あおぞら学園代表・西間庭美穂さん(41歳)

日本にずっと住んでいたら、アンハッピーで満足できなかったと思います

あおぞら学園代表・西間庭美穂さん(41歳) ボストンの大学を卒業後、ニューヨークで就職、グラフィックデザイナーとして充実した日々を送っていた西間庭美穂さんは、娘の教育を考えて、2012年に「あおぞら学園」を設立した。現在は「天職だった」というグラフィックデザインの仕事を辞め、子どもたちの教育に携わっている。

以前は、会社でグラフィックデザイナーとしてバリバリ働いていました。20代の頃は将来パートナーがいたらいいなとは思っていましたが、子どもを産むとは思いもしなかった。30歳を過ぎて子どもを持ったのは、本能的なものだったのかもしれません。

娘が生まれてからはフリーランスとして働きながら子育てをして、子どもが2歳になったとき、日本語や日本の文化を教えるデイケアセンター(保育施設)を開こうと思いました。私にとって日本語で子どもを育てるのはとても自然なことで、英語だけの地元のデイケアセンターに子どもを預けては、日本語が話せなくなってしまうと思ったからです。

娘が生まれて、物ごとの優先順位が変わりました

2歳以上の子どもを対象としたプリスクール(語学教育を行う保育施設)である「あおぞら学園」を始めてみると、同じ思いの人たちがたくさん集まって来て、場所選びも先生探しもトントン拍子に運び、学園のウエイティングリストは長くなっていきました。今振り返ってみると、いろいろ大変だったんですけど(笑)。自分たちの言語や文化を教えていくことを大事に考えている人が多いんだなあと、肌で感じました。

学園を立ち上げるときは、大きな覚悟を持っていたわけではなかったのですが、始めてみて、もうひとり子どもを産んでしまったというくらいの、ことの重大さに気づきました。

学園をオープンさせたらグラフィックデザインの仕事に戻るつもりでしたが、どんどん学園の仕事にのめり込んでいき、今ではこれが私の仕事。グラフィックデザインの仕事は自分の天職だと思っていたのに、今ではどうでもよくなってしまった……。子どもが生まれて優先順位が変わりました。

仕事と家庭を分けて考えることはしません

夫はスコットランド人ですが、あおぞら学園で日本語や日本文化を教えること対してとても協力的です。彼と私と娘、そして学園の予定をひとつのスケジュール帳で見られるようにしていて、家事も学園のことも、「この日は僕はできないから君がやって」、「この日はベビーシッターに来てもらおう」というように、お互いの予定を調整しながら協力し合っています。夫も学園に子ども達が集まってくるのを見て、しあわせな気分になっているんです。

仕事と家庭のバランスをどう取るか、という考え方はしません。仕事も家庭もひとつのものとして、すべてが繋がっていると思っています。いつも家庭のことを考えているし、学校のことも考えている。私にとっては、仕事と家庭を分けてしまうのは人工的で不自然な感じがするんです。

日本から逃げてきたのかなあと思うことも

将来日本に帰りたいかどうか……。そうですね、帰りたいと思うこともあり、帰りたくないと思うこともあります。でも、日本の会社では働きたくありません。潜在意識の中にそういう気持ちがあるような気がします。日本は女性が働くのも生きていくのも大変だと思います。

ただ、私がこっちに来たのは、日本から逃げて来たのかなあと思うところもあって……。性暴力被害を訴えているジャーナリストの伊藤詩織さん、日本の現状に対して戦うって、なかなかできないこと。せっかく彼女が立ち上がってくれたんだから、私たちには何ができるんだろうと思ったりします。

私の中では、母親になったこととか、詩織さんのこととか、全部繋がっています。子どもたちが40歳くらいになった時に、少しでも世界がよくなっているように、私たちは今、何かやらなくちゃいけないと思うんです。

女性の地位とか、そういう問題が日本の社会問題の根底にあると思います。長時間労働とかも、全部その辺に繋がっていると。そういうところから日本を変えなくちゃいけない。もっともっと声に出していかなくちゃいけない、次のジェネレーションのために。
日本にずっと住んでいたら、今のような考えは持てなかったと思います。日本の中のことしか見えなかったと思う。でも、日本にいたらアンハッピーで満足できなかったと思うので、いつかしら、絶対に日本を出ただろうと思います。

保護者どうしがコミュニティ感覚を共有して、繋がっています

あおぞら学園があるブルックリンは、娘と公園に行ってもいろんな言語が聞こえてくるようなところ。学園の保護者も日本で生まれ育った日本人だけでなく、配偶者が他の国の人もいれば、日本人だけどこちらで生まれ育った人や、アメリカ生活のほうが長い人もたくさんおられます。

子育てはどこに住んでいても大変だと思いますが、ニューヨークは生きていくだけでも大変。だから連帯感がわくのか、子どもを持つ日系人の親たちは協力し合っていますよ。

学園は、以前はお弁当持参だったんですが、保護者の誰かが病気になってお弁当が作れなくなると、他の保護者が交代でお弁当を作ったり、子どもの送り迎えをしたり。ふだんお互いにそんなに親しいわけではなくても、目に見えないコミュニティ感覚で繋がっているところがあります。日本から遠く離れているから、お互いに助け合おうという感覚になれるんでしょうね。

ニューヨーク(ブルックリン)にて

ライター。東京での雑誌などの取材・インタビュー・原稿執筆などの仕事を経て、2000年に仕事と生活の場をニューヨークに移す。