telling, Diary ―私たちの心の中。

セルゲイ・ポルーニンの問題発言から考える「嫌悪」を無くす方法

なまめかしく妖艶な表現力で性別問わず見る者の目を釘づけにするポールダンスのダンサーであり、注目のブロガー、ライターでもある“まなつ”さん。彼女が問いかけるのは、「フツー」って、「アタリマエ」って、なに? ってこと。 telling,世代のライター、クリエイター、アーティストが綴る「telling, Diary」としてお届けします。

完璧を求められる世界で戦い続けてきた

鎮痛剤、心臓の薬、滋養強壮剤……踊る前にそれらを飲むのが彼の日常。
「すごく効くんだ、踊ったことも忘れるくらい」
舞台袖で軽くジャンプを繰り返し、颯爽とステージへ飛び出していく。ミスは許されない、完璧を求められる世界で、彼は幼い頃から戦い続けてきた。

セルゲイ・ポルーニンは、英国ロイヤルバレエ団における史上最年少プリンシパルに起用されたことで一躍有名となった。
そんな彼のことを知ったのは、ダンサーの友人に勧められて、映画「セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」を見たから。
彼が引退を心に決めて撮った作品「Take Me to Church」でのダンスは神がかった迫力があり、美しくて何度見ても涙が出る。
並べるのは気がひけるしジャンルも違うけど、同じダンサーとして共感するところも、あまりに超越しすぎていて深く尊敬するところも多々あった。

同性愛嫌悪を表明するSNSを投稿

劇中でも語られているけど、彼は若くして大役を背負うことへのプレッシャーで問題行動をたくさん起こしていたそうだ。薬物、酒、乱痴気騒ぎ……。「バレエ界のワンダーボーイ」と呼ばれていることは知っていた。
それでも、「ウクライナ出身の世界的な男性バレエダンサー、セルゲイ・ポルーニンが男女の役割固定を支持する内容をSNSに投稿」「同性愛嫌悪を表明」というツイートを見かけたときは、我が目を疑った。
世界中から批判の嵐で、ついにはこれを問題視したパリ・オペラ座がポルーニンの出演をキャンセルする事態にまで発展した。
同時に、ネット上でも彼への批判が相次いでいる様子が伺えた。がっかりした、もうファンをやめる、素晴らしかった彼はいなくなった、というコメントの数々。

私たちは彼を責めるべきか

私たち、つまりセルゲイのダンスを見て彼を好ましく思ったり、ファンであると自認する人々は彼を糾弾すべきだろうか。
私自身は、これをただ手放しで批判するべきではないと考えている。
同性愛者であり女である私は、彼を批判し、がっかりしたからファンでなくなったと表明すべきなんだろうか。
確かにがっかりしたし、悲しく思った。
しかし、だからこそ、今の彼にはサポートが必要なのではないか。

彼のドキュメンタリーを見ると、ヘイトの裏側にあるのは深い悲しみであるかもしれないと思わされるシーンがいくつもあった。
英国留学を実現させるために、家族は別々の国へ出稼ぎに行き、バラバラになった。両親は離婚した。セルゲイは何年も家族と会うことができず、ただバレエをするしかない10代を過ごしている。
素晴らしい才能ともてはやされ、素晴らしいポジションを与えられても、真に欲しいものは家族の愛と安らぎだった。どんなに人に羨まれても、満たされることはない。

人を変えることはできない

ヘイト発言は人を殺すものだ。人はヘイトによって迫害され、死んでしまう。
ヘイト発言は許してはいけないことだと思う。その考えが揺らぐことはない。
だけれどそれを理由に、ヘイト発言をした人から遠く離れ、無視することは違うと思った。
そのような人を突き放すことは、決してヘイトをなくすことには繋がらない。
こんな時こそ彼のような人を、孤独にさせてはいけないのではないだろうか。
皆が彼を糾弾したり、個々が彼を罰することに意味はないと思う。

彼はもう素晴らしい舞台に立てなかったという、大きな罰を与えられている。
誰にも、何かをジャッジする権利などない。
ここから先、彼のファンである私ができることは注意深く見守り、語り続けること。
人を変えることはできない。自分が変わるしかない。
もしかしたらあなたは私のような人を嫌いかもしれない。私には男女の役割固定なんて理解できないし、そういうのに囚われずに生きていく。
それでも私はやっぱりあなたが好きだし、あなたのダンスは応援したい。
ヘイトをなくすことができる手段があるとしたら、それは嫌悪を表す人々を許すことだと思う。
許しあうことでしか、憎しみはなくならない。

不完全な存在としてこの世に生まれた。神は人類のために原罪を負ってくれたと言われているけど、生きる上での苦痛は続く。そんな中に一筋の光が見えるとしたら、私たちは、許すことができる。許しあえる。きっとそうだと私は信じている。

世界中の人が許しあうことができれば

ドキュメンタリーの終盤で、セルゲイはプロになって初めて、自身の祖母と両親を劇場へ招待する。今までは、皆で暮らすことができなかった怒りで、決して家族を呼ばなかった。
楽屋に招かれたセルゲイの祖母がすがるように「許してね」と言ったことがとても印象深かった。それに対するセルゲイの返答は「許すって何を?」だった。心底、嬉しそうな顔で。優しくハグをしながら。
セルゲイ、もしも世界中の人が許しあうことができれば、あなたの孤独も癒えるのかもしれない。
あなたの発言は酷かった。あなたのダンスは素晴らしい。
そして、どうか忘れないで。
いつも誰かがあなたのことを尊く思い、サポートしたいと思っていることを。

ポールダンサー・文筆家。水商売をするレズビアンで機能不全家庭に生まれ育つ、 という数え役満みたいな人生を送りながらもどうにか生き延びて毎日飯を食っているアラサー。 この世はノールール・バーリトゥードで他人を気にせず楽しく生きるがモットー。
まなつ