姫乃たま「2019年、地下アイドルを卒業します」
「地下アイドルの代表」として生きてきて
これまで10年間、地下アイドルをやってきました。「地下アイドルの代表」としてマスメディアに取り上げられたこともありました。
でも、ここ数年は地下アイドルらしい活動はしていないんです。ライブの10本中2本しか歌を歌っていないし、トークライブなどが多くなってきて。だから肩身が狭くなってきたのもあって、卒業することにしました。
そもそも地下アイドルって何かと言うと、主にライブハウスで歌う、ファンとの距離が近いアイドルのこと。メディアへの露出よりも、ライブに専念することが特徴で、終演後にグッズを販売したり、1枚500円くらいでチェキ(撮った写真がその場で出てくるインスタントカメラ)を撮って握手することが主な仕事です。
地下アイドルは、いわゆる文化系の女の子が多いように思います。スクールカーストも真ん中くらいの、あくまで普通の女の子。
私の場合は、女の子の中心的存在、というわけではなくて、自然と人とずれてしまうこと多かった。中学校の入学式で新入生代表としてスピーチをしたんです。そのせいで先輩に目をつけられて、中学時代はずっといじめられていました。
デビューは、冗談を真に受けてライブに出たのがきっかけ
高校生になってからは仲のいい友達が出来ました。その中の一人に、「アイドルのライブでDJするから来ない?」って誘われたんです。
当時、アイドルといえばモーニング娘。しか知らなかった私が想像していた“アイドル”とは全然違っていました。ライブハウスにはアングラなポスターがたくさん貼ってあって、お客さんはまばら。ステージでは普通の女の子が一人でperfumeをカバーしてたんですよ。
入場するときはすごくおとなしかったサラリーマンの人が、ネクタイを頭に巻いて、椅子を振り上げてオタ芸をしていた姿は、今でも忘れられません。中学のときにいじめられて悩んでいた自分が小さく思えたというか、「世界は広いな」って心の底から思えたんですよね。
このとき、「ライブ出てみる?」って冗談で誘われたのを真に受けて、後日ライブに出たのが、地下アイドルとしての活動の始まりでした。
学業、月15本以上のライブ、雇われ店長…働き過ぎた高校時代
それから、だいたい平均で月に15本、多い時は20本のライブをこなしていました。 求められたらやりたいっていう意識が強くて、来る仕事はほぼ全部受けていました。
朝6時半に起きて、衣装を着たまま学校に行って、放課後すぐにライブして、日付が変わる頃に帰宅してから学校の課題をやって、次のライブの準備をして……。ライブがない日は代わりにメイド喫茶の店長としてアルバイトをしていて、もう、完全に働きすぎていました。お金のためじゃない。必要とされている人の期待に応えるのに、必死でした。
ある日、突然ベッドから起き上がれなくなった
推薦でなんとなく大学進学も決めて、高校卒業を控えたある日、突然ベッドから起き上がれなくなりました。病院に行くと、「鬱病。過労と人間関係のトラブルが原因です」と診断されました。
今考えれば、苦手な人の仕事も、「面白い仕事につながるかも」と受けて、寝る暇もなくて、無意識のうちにものすごく無理をしてた。それ以来、精神的な負担になっている人との連絡は絶ち、仕事も断るようにして、自分に心地のいい“磁場”を形成するようにしました。今は、忙しさは変わらずとも、精神的に安定した状態で仕事に臨めるようになりました。
地下アイドルを卒業した先にあるもの
アイドルはすぐ辞めるつもりだったけれど、結局10年。大学では友達が一人もできず、気づいたら就活も終わっていて。そんな、社会的にはちょっと不適合な私でも、本を出せたり、自立して食べていけるくらいの収入を、ライターやアーティストや司会などの「姫乃たま」としての活動で得ることができるようになりました。
今はサブカルチャーに興味があります。90年代サブカルチャー的な感覚を大事にしたくて。私、漫画家の根本敬さん(※編集部注:ガロ系、過激な作風の漫画家)みたいになりたいんです。
私は生きているといつもどこかで外れてしまいます。いまは地下アイドルの枠からも外れてしまって、来春にはその看板も下ろすんですけど、その後も「外れてしまったもの」の面白さを見出しながら、そんな私も面白がってもらえるような場所にいたいと思います。人生は、続いていくので。