と自然に思ってしまう自分がいた。

子どもの存在はある種の婚外恋愛なんじゃ……。

閉ざされたふたりの世界にとっての光、刺激、新しい切り口。殺伐とした世界の天地をひっくり返す。それがカップルによって違う。子どもなのかペットなのか、婚外恋愛か。

日常のなかに生まれる非日常。全てを捨てさせてしまうほど蜜の味がする不倫。自分の存在意義を夫以外に満たしてもらうのは子どもも不倫相手も同じじゃないか。

離婚家庭で育った私にとって「永遠に続くふたりの生活」という現実は、想像していた「おフランス感」ではなく仄暗い沼地のよう。

あるとき「あ、私このままだと何かダメになる」と、膝から崩れ落ちるような衝撃があった。

「ダメになる」の正体がなんなのか、想像するのは簡単だった。
適当な理由をつけて夫に別れを切り出すか、夫以外のだれかと性的な関係を持って、アブナイ時間を楽しみだすとか。

じゃあ、こういった気持ちの源泉はどこにあるんだろう。少し冷静になって考えると、19歳のときに医者から言われた「きみは子どもができない」という一言にたどり着く。

でも、きっとこれは単なる綺麗ごとで、実際には「夫との生活に飽きた」とか「子どもができないのに続けるセックスの意味ってなんだ」とか、もっと肉欲的で単細胞的理由だったと思う。

だからといって、私は彼との関係を諦める気持ちは一切ない。だって、せっかく手にした美しい鼻をそう簡単に手放すことはできない。

友だちに相談すると「犬とか猫飼うといいよ。家庭内が和むし」と言われるが、私は動物アレルギーなので、ペットを飼うのは現実的ではなかった。

そこで夫に勇気を出し伝えることにした、「どうなるかわかんないけどやっぱり子どもが欲しい。小さい貴方がほしい」と。

彼は笑顔で「いいじゃん」と言ってくれた。嬉しかった。新しい世界を目指すようなワクワクした気持ちになれた。

そんなタイミングで、同じマンションに住む人と不妊治療の話になり、ある病院を勧めてもらった。

もともと生理が年に数回しかこないため、薬を使って生理を起こすところからはじまった。生理が終わったら、今度は卵子の大きさを見ながらセックスするタイミングをはかる。「○月○日に性交渉をしてください。その1週間後に内診します」と言われる。

最初のうちは、不妊治療の工程すべてがおもしろかった。

でも、しだいにそれは、夫婦の時間を苦痛に感じさせるものになっていった。

  

後編:もっと辛くなった「ふたり」の生活

1990年生まれ。保育士、BuzzFeed Japanを経てフリーランスへ。あんぱんと羊羹が好きです。
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