本という贅沢149

さとゆみ#149 読んだのが今じゃなかったら、道を踏み外していたかもしれない。瀬戸内寂聴さんの『花芯』にどうしようもなく惹かれる

隔週水曜日にお送りするコラム「本という贅沢」。今回は先日、他界した瀬戸内寂聴さんの“物議を醸した”1冊を、多大な影響を受けてきたという書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。
さとゆみ#148 「どこで」「誰と」「何をするのか」。一番大事なのはどれ……?『どこでもオフィスの時代』

●本という贅沢149『花芯』(瀬戸内寂聴/講談社文庫)

よく、「うまい酒は旅をしない」と言う。ビールでもウィスキーでも、そのお酒が生まれた土地で飲むのが、一番美味しいという意味合いみたい。

本にも、そういうところがあるような気がする。
「発売された時代に読む」ことに勝る体験はないように思うし、とくに気鋭の作家の作品は、時代の空気を肴にしながら読むのが、一番美味しい読み方だと思うのです。

だから、新作を心待ちにできる同時代の作家がいたら、その人の人生は幸せだと思う。そして、同時代の作家に惚れ込んだら、そうじゃない時代の作家を読むよりも、人生への影響力は大きくなると思う。

瀬戸内寂聴さんの作品に出会ったのは中学生の時で、初めて読んだのは『女人源氏物語』だった。

寂聴さんは当時すでに出家されていて、テレビなんかにもよく出ていた。
「へええ、仏門に入りながら小説書いている方なんだ。なんて、かっこいい!」と思った私は、中学の進路指導で書く「将来就きたい職業」の欄に、しごく真面目に「尼」と書いて、職員室がちょっとした騒動になったと後から聞いた。

私がなりたいと思ったのは、「尼」ではなく「瀬戸内寂聴さんみたいな女性」だったのだろうけれど、当時はそのあたりの違いがまだよくわかっていなくて、寂聴さんの弟子(?)になりたいとぼんやり考えていた中学生であったのだ。

いま考えると、中学生のときで、よかったと思う。

もしも私、瀬戸内寂聴さんの小説を同時代に読める環境にいたら(たとえば『花芯』が発売になった1957年頃に、この本をリアルタイムで読んでいたら)、きっと信じられないくらい影響を受けちゃっていたと思う。
おそらく、勇気をもらいすぎて、激しく道を踏み外していたであろうと思う。
道を踏み外すっていったいなんだよ、ってことだけれど、多分、「そっか、本能のままに生きていいんじゃん!」ってなって、今以上に、いろんな人を振り回したような気がする。

いや、同時代じゃなくても、十分すぎるくらい影響されて今、くらくらしてる。

今回、寂聴さんの訃報に触れ、『花芯』を読んで思ったのは、「あー、こんな人生送りたかったなあー」ということだった。
「きみという女は、からだじゅうのホックが外れている感じだ」と評される主人公の女性を、心の底から羨ましいなって思ってしまった、よね。

私の人生のどこの時点まで戻れば、こんなふうに恋や愛や性にどっぷり身を浸して生きていけただろう? と、これまでを振り返ったりもした。そして一瞬、「あ、そうか。いまからでも全然遅くないか」と、思ったりもした。
いやはや、あぶないあぶない。麻薬のような本だ。

いや、そもそも、あぶないなんて思わなくてもいいのか? ブレーキなんかかけずに、死ぬまで女を楽しめばよいのだろうか。
なんか、ちょっとよく、わからなくなってくる。
それくらい文章が濃密で、言葉が触手のようにのびてきて、全身をまさぐられたような感覚になる。

ちなみに『花芯』とは、中国語で「子宮」という意味だ。

これは、大人になるまで知らなかったことで、大人になって一番驚いたことなのだけれど、10代のころに“おばちゃん”だと思っていた30代後半や40代の女性、いやいや、もっと上の世代の女性たちにも、「恋愛」や「性愛」は、ちゃんと、ある。
私もいっそく飛びに40代になったわけじゃないから、徐々にそれを受け入れていったけれど、ああいうのは、歳をとったからといって消滅するものじゃない。
熟女も老女も女なのである。

『花芯』で描かれるのは若い恋だけではない。40代、50代、いや70代の女性も登場する。一生を通して逃れられない女性の性(さが)が描かれていて、「うわ、そうか。まだまだこういう激情にかられる瞬間が、この先にもありえるのか」って、怖いような覗いてみたいような、なんだかむずむずした気持ちになったよね。

これを35歳で書いた寂聴さんって、いったいどこまで見通していたんだろう。
そして、これを1957年に発表した寂聴さんって、どれだけ周囲を慌てさせただろう。
事実、『花芯』の赤裸々すぎる表現に「子宮作家」とレッテルを貼られ、5年もの間、文壇から干されていたのだ。

寂聴さんの墓碑には
「愛した、書いた、祈った」
と刻まれるらしい。

そういえば、彼女が「『性』を主題に小説を書いたことは一度もない。私が書いているのは『人間』で、『性』は人間のひとつの特性である」と発言をされていたのを覚えている。彼女が書いていたのは、一貫して人間の話で、それは畢竟、愛の話だったのだなと思う。

彼女の作品を同時代で読んでみたかった。
でも、今、ちょうど彼女の作品を読むのに適した年齢になったのかもしれない、とも思う。

次は、『夏の終り』を読もうと思います。
影響受けすぎて、私、これからブレイクしちゃったら、どうしよう。

それではまた、水曜日に。

 

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さとゆみ#148 「どこで」「誰と」「何をするのか」。一番大事なのはどれ……?『どこでもオフィスの時代』
ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。