完璧主義で、新しいことに臆病でした。あの旅に行くまでは。
10年くらい前、ホットヨガが爆発的にブームになったんです。私もきれいになれるかなって思って、20歳の頃かな、行ってみたんですよね。そうしたら、あることに気がつきました。ヨガの呼吸法って、フルートの呼吸法とそっくりだって。そう、楽器のフルートです。
指がちぎれるほど練習して合格した音大で、燃え尽きた
もともとは、音楽をやっていたんです。中学でブラスバンド部に入って始めました。高校生のときは先生について習っていたんですが、当時は私、川村カオリさんが大好きで。ボーカルでコピーバンドをやっていて、そっちに夢中になっちゃって、「高校卒業したら、東京に行ってフリーターやりながら歌手になる!」って親に宣言しました。
「歌手で成功するなんて、絶対無理」って、母に止められましたね。「東京に行くのはいいよ、でも専門学校でも短大でも、とにかく学校に行って」と。それで、フルートで音大を目指すことにしたんです。
それが、高3の夏くらいでした。音大を目指すのは、ギリギリどころか完全に手遅れの時期。慌てて東京の先生に師事して、福島のいわきから片道3時間かけてレッスンに通い、指がちぎれるほどに練習して何とか合格した、のはよかったんですが…。
本当に大変だったのは、それからでした。きっと最下位くらいで受かったから、入学しても完全に落ちこぼれ。授業についていくのが大変で、とにかく練習、練習の毎日でした。大学時代は必死すぎてつらすぎて、あんまりいい記憶がありません。
そんなときにヨガに出会ったんです。呼吸法もしっくりくるし、あ、これって私に向いてるかも! って、完全にはまりました。
東日本大震災後に、思ったんです。地元のいわきに帰ろうかなって。
音大を卒業したときは、音楽の道に進むことに前向きになれませんでした。燃え尽き症候群ですかね。「これだけやったんだから、もういいんじゃないか」って思っちゃった。卒業後、ヨガをしっかり学んでインストラクターの資格試験を受け、合格した翌日からヨガスタジオで働き始めました。
2011年の東日本大震災があって、父も母も現場の最前線で大変な思いをしました。
父はJRの職員で、原発のすぐ近く南相馬の駅に勤務していたので、みんなが避難してからも3カ月くらいそこにいなければならなかった。看護師の母は、津波や瓦礫をかぶった人の治療で、大忙しだったんです。
水がないって聞いたから、つきあっていた彼と一緒に、東京から満タンの20リットルタンクをいくつも積んで車で駆けつけました。でも、「あんたたちがいると余計に水を使うから、東京に帰りなさい」って母に言われ、その日のうちに帰りました。初めて、故郷に向き合った気がします。その頃くらいからかな、落ち着いたらいわきに戻ってもいいかなって思い始めたのは。
3つめの滝に打たれたときに、何か吹っ切れた
去年の夏、いわきの実家をリフォームして、小さなヨガスタジオを始めました。13畳くらいの小さなスタジオだけど、ありがたいことに多くの生徒さんが通ってくださっています。
ずっと、完璧主義でストイックに生きてきました。新しいことには臆病で、全然動けなくて、スタジオをつくるなんて想像もしてなかった。
それが、去年の春に親友と行ったセブ島で、変わったんです。
実家のいわきは海がすごく近いのに、私はずっと、水が全然だめでした。泳げないし、「浮き輪なしで海に入るなんてとんでもない」って思ってた。
その私が、なぜかセブで”滝行”をすることに。 皆でいかだに乗って、いかだごと、3つの滝に打たれるんです。
泣きましたよ。1つめ、2つめの滝では、「帰りたい」ってわあわあ泣いて。でも、3つめの滝に打たれたときに、何かが吹っ切れた。気がついたら率先して、「もう一度行こう!」なんて言ってました。
そんな私に、一緒に行った親友は「これからは、苦手なこともいっぱいチャレンジしてみたら」って言ってくれて。そのとおりだなあって思いました。
さらに今は、SUP(サップ。スタンドアップパドルボード)にはまっています。ボードに乗って、パドルで漕いで沖まで行くんですよ。その上でヨガをやったりもするんです。
あれだけ苦手だった海で、ですよ。1年前の自分とは、まったく別人になりました。人って、面白いですね。あっ、ちなみに、今はフルートも、また吹いています。
恵比寿にて
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第2回今は言える。「そのままでいい、そこから始めよう」って。
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第3回はじめまして、telling,(テリング)です。
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第4回完璧主義で、新しいことに臆病でした。あの旅に行くまでは。
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第5回ロンドンで学んだデザイン、日本のランジェリーに生かしたい。
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第6回今週のStory ―2018年3月26~31日