telling, Diary ―私たちの心の中。

体を触って名前を呼んで

なまめかしく妖艶な表現力で性別問わず見る者の目を釘づけにするポールダンスのダンサーであり、注目のブロガー、ライターでもある“まなつ”さん。彼女が問いかけるのは、「フツー」って、「アタリマエ」って、なに? ってこと。 telling,世代のライター、クリエイター、アーティストが綴る「telling, Diary」としてお届けします。

●telling, Diary ―私たちの心の中。

体を触って名前を呼んで

 人の体を触ることがずっと苦手だった
人に触れられるのも、すごく嫌。
パーソナルスペースがとても狭く、半径50cm以内に入ってこられると体が緊張してしまう。
それは私に「虐待されていた過去」があるからなのだと、今はわかる。
人に触られることイコール殴られること、でしかなかった時期の恐怖は、心にこびりついてなかなか取れない。

 初めて人と性的に関わり合った時、自分が何かを完全に諦めているような気持ちになった。
その時の相手は男性だったのだけれど、あなたがこれから私に何をしようと私は受け入れます…みたいな、そんな投げやりな気持ち。
思春期だったし、相手のことを好きだったので多少甘い気持ちもありはしたけど、どうせ私は受け身になるしかない、それならばもうすべてゆだねるしかない、と思った。それが痛みを伴っても。
今までもそうだったのだから、きっとこれからもそうなのだろうと。

 女性とお付き合いするようになって、男性と交わるときよりも自分の気持ちがずっとずっと開いているのを感じた。
それまでは「私の体を使ってあなたが気持ちよくなるのを見ていますよ」という感情しかなかったのに、率直に言えば「性的に興奮している」自分を初めて自覚した。
人の体に触れること、そして触れられることが、限定的ではあるが「許された」気がした。
怯えなくてよい、ただ受け入れるしか選択肢のない行為ではないのだと、光が差した。

 ポールダンスを始める前、何かペアダンスを習おうかと思った時がある。
けれど、youtubeでサルサやラテンダンスの動画を見て、気後れしてやめた。
ペアダンスは常に相手とどこかしらコンタクト、接触しているのが普通だ。
自分にはきっと、向いていない。
そんな風にずっと体に触れていたら、それがきっとただのダンスでも、自分には相当な負担だと思った。
仮に相手が女性でも気を遣ってしまうし、男性だったら体がこわばる。
結局、ポールダンスを選んだのは、一人でできるという以外に「誰の体にも触れない」という利点があったからかもしれない。

 そんな風に人に触れる・触れられることへの緊張、嫌悪を抱えていた私の明確な転機になったのが「コンタクト・インプロビゼーション」だ。
踊っている間ずっと相手の体のどこかに触れていることが基本ルール。
あとは寝転んだり、踊りの体裁を取らない動きでも良い。基本的には全て即興の動きで行われるので、振り付けはない。
また上級者には、リフトという相手を持ち上げるアクロバットな動きで、まるでサーカスのようなパフォーマンスをする人もいる。
友人夫婦がコンタクト・インプロビゼーションを習っていて、すごく楽しそうだったので、ずっと興味を持っていた。
その友人夫婦の先生に幸運にも教わる機会があり、一抹の不安を抱えながらもワークショップへ参加した。

 まず最初は、人と触れ合いながら踊るダンスなので、触れ合う準備をする。
円になって隣の人の足の裏を揉むんだけれどこれ…前戯だ!まるでセックスの準備、って本気で思った。
左右の人の足を揉み、肩を揉み、ちょっとあったまってきたところで少しずつそれっぽいワークに入っていく。

 最初は、目をつぶってポーズを真似ること。
ペアになって一人が目を閉じ、もう一人はなにかポーズをとって、目を閉じた方は相手の身体を触りながらそのポーズがどんな形か探っていって、最終的には同じポーズをとる。
性的な意味でもなく、こんなに開けた場であっても、人に触れることが怖かった。
触っていいんですか?わたしが?あなたに?

 そんな緊張をよそに、次は目をつぶって相手についていくことに。
ペアになって一人が目を閉じ、もう一人は目を開けたまま、背中に手をあててもらい、目を開けてる人が誘導する方向へただついていく。
ただそれだけなんだけど、最初はものすごく不安になる。
目を閉じているからまわりがどうなってるかもわからないし、相手と離れそうで離れない微妙な距離感もドキドキする。
自分が誘導する側だったときは、ちょっとふざけてスピードだしたりしたけれど、いざ自分が誘導される側になったら、相手はこんなに不安だったのか…と心底申し訳ない気持ちになった。

 そして、目をつぶって身体に触れる。
一人が目を閉じ、もう一人が開けた状態でナビゲーターになり、お互いの身体に順番に触れながら室内を自由に動く。
意外なことに、これが一番楽しかった。
緊張が少し、解けたタイミングでもあったかもしれない。
目を閉じたまま相手に触れる、触れられる、その繰り返しの中で、まるで自分の身体が自分のものじゃなくなっていくように感じた。
相手との一体感を感じ、個の生命体としての感覚が薄らいでいき、ペアの相手とひとつになったかのように感じられる。
最初、コンタクトインプロをセックスになぞらえたけど、セックスの比じゃねーな、ってこの辺から思い始めた。
初対面の相手にすべてを委ねて動きを投げ出してもいい安心感。
この辺で「あ、泣きそう」って思ったけど我に返ったり、また相手に没入したりを繰り返して意識がふわふわしていた。
もしかしたらセックスのとき電気を消してほしい人は、こんな気持ちなのかもしれないと思った。
暗い、というか、視界がなくなることは相手への没入感をより高められるのかもしれない。
ひとつになりたい、個であることを忘れたい、という欲求が強い人ほどそうなのかもしれない。

 受動と能動を割り振ったワークも面白かった。
ペアで役割を決め、二人とも目を開けた状態で、先導して動いていく側とその動きについていく側になる。
これは人によって動き方、動かされ方が違って面白かった。
ラテンダンスのリードのように誘導するのが上手な人も入れば、ちょっとモタつくひともいたり。

 ワークショップが終わった後、心地よい疲労と不思議な開放感を感じていた。
本当は人に触れたかったし、労わりたかったし、大切にしたかった。
だけど今まで、そのやり方がわからなかったのかもしれないと思った。
自分の体は自分だけのもので、殻に閉じこもって必死に守らなければならないと思っていたのに、肉体がなくなったような感覚を味わったことでその殻が消え去った気がした。

 今でもいきなり人に触られることは、少し苦手だ。
あまりにボディタッチの多いタイプの人には、性別を問わず身構えてしまうことがある。
それでも、握手やハグをする機会は格段に増えた。そこに嫌悪は、もうない。
私の体はとても大切なものであり、あなたの体のもそうなのだと、心で理解したからなのだと思う。
他人は私に危害を加える存在ではない。
中にはそういう人もいるかもしれないが、もっと信じていいのだと思えるようになった。

 体を触って名前を呼んで、自分も相手も慈しむことを忘れずにいたい。
死ぬまで肉体に縛られる存在として、そう生きる方がきっと、楽しい気がするから。

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ポールダンサー・文筆家。水商売をするレズビアンで機能不全家庭に生まれ育つ、 という数え役満みたいな人生を送りながらもどうにか生き延びて毎日飯を食っているアラサー。 この世はノールール・バーリトゥードで他人を気にせず楽しく生きるがモットー。
まなつ