「不妊治療は妻主導でいい」不妊治療に取り組む夫の本音
●男の不妊治療体験③
ヤスノリさんは1年前、勤めていた大手出版社を辞め、フリーの編集者となったばかり。妻は8歳年下の34歳。飲食店チェーンの正社員として、接客や店舗の管理の業務を忙しくこなしています。
妻の言葉がきっかけで、クリニックへ
2人が結婚したのは3年前のこと。夫婦ともに子どもが欲しいと思い、とくに避妊などはしてきませんでしたが、なかなか授からないまま年月が過ぎていきました。市販の検査薬などで排卵日を予測して〝狙い撃ち〟する我流のタイミング法を数カ月間試してみましたが、やはり結果は出ない。不妊治療を始めたのは、妻の言葉がきっかけでした。
「1年くらい前、妊娠の準備として、おたふく風邪やはしかの予防接種ができているかを調べていたんですが、その流れで、『とりあえずお互いの精子と卵子を検査しよう』という話になったんです。
妻は不妊治療で子どもを授かった友達の話も聞いていたそうで、ネットで病院を検索して、『こういうのがあるから行ってみようよ』と提案してきた。確かに、仮にいま授かっても、子どもが成人する頃に自分は63歳。子どもができるなら早いほうがいい。ひとまず、検査だけでもしてみようと思いました」
クリニックで待合所に列をなす男性たち
夫妻は、それぞれ別のクリニックで検査を受けました。ヤスノリさんが訪れたのは、妻がネットで見つけた東京都内のターミナル駅近くのオフィスビルに入居するメンズクリニック。最先端の技術で薄毛やEDの治療にも対応することをうたっており、内装も小ぎれい。30代後半~40代とおぼしき男性たちが待合所に列をなしていました。
「プライバシーに配慮しているのか、『○番さん、お入りください』と、番号で呼ばれました。診察室では中年男性の医師が透明のビニール手袋をキュキュっと装着して、睾丸の『触診』とエコー検査が始まった。日に何十人も同じ流れで診ているのでしょう、慣れたものです。『大きさ、精子の通り道は問題ないですね』と言われ、なんだかホッとした。それが終わると、4畳くらいの個室で精子の採取。DVDや成人向け雑誌が各ジャンルそろえられていて、制限時間は1時間。ただ、こういう場だと緊張もするし、〝採取〟にはけっこう、苦労しました」
検査結果は…
1週間後、精子検査の結果を聞きにいきました。1ミリリットルの精子中に1500万個ほどの精子がいるのが自然妊娠の最低条件とのことでしたが、ヤスノリさんの精子には1ミリリットル中に1億5千万個の精子が観測され、6割以上が元気に動いていました。いくつかの主要な指標はすべてクリア、という結果でした。
「思わず、口もとがニヤリとしてくるのを我慢しているのを、医師に悟られまいと必死でした。この結果、自分に猛烈に自信がわいてくるというか…不思議なものですね。メンズクリニックだから高額な治療とか勧められるのを警戒していましたが、『あなたは大丈夫なんで、もういいです』とい感じ。妻のほうも問題はなかったのですが、検査もやったし自然な流れとして、『やっぱり子どもをつくるなら早いほうがいい。じゃあ、不妊治療を始めましょうか』という話になりました」
今回も、妻が友人からの口コミやネット上の情報などで収集した情報をもとに、不妊治療の成果に定評がある老舗の産婦人科をチョイスしました。自宅から近く、仕事に向かう途中で通院できる、というのも決め手だったそうです。治療を始めて、まず始まったのはタイミング法。病院で排卵日の検査をして、ピンポイントで〝子づくり〟の日を指定されました。
指定された日に“する”ことへの男性の思い
「人によっては『指定された日に合わせてするのは難しい』という話も聞くけど、僕からしたら、特に苦労はなかったですね。もともと、指定されそうな週には飲み会などの予定を入れないようにしていましたから。タバコは良くないとか、強精剤飲まなきゃとか色々夫婦で話しましたが、精子の検査結果も良かったので、結局、特別な努力はしていません。電子タバコに変えたくらいですかね。それで、半年くらいタイミング法を続けたけど、やっぱり自然妊娠はできなかった。妻は飲食店で管理や接客をしていて朝から晩まで立ち仕事だから、体力も消耗するしストレスもあるんでしょうね」
ヤスノリさん夫妻の場合、妻は職場の上司に不妊治療をしていることを知らせていた。『最後まで職場に言えなかった』というトオルさんの例とは対照的です。
「病院に行くのはどうしても平日の朝が多くなる。予約をとっていても、結局、診療を受けるまで1~2時間待たされ、治療が終わったらお昼前ということもざらにある。妻は上司に事情を言ってその都度、午前休をもらう他に選択肢がなかったですね。幸い、職場は理解してくれているようですよ」
やはり、タイミング法ではなかなか結果は出ない。ヤスノリさん夫妻は、人工授精へと駒を進めることに決めました。
これまでタイミング法で〝狙い撃ち〟を指定されていた日に、今度は朝9時から夫婦で病院に向かいます。妻が診断を受けて体の状態を確認された後、ヤスノリさんは個室で精子を採取した後、仕事へ直行。妻はそのまま病院に残って、体に精子を注入します。そんな治療を3~4回繰り返しました。
「小部屋の〝採取〟は気持ちの切り替えが難しいところはありますが、慣れればどうということはなかったですね。もともと、自然妊娠で授かるのが理想という考え方はありましたけど、そうも言っていられない。ここまでの治療は妻が主導して、『タイミング法ではなかなか結果出ないし、来月から人工授精やろうと思ってるから』とか、方針を決めてくる。自分は『わかった』というだけです。結局、不妊治療は妻の体調や気持ち次第のところがあるので、自分がせかしてもしょうがない。いつ治療をステップアップさせるか、どんな治療の手段をチョイスするかは、妻主導でいいんだと思っています」
金銭面での不安は?
今後は体外受精へと駒を進める予定だといいます。ヤスノリさんは1年前に勤めていた職場をやめてフリーになったばかり。金銭面で不安はないのでしょうか。
「人工授精は1回5万円くらいでしたが、これから体外受精へとステップアップすると、1回目は卵子の採取も合わせて50万円くらい。その後、2回目以降は冷凍保存した卵子を使うので1回20万円くらいと説明をうけました。安くはないですが、ちょうど会社をやめて世帯収入が下がっているので、都や区の補助金が受けられそうです。あと、妻が今からでも入れる不妊治療の保険をみつけてきてくれたので、加入しようと思っています。もちろん妻の体が優先ですが、子どもができるまで、治療を続けようと思っています」
治療はあくまで「妻主導」でいいというヤスノリさん。マイペースで治療に取り組む姿に、悲壮感はありませんでした。
人生を賭けた一大事である不妊治療。女性だけでなく、男性にとっても千差万別、人それぞれのストーリーがあることがわかってきました。
(次回に続く)
パートナーとの関係、子どものこと、不妊治療……。これってタブーなのかな? 言っちゃいけないのかな?そんな気持ちで悩んでいる方、telling,までご意見をお寄せください。
https://telling.asahi.com/request