食事制限で苦しんできたからこそ、食で人々を幸せにしたい。
ホテルでシェフの仕事をしています。鉄板焼きのお店なので、お客さんの前で肉や魚介類を焼き、接客する仕事をしています。それと同時に、NPO法人や学校で、子どもたちに食事を提供するボランティアをしています。
子どもに食事を作っていると、自分自身がとても満たされます。
私は学生の頃バレエにのめり込んで、極端な食事制限をしていたんです。満足に食事を取っていなくて。
バレエにのめり込み過ぎて極端な食事制限をしていた
7歳からバレエを始めて、上手くなりたくて毎日、何時間も練習ばかりしていました。先生からの指導とバレエの友人の影響から、13、4歳くらいになると徐々に食事のことを気にするようになりました。ちょっとでも体重が増えたり、おなかがからっぽの状態じゃないと、バレエの動きに支障がでてしまう。それがいやで、食べ物を食べる量を極端に減らしてしまったんです。
1日に食べるものといえば、チョコチップメロンパン1個、リボビタンDを飲むだけ。そんな生活を何年も続けていました。常に減量しなくちゃいけない。体重は40キロ以下じゃないといけない。週6日バレエのレッスンがあり、その日はほとんどなにも食べない。週一回バレエのレッスンが休みなんですが、その日だけ食べ物を食べる。ずっとそんな生活をしていました。
頭ではわかっていたけど、バレエをあきらめきれない
当然、親は気にして無理にでも私に食べさせようとしました。でも、バレエに影響があると思うと食べられなくて。成長期に不摂生な食生活をしていたら、当然体調が悪くなりますよね。ずっとふらふらで、よく倒れたりもしていました。
バレエでは、16、17歳くらいからバレリーナとして舞台に立てる人が選別されていくんです。私は、骨格の問題からバレリーナにはなれないと先生から言われました……。骨盤の形による脚の向き、甲が低いなどの問題は、シルエットに支障が出ます。骨格の問題は、バレリーナとしては致命的。
頭ではわかっていたのですが、でも、あきらめきれなくて。それでもどうにかなるのではないかと思って毎日練習し、舞台に立っていました。太いか細いかではなく、太ければ痩せればいいだけ。でも、骨格はどうしようもない。
「自分は、バレリーナとしてはやっていけない」。
23歳の時、ようやくバレエにけじめをつけたんですが、事実を受けとめ、何か新しい夢を見つけなければという思いで5年間苦しみました。
本当に食事を提供したいのは、成長期の子どもたち
バレエに熱中し過ぎて、満足に食事をとれなかった。その夢が破れ、しばらくして見つけたのが食の仕事でした。学生の頃、食べたいものもがまんして、ひたすらバレエに打ち込んできた日々。だからこそ食と関わる仕事がしたいと感じたんです。
食事の楽しさを知り、独学で料理の道を目指しました。西洋料理の店で何店舗か修業をしたのですが、現職である今のホテルで、料理長から鉄板焼きをやってみないかとお話をいただいて。それからずっと鉄板焼店のシェフとして働いています。
30歳を過ぎて、私が本当に食事を提供したいのは、子どもなのかもしれないと思うようになりました。子どもが好きで、なにか子どもと関われる仕事ができたらと思っていたのですが、当時はなにをしたらいいかわからなくて。
知り合いになった人に「子どもと関わる仕事をしたい」と話し、その縁が広がり、子どもたちに食事を提供する活動を始めたんです。
今やっている鉄板焼きの仕事では、これまでは知りえなかったことをたくさん経験しました。これからも多くのことを学びたいです。子どもたちに食事を提供することは、私の生涯をかけての夢です。将来は、「こども食堂」のように、子どもたちに低価格で安心で栄養価の高い食事を提供するスペースを作りたいと思っています。
最近、またバレエを始め、仕事がない日はレッスンに通っています。プロにはなれませんでしたが、私はやっぱり心の底からバレエが大好きです。
新宿にて
※秀和システムから自身初の著書
『お客様の心をつかむ 魔法のほめ言葉事典』(仮)を出版予定
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