変化を楽しむ

なまめかしく妖艶な表現力で性別問わず見る者の目を釘づけにするポールダンスのダンサーであり、注目のブロガー、ライターでもある“まなつ”さん。彼女が問いかけるのは、「フツー」って、「アタリマエ」って、なに? ってこと。

●telling, Diary ―私たちの心の中。

変化を楽しむ

 14のとき、女の子を好きになった。
恋という気持ちすらよくわかっていなかった中学時代。
ティーンエージャーの女子同士が当たり前にするハグや手をつなぐことが、私には冗談に思えなかった。

 体を触られて、相手の体に触れて、ドキドキしている自分に戸惑った。
人を好きになることは、いずれ性欲と結びつく。その子に情欲を抱く自分を気持ち悪いと思った。
はにかんだ笑顔がかわいい、小柄な女の子。それが私の初恋。

 17のとき、初めての彼氏ができた。
背中がたくましい人だった。ギターを弾く姿がかっこよかった。

 でも、好きになったきっかけはもっと違うところだったと思う。
少しシャイで、二人きりになっても適切な距離を保ってくれる。
人と人の間にあるちょうどよい距離感をわかっている人だった。
決して無理やり何かをしたりしないし、一つひとつの行いが丁寧。

 同い年のほかの男の子とは違った、落ち着いた雰囲気にひかれていた。

 22のとき、結婚したいと思う彼がいた。
それまで、結婚したいなんて思ったことがなかった。夢物語だと思っていた。
自分が複雑な家庭で生まれ育ったことも一つの原因だったと思う。
結婚なんて、するもんじゃない。結婚しても幸せにはなれない。そう思い込んでいた。
そんな思い込みが、優しく思慮深い彼と出会ったことで、ゆっくりとほどけていった。
もしかしたら、目の前にいるこの人となら、子どもを産んで幸せな家庭を築けるかもしれない。

 男と女として、当たり前の「しあわせな人生」を私でも歩めるのかもしれないと、期待した。
実の父親と疎遠だった私は、男の人に甘えることを知らなかった。彼は私を、思う存分甘やかしてくれた。

 余りあるくらい与えてくれたその優しさを、当たり前のものだと思ったせいで、別れてしまった。
ちょうだい、ちょうだい、もっと優しくして、かまって、愛してよ、と要求する私は父親に甘える子どもでしかなかった。
あの時、お互いに与え合うことが愛だと知っていたら、と思い返すと、胸が痛い。

 25のとき、彼女とうまくいっていなかった。
私の仕事は遠出をすることが多く、家に1週間戻らないこともざらにある。
会えない分は電話やメールでコミュニケーションを取っていたけれど、互いに寂しかったのだと思う。

 会える時はその時間をとても大切にしていた。けれど、彼女にはきっと全然足りなかった。
浮気をしているな、と気づいていたけど、言えなかった。
なかなか会えなくて寂しい思いをさせた自分がいけないのだ、となぜか自分を責めていた。
久しぶりに会った日、彼女の奇麗な長い髪を手でとかしながら、のど元までくる「浮気してるよね」というセリフをのみ込んだ。

 もしかしたらそれはもう、「浮気」ではないかもしれないから、怖くて言えなかった。
ある日、決定的な瞬間に遭遇しても、彼女を責めたり怒ったりする気持ちになれない自分がいた。

 ごめんね、寂しい思いをさせて。ごめんね、ごめんねと、浮気をされた方の私がしきりに謝っていた。
自責の念にずっと駆られ続けるなんて、健全な関係じゃない。全然、自分らしくいられない。
愛していたけど、彼女を最優先にはできないくらい、仕事や自分のことで精いっぱいだった。

 今、私には妻がいる。心の底から信頼し愛している、大切な人。
互いに尊重し合うことのできる、落ち着いた関係。妻に出会えて、本当に幸運だったと思う。

 14で女の子に恋をし、17で初めての彼氏ができて、22の時に男の人と結婚したいと思い、25の時は彼女に浮気をされた。
気の向くままに色々な場所へ赴き、自分の気持ちに正直に生きてきた。
そんな私が、男性とも女性とも付き合った結果、やっぱり女性と暮らしていく人生を送りたいと思った。

 変化を受け入れ続けたからこそ、自分が本当に送りたいライフスタイルを見いだせたのだと思っている。

 こんな風に、好きになる相手の性別がその時々で変わることには名前がある。
「セクシュアル・フルイディティ」、日本語に訳すと性の流動性。

 誰を好きになるか = 性的指向、そして、自分とは何者であるか = 性自認は、変化する可能性のあるものだということ。
私たちは、変化し続けている。今この瞬間も。
止まっている時間は、一瞬たりともない。

 これから先、何が起きるかはわからない。
私は妻のことを愛してるし、これからも一緒にいたいと思っている。ずっとそうだったらいいな、とも。
一秒ごとに変化していく森羅万象の中で、二人で生きていく時間がより面白く、刺激的に変わっていくのを楽しむ。

 この世に変わらないことなんて、何一つないのだから。だったら、楽しいほうがいい。
人生は変化する。それはまるで海みたいだと思う。
凪の日は静かに眺めるのもいいし、大荒れになった時はサーフボードを持って突っ込みたい。
晴れの日も雨の日も、ちっちゃいことで笑える自分でいたい。日々変わっていく自分を、心地よく思う。

 日々のちいさなことにこそ、変化の面白さはつまっている。
楽しむ、ということは一つの高等技術なのかもしれない。人生を面白くするライフハック。
その技術を身に付けたい場合は、花が咲いたとか髪を切ったとか、まずはお手元の些細なことからぜひ。

続きの記事<木を育てる>はこちら

ポールダンサー・文筆家。水商売をするレズビアンで機能不全家庭に生まれ育つ、 という数え役満みたいな人生を送りながらもどうにか生き延びて毎日飯を食っているアラサー。 この世はノールール・バーリトゥードで他人を気にせず楽しく生きるがモットー。
まなつ