【telling,傑作選】「仲良しグループ」コンプレックスから抜け出せない
●telling, Diary ―私たちの心の中。
「なかよしグループ」コンプレックスから抜け出せない
私は、「なかよしグループ」コンプレックスから抜け出せない。
子どものころ。せいぜい30人か、もう少し多いくらいの子どもが同じ部屋に、同じクラスとして所属させられていた。今はそれくらいのことは言えるけど、あのころの私にとっては、そこが世界のすべてだった。
そのせいぜい30人か、もう少し多いくらいの子どもたちの世界には、小さな世界なりにいくつかのコミュニティが形成される。
おしゃれや恋愛に興味津々の子たちは、上位層。前のほうでひっそりとしているのはオタクと呼ばれる子たちで、あとは、なんとなく同じにおいを感じて集まっている子たちのグループが、いくつか。
私は何回進級しても、何回クラスが変わっても、どこにも入れなかった。
友だちはいる。休み時間になれば話をする。一緒に帰る。休日は遊びに行く。でもその友だちはいつも同じじゃない。そのときによってバラバラ。別に、いじめられているわけじゃない。声をかけたり、かけられたり。そのときによって関わる友だちは違う。
たとえば、移動教室。授業中にグループを作る。修学旅行の部屋割り。給食の時間。休日の買い物。いつも一緒、っていう友だちがいない。
私もグループに入れるだろうか。あんなに話したのだから。グループってそういう、なんとなくできるものでしょう。そう思って友だちのグループに入ろうとする。
すると、「なぜあなたがいるの?」という顔をされる。私がそこにいることに、違和感をおぼえるのだろう。
自分から入ろうとしたら「違う」という顔をされ、誘ってみたところでまた「違う」という顔をされる。もちろん、誘われもしない。
わかるだろうか。いじめられているわけじゃないし、お互いに嫌いではないのだけど、同じグループではないよね、というあの空気。
それならいっそ、「あなたは嫌」と言われたほうがいいと思うこともあるが、いや、それはそれでつらいなあとも思う。
私はいつだって、「なかよしグループ」に入れない。それは、大人になった今もあんまり変わっていない気がする。
大人になってまでそんなことにこだわって、別にいいじゃないか、そんなこと。そう言う人もいるかもしれない。でも“なんとなく”仲間はずれだったって、なかなかつらいままなのだ。
別に友だちがいないとは言ってない。いじめられてるとか、わざと仲間はずれにされてるとかも、言ってない。
「“なんとなく”あの子は誘わなくていいよね」
「このメンバーで行くなら“なんとなく”この子は違うよね」
そんな言葉が、言われてもないのに聞こえてくる。ああ、私はまた、そのグループに入れないのか。そう思ってしまう。
誰かと一緒にいても、好きだと言われても、そわそわしてしまう。いつも一緒にいるじゃないかと言われても、私はいつここにいられなくなってしまうのかと、心のどこかで恐れている。そんなこと恐れても仕方がない、とも思うけど。
ただただ、コンプレックスなのだ。大人になったら、多少そのコンプレックスとうまく付き合えるようになってくるだけだ。
今でも、私がいてもいい「なかよしグループ」を探して、そわそわしまう。
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